「瞳の中の竜」
第十三話
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何時の間にか再び手袋のはめられた右手を村人にかざし
アキが一人一人に「回復」の呪文をかけていく。
背に回された剥き出しの左手は
「同調」の効果を維持するため後ろから支えるようにフラクがしっかと握り締める。
「同調」が安定するにつれ、アキの目や鼻からの出血は収まったが
「はあっ・・・」
いつしかアキは術をかけ終わると、その度にため息をつくようになっていた。
呪文をかけ終わるたびにアキが消耗していく。
フラクにもそれはわかった。その理由も。
消耗していく様子を見て、何度か休むように勧めたのだが
その度にアキは、大丈夫ですから、と微笑みながら首を横に振る。
呪文を唱えるのに必要なものは魔力だけではない。
放出した魔力を呪文によって制御し、また変換された力をコントロールしていくには
術者の強靭な精神力が必要である。
一つの呪文を唱えるだけで、術者はかなり精神を疲弊させるのが普通である。
もっとも、通常は術をコントロールできなくなるほど精神が疲弊してしまうことはない。
その前に呪文の源である魔力が尽きてしまうからだ。
だが、今アキは「同調」でフラクの膨大な魔力と繋がり
その魔力を使って「回復」の呪文をかけ続けている。
肉体は絶え間ない巨大な魔力の圧力にさらされ続けながら
立て続けにかける呪文のプレッシャーに耐えるだけの精神力をアキは持っていた。
それはアキ自信にも信じられないことではあった。
「あと・・・何人・・・残って・・・?」
「・・・4人です」
いまや一人では歩くこともままならず
アキはフラクに縋りながら、それでも患者のもとへと向かおうとする。
フラクはもうアキを止めようとはしなくなっていた。
「頑張って・・・!」
「!・・・はいっ!」
声をかけるたび、アキは微笑んで応える。そして、少しだけ元気を取り戻すかに見えた。
全ての村人に術をかけ終えるまで、決してアキはやめようとはしないだろう。
ならば、少しでも彼女の支えになろう、とフラクは考えていた。
崩れ落ちそうになるアキの体を何度も抱き支える。
フラフラとよろめきながら、二人は礼拝堂の中を歩いていった。
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ようやっと全ての村人に術をかけ終わったときには
もう真夜中になっていた。
「今日は・・・これでいいでしょう」
アキがぽつりとつぶやくと、体重をすべてフラクに預けてくる。
しっかりと抱きとめるとアキに尋ねる。
「今日は・・・って・・・もう全員施術したじゃないですか?」
「ええ・・・でも「回復」の呪文では皆さんの体力を回復させるだけですから・・・」
「じゃあ・・・」
アキがこくりとうなずく。
「セピアさんが、シェキルからお医者さまを連れて戻るまで・・・何度もかけなければなりませんね」
「そんな・・・それじゃアキさんの体がもたないですよ!」
「大丈夫・・・『同調』もコツはわかりましたし・・・こう見えても、私丈夫なんですよ?」
フラクには全然そうは見えない。
「それに、フラクさんが『頑張れ』って言ってくれれば、私、いくらでも頑張れちゃいます」
「そ、そんな・・・」
「うふふっ・・・さあ、今日はもう休みましょう。『同調』も・・・解除しますね」
「あ・・・はい。どうするんですか?」
「ただ、手を離すだけです・・・」
そう言って、名残惜しそうにフラクの手を離す。
ふっ、とフラクの心から何かが消え去る感じがした。
「あっ?」
途端、アキががくりと膝を突く。
「アキさん!?」
「大丈夫・・・急に・・・貴方の魔力から解き放たれたので・・・ショックでちょっと眩暈が・・・もう、平気です」
「また・・・明日もこんなことを繰り返さなきゃならないんですか?」
「明日だけじゃありませんよ。セピアさん達が戻るまで、毎日でも私はやります」
にこやかな表情をしながらも、その決意は鉄のように固い。
「わかりました。それじゃ、せめて今はゆっくり休んで下さい。村の人達はボクが見てますから」
「はい・・・それでは、お言葉に甘えて、お先に休ませていただきますね」
アキは礼拝堂の奥の小部屋に戻っていった。
フラクがふと、セピアが向かったシェキルのある方角を見る。
小さな窓から、月明かりが差し込んでいる。
(セピアさん・・・早く戻ってくれるといいんだけど・・・今ごろどの辺りかな・・・)
窓辺に歩み寄り、空を見上げる。
窓から見える月は、煌煌と明るかった。
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その同じ月明かりの下
狂戦士と化したセピアと砂竜の死闘は続いていた。
腕ほどの太さの砂竜の触手が、その巨体には似合わぬ素早さで何度もセピアを襲う。
だが、セピアはそれを上回る目にも止まらぬ速さで触手をかわしていく。
かわしながらも剣を閃かせ、既に何本かの触手は切り落とされていた。
見守るゼフにはその動きは速すぎて見えず
ただ何時の間にか切り落とされた触手が地面をのたうっているのに気づくのだった。
砂竜は困惑していた。
何故捕らえられない?
何故触手が失われていく?
痛みはそれほど感じない生物であったが
獲物を前にしてそれを喰えない、ということが砂竜を苛立たせていた。
そして、つのる空腹感が、その苛立ちを激しい怒りに変える。
シューッ!
怒り狂った砂竜が、残りの触手全てを一度にうねらせてセピアに襲い掛かる。
その全ての触手を、稲妻のように動き、電光のごとく剣を振るいながらかわしていたセピアが
突如として赤い矢となって砂竜の懐に飛び込む!
ドシュッ!
赤い矢が再びセピアとしてゼフの目に留まったときには
深々と長剣がその固い皮膚を貫いて食い込んでいた。
(・・や・・やったっ!)
だが、ゼフの喜びも一瞬だった
人間であれば真っ二つにされてしまいそうなその一撃も
流石に砂竜を両断するにはいたらず
かえってあまりに深く剣が食い込んでしまったためにその動きが止まってしまった。
途端にするすると伸びてきた触手がついにセピアを捕らえる!
「グ・・・ガアアァッ!」
振りほどこうとするセピアに、砂竜の残りの触手がいっせいに襲い掛かる。
手に、脚に、胴に
あるものは巻きつき、あるものは打ち据えながら
次第にセピアの体を持ち上げようとする。
宙に持ち上げられてしまえば、後は口に放り込まれ
嘴で噛み砕かれて終わりである。
(や、やばいっ!な、なんとかしなきゃ・・・!)
立ち上がりセピアを救おうとするゼフ。
だが、セピアが突き刺した剣を離さず、砂竜の動きに逆らうのを見て思いとどまる。
ぐぐ・・ぐぐうっ!
触手に引きちぎられそうになりながら、さらに切り広げるかのように剣を横に薙いでいく。
キシャアァッ!
苦痛に耐えかねてか、突然砂竜がその頭を振り上げると
ズンッ!と軽い地響きと共に地面に突っ込んでいく。
地中に潜って逃げようというのか、それともセピアをその巨体で押しつぶすつもりか。
だが、ある程度潜ったところでそれ以上進めなくなる。
(・・・な?・・・なんだあ!?)
一部始終を固唾を飲んで見守ってきたゼフも、今ばかりは我が目を疑った。
剣を砂竜の胴体に突き刺したセピアが、その巨体を支える突っかえ棒のように踏ん張っているのだ!
「ガアアアアアァッ!!」
ズシャッ!
雄たけびと共にそのまま強引に剣を薙ぎ払い、その勢いで絡まった触手を引きちぎると
転がるようにして砂竜の下から飛び出す。
直後、ずん、と音を立て、切り裂かれた砂竜の太い胴体が大地に落ちる。
そのまま潜り込みも再び地表に頭を出すこともなく
やがてその全ての動きを止めた。
戦いは終わった。
立ち尽くしていたセピアの肌が、段々とその赤みを失い
元の濃い小麦色に戻っていく。
と、突然がっくりと膝を尽き、肩で荒い息をする。
狂戦士と化して体力を限界以上に使い果たした「ツケ」が来たのだ。
「はっ・・はあっ・・はあっ・・はあっ・・・ゼッ・・ゼフッ!・・まだ・・いるかいっ・・」
「お・・おうっ!ちゃんと、ここにいるぞっ!」
膝が笑って立ち上がるのが精一杯だが、それでも精一杯威勢良く応える。
「はっ・・よく・・逃げずに・・いて・・くれた・・ね・・」
「へッ、バカにすんねい!こ、これしきのコトでビビってちゃあ荒地で生き抜いちゃいけねえのさ!」
「は・・頼もしいね・・じゃ、その・・・頼もしいところで・・・頼んでもいいかい?」
「おう、なんでも言ってくれよ!」
「コッチ来て・・・手ぇ貸してよ・・・もう、くたくたで一人じゃ歩けそうもないんだ」
「歩くぅ!?ナニ言ってんだよ!少し休まなきゃ・・・」
「ダメだよ・・・すこしでも早くシェキルへ・・・」
そう言ってよろめきながら立ち上がろうとする。
慌ててゼフが走りより、その体を支える。
「しょうがねえ姐さんだな・・・ホラ・・・しっかり掴まんな!」
「すまないね・・・よっ、と・・・ね、も一つ、頼まれてくれる?」
「なんだい」
「今のコト・・・黙っててくれる?」
「はあ?なんだよ、オイ、こんなスゲエ話黙ってろってのか?」
「だって・・・アタシが狂戦士だってコト・・知られたくない・・・」
「・・・あのボウヤに、か?」
返事はない。だがその顔が再び赤く染まる。
「あ〜あ、わっかんねえなあ!・・・いいよ、喋らねえ。誰にもな」
「ありがと・・・恩に着るよ」
「いいってことよ・・・それにしても・・・アンタ重いな!」
「うるさいね、こんな美人を抱きかかえてんだからそれぐらい我慢しな!」
二つの影が一つに重なって、ゆっくりと歩き始める。
まだ遠いシェキルへの道のりを、それでも一歩ずつ辿り始めた。
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2日後。
1台の馬車が猛スピードでスクルピア荒野を疾走していた。
「気前がいいじゃない、シェキルの『元締め』ってのはさ!馬車貸してくれるとは思わなかったよ!」
手綱を握るセピアが車輪の喧噪に負けないような大声で叫ぶ。
「アレで結構話のわかる人なんだよ!」
ゼフが笑いながらやはり大声で応える。
馬はアナカリアでは貴重な生き物であり、王侯貴族やごく一部の金持ち
そして免許を持つ馬車業者ぐらいしか持っていない。
その貴重な馬車を、事情を聞きつけたシェキルの「元締め」が
セピア達に用立ててくれたのだ。
「おおい、もそっとゆっくり行ってくれんか!ワシャもう尻が痛くてかなわん!」
でっぷりと太った中年男がゼフの隣で悲鳴をあげる。
シェキルで開業している医者の彼も「元締め」に駆り出されたくちで
事情の説明もそこそこに馬車に放り込まれたのだ。
「えー!?なんだってぇ!?聞こえないよ先生!」
振り向きもせずセピアが怒鳴り返す。
「まさか死に掛けの患者を待たせて、ゆっくり行けってんじゃねえよなあ!?」
「ええい、これじゃハバスにつく頃にはワシが病人になっちまうぞ!」
「辛抱しておくれよ!アンタ医者だろ!?患者がどうなってもいいの!?」
「わかっとるわい!あんまり尻が痛いんで言ってみただけじゃ!」
医者の不平も、ゼフのからかいの言葉も、セピアを振り返らせることはない。
きっと、まだ間に合う。
フラクはきっと、あの司祭を助けながら自分が医者を連れてくるのを待っている。
(今行くからね・・・もうすぐだから・・・)
握る手綱に力を込めて、セピアはただひたすら前を見ていた。
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