「瞳の中の竜」
第七話
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「うわあ・・・」
街道が小高い丘の天辺に差し掛かったところで、フラクは思わず足を止めて眼前の光景に見入った。
今進んでいる街道と、もう一つ−王都へ向かう街道が交差するそのすぐ先に
高い城壁に囲まれた巨大な都市が見えていた。
探索の旅に出てから、街道を東へ東へと歩きつづけて2週間目でたどり着いた
この地方最大の都市
交易都市バモルギアである。
城門の周りには、税を嫌って城内に入らずに商いをする商人達の露店や
妖しげな看板を掲げたバラックやテントなどが雑然と並ぶ、いわゆる自由市場が広がっている。
城壁に近づくにつれ、市場の喧噪が遠くからでも聞こえるようだ。
(こういうところでは買い物するな、って言われたけど・・・)
今日まで毎日、暗くなるまで歩きつづけ
時には野宿もしてきたため、ランタンの油が切れかかっている。
バルーグから渡された路銀は決して少なくはなかったが
先に何があるかわからない以上、なるべく無駄な出費は抑えておきたいところだ。
(ちょっとだけ覗いてみて・・・いい物があった時だけ買うようにしよう)
そう自分に言い聞かせると、前髪を顔の前にかき寄せて自由市場の人ごみに飛び込んでいく。
前髪をたらして顔が隠れるようにするのは
瞳の色から余計ないざこざを引き起こさないようにする
何時の間にか身についたクセだが
そのクセのお陰で、フラクは目立たずに人ごみにまぎれその一部となる。
髪の隙間から覗く自由市場には、城内の公設市場にはない活気が感じられた。
都市からはなんの庇護も得られないが、代わりになんの制約もない。
皆が自由に工夫を凝らし、あの手この手で稼ぎを上げようと躍起になっているのだ。
「塩漬けのニシンだよ!今朝届いたばかりだ!」
「この柄を見てくれ!本物のデュマスの織物だ!そうはお目にかかれないよ!」
「今日はオリーブが安売り!樽でも瓶でも量り売りでもいいよ!」
「夜泣きをする子供はいないかね!この丸薬を飲ませればピタリと止まるコト請け合いだ!」
「さあさ、ちょっと休んでおいきよ!串焼きはいかが?エールが冷えてるよ!」
道行く人、人、人・・・
そして周りを取り囲む商人達の声、声、声・・・
自分でも気づかない興奮に、フラクはしばらく目的の油を探すのを忘れ
市場の様々な店を覗いて回っていた。
「菜種油に鰯油!鯨油に蝋燭!灯りならなんでもあるよ!」
フラクの耳に、スッと油商人の声が飛び込んでくる。
「あ・・・」
我に帰って声のした方に目を向けると、目ざとい商人がすぐに声をかけてくる。
「いらっしゃい!お使いかい坊主、どれが要りようだね?」
子供の使いと思われ、内心ムッとしながら背中の荷物を見せて応える。
「旅の途中なんだ。ランタンの油はある?」
「ほ、こりゃ失敬。若えのに大変だね、ええ?・・・っと菜種油でいいかい?」
「いくら?」
「一瓶で10シリング」
「えーと・・・」
フラクがボーディンの市場での値段を思い出そうとしていると
いきなり背後から大きな声が響く。
「10シリングゥ!?ふざけんじゃないよ!」
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「何時からココは公設市場になったんだい?城内に行ったってもうちょっと安いよ!」
驚いて振り返ったフラクの前に立っていたのは
この地方では珍しい、褐色の肌をした大柄な女性だった。
肌の色や黒い瞳は、南方のマグリブ人のようでもあったが
短く切りそろえた髪は、黒ではなく、燃え立つような赤。
腰の後ろに長剣を斜めに挿し、固く煮しめた皮革の胸当てをつけており
一切合財が入っているような頭陀袋を背負っている所からすると
流れ者の傭兵、旅の女剣士といったところだろうか。
彫りの深い顔立ちが、怒りの声とは裏腹に悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「おいおいマグリブの姉さん、商売の邪魔なら勘弁してくれよ」
「なに、旅の者を騙して市場の評判を落とすような真似をしたら、かえってアンタらが困ると思ってね」
「騙すなんてとんでもねえ!こちとら正直者で通ってるんだぜ?」
「正直者の自由市場の商人が、菜種油一瓶を10シリングで売るのかい?」
「話は最後まで聞いてもらわなくちゃあ。一瓶で10シリング、と言いたい所だが・・・」
商人がフラクと、その背後に立つ女剣士の顔を交互に見る。
「なんたってここは自由市場だ!一瓶8シリング!お買い得だよ!」
「8シリング?売り物を確かめさせてもらわなくちゃあね。ちょいとお貸しよ」
言うが早いか商人の手から油瓶をひったくると、栓を抜いて匂いをかぎ始める。
「ふん・・・オヤジ、こんな古くなった油じゃ、5シリングがいいとこじゃないか?」
「馬鹿言っちゃいけねえ、コイツは今年の春の絞りたてだよ!」
「そうかねえ、カビでも生えてそうな匂いだよ?」
「敵わねえなあ・・・まあ美人の姐さんに免じて、大負けに負けて7シリングと5ペニー!さあどうだ!」
「おや・・・アタシの魅力で、たったの5ペニーしかまからないのかい?」
「へっへっへ、ここで姐さんが舞いでも舞ってくれるんなら別だがね。ただ眺めてるだけじゃ・・・」
「アタシの舞いは剣の舞いだよ?オヤジ、それでも・・・見たいかい?」
女剣士が、その腰から覗く長剣の柄にポンポンと手をやりニヤリと笑う。
「おお、おっかねえ!・・・7シリングちょうど。コレ以上はまからんよ。どうするね?」
商人の顔から陽気な表情が消え、真剣な眼差しで二人を見つめる。
「7シリングだってよ、ボウヤ。どうすんだい?」
二人のやり取りを呆然と見ていたフラクが、いきなり自分に向けられた女剣士の声で我に帰る。
「あ、か、買います!えっと・・・7シリングね・・・はい!」
「へい、毎度!・・・なあボウヤ、買ってくれた礼で言うんじゃないがね・・・」
「え・・・何ですか?」
「お前サン、自由市場で一人で買い物するには・・・まだ経験不足じゃないかな」
「そう・・・みたいだね」
「ま、まだ若いんだ。これからいくらでも経験は積めるさ。それと、さっきの姐さんに礼を言っておきなよ?」
「え?・・・あれっ!?」
振り返っても女剣士の姿がないことに驚く。
「あの姐さんなら城門のほうに行ったよ。追いかけるなら早いほうがいいな。えらく大股で歩いてったからね」
「うん、ありがとう!じゃっ!」
商人は走り去るフラクをしばらく見ていたが、やがてまた大声で客を呼び込み始めた。
「菜種油に鰯油!鯨油に蝋燭!灯りなら・・・」
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「お姉さん!マグリブのお姉さん!」
まだ名前を聞いていないので、思いつく呼び方がこれしかない。
城門に向かって走りながら叫んでいると
通り過ぎた屋台から件の女剣士が顔を出す。
「ちょいと!そんな大声で呼ばないどくれよ!恥ずかしいったらありゃしないよ、もう」
「あっ、マグリブの・・・」
「はあ・・・ま、確かに生まれはマグリブだけどね。ここにゃマグリブ人なんてアタシぐらいだろうし」
「あ・・・ごめんなさい。名前を聞いてなかったから、つい・・・」
「じゃ、今度からはセピアって呼んどくれ。セピア・ボグティクス。見ての通り、旅の傭兵さ」
「フラク・ヒューベットです。一応・・・」
「待った!当ててみようか?・・・魔術師だろ?」
「あっ?当たりです!・・・なんでわかったんですか?」
「その首から下げたペンダントさ。ソレ、ホントの魔術師しか持ってないんだろ?」
「あ・・・」
それは成人の儀が済んだ魔術師の徒弟が師匠から受け取る品で
幾何学模様を刻んだ黒い硬玉を銀の鎖で繋いでいる。
本来はメラニから手渡されるはずのものだった。
旅立ちの朝、バルーグが
『一時、これはお前に預けよう。無事戻ったら、改めてメラニから受け取るが良い』
と言って渡してくれたのだ。
旅の途中も、このペンダントを見るたびに、フラクは自分の使命を思い出していた。
「・・・よくご存知ですね。お知り合いに魔術師の方でも?」
「いや、昔チョロっと聞いたコトがあるだけ」
「そうですか・・・でも、ボクまだ見習なんですよ」
「へえ?」
「一人前になると、緑の石に金の鎖。導師になると青い石に白金の鎖とペンダントを変えるんです」
「ふーん・・・免状みたいなもん?」
「そんなところかもしれませんね。で、ボクのコレはまだ一番下っ端の見習のなんです」
「見習でもなんでも、魔術師と知り合いになれるなんて滅多にないからね。ねえ、突っ立ってないで座りなよ」
「はい・・・でも空いてる席が・・・」
「ほら、アタシの隣は?つめればアンタ一人ぐらい座れるよ」
「・・・そうですか?じゃ・・・」
どっかと腰を据えているセピアの隣にちょこんと腰掛ける。
「ところで、なんでアタシを追っかけてきたのさ?」
「あ、そうでした!さっきは、どうもありがとうございました。お陰で無駄にお金を使わずに済みました」
「なぁんだ、そんなコトかい?てっきりアタシに一目惚れしちまって追っかけてきたのかと思ったのに」
「ええ!?そんな訳ない・・・いや、セピアさんは綺麗ですけど、違いますホントにただお礼を・・・」
「・・・あはははっ!冗談だよ、ホント可愛いんだから」
「もう、からかわないでくださいよ」
ホッとしたフラクの前にいきなりドンッとエールのジョッキと煮込みの入った器が置かれる。
「え?まだ何も注文してないのに・・・」
「注文?ここにゃこの煮込みとエールしかないんだよ。椅子に座ったら黙っててもコレが出てくるの」
「そうなんだ・・・どうしよう、コレ」
「どうしよう、って・・・食べりゃいいじゃない。ここの煮込み結構いけるよ・・・見た目は悪いけどね」
「じゃ・・・いただきます」
恐る恐る一口啜ってみる。
かなり濃い味付けのドロドロしたスープで
溶けかかったような野菜やら何かの肉が煮込まれている。
香辛料がたっぷり入っているらしくピリピリと辛いが
確かに味は悪くなかった。
「うん、美味しいですね・・・これ、なんの肉かな?」
「・・・ここじゃそういうコトは知らないほうが飯は美味いと思うけどね」
肉を噛んでいたフラクの口が止まる。
飲み込もうか吐き出そうか一瞬考えたが
正体がわからなければただの美味い肉、と割り切って飲み込んだ。
「チョッと辛口だろ?で、このエールをグッとあおるのさ」
そう言って自分のジョッキを一気にあおる。
「・・・っはーっ!ほらっ、アンタもグーッといきなよ!」
「あ、ボクお酒はちょっと・・・」
「なぁに言ってんの!ほらぁ、グーッと、グーッと!」
すっかりセピアのペースに巻き込まれて
この日、フラクは初めて酔いつぶれる体験をした。
気を失う寸前、フラクは油商人の言葉を思い出した。
(うう〜・・・こ、これも経験のうち・・・ううっ・・・)
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