「瞳の中の竜」

第十二話

それはごく小さな振動だった。
だが、地中深くから四方に張り巡らされた長い触手の一つが
かすかに捕らえたその振動は
「それ」を長い休眠状態から呼び覚ました。
初めは触手の一つだけが捕らえていた振動は
やがて他の触手でも感じ取れるようになり
感じ取れる振動の強弱で、その動きやおおよその方向がわかる。
振動はだんだんと近づいていた。
ずりずりと触手の一本を地表へと伸ばしてみた。
小さな穴をあけ、触手の先端が地表へと出る。
不快な光や熱は感じられない。
乾燥した、だがひんやりした空気を感じた。
不意に空気が動き、触手に匂いを伝えてくる。
柔らかな肉と、暖かい体液に繋がる匂いを。
その匂いは、「それ」に忘れていた感覚を呼び起こした。
飢え。
目覚めたときは「それ」はいつも飢えていた。
狭い地中で、尖った口吻を動かす。
「それ」は地中でも地表と変わらない速度で進むことができた。
匂いの源を求めて、長い体を這い進め始める。
狩りが、始まったのだ。

抜き放った剣を片手で握り締めながら
空いたほうの手で鎧の留め金をセピアが外していく。
「なにやってんだ?」
「動きを軽くするのさ。こんなのが役に立つような相手じゃないんだろ?」
ドサリと音を立てて、皮の胸当てが脱ぎ捨てられる。
「なあ、オレになんかできるこたあねえか?」
ゼフの問いに振り向きもせず、ただ舞い上がる土ぼこりを睨みつけるセピア。
「よおってば!なんか・・・」
「伏せてろ!じっと伏せて、アタシがいいって言うまで身動きするな!」
セピアの答えが一瞬理解できなかったゼフが、怒りの声を上げる。
「バッ、バカにすんな!これでもオレは・・・」
「いいから動くんじゃない!でないとアンタまでぶった切る羽目になっちまう!」
「ナニ言ってんだ!?なんでアンタがオレを切るんだよ!?」
「アタシは「力」を使うと見境がなくなっちまうんだよ!動いてるもんは皆攻撃しちまうからね!」
「なんだあ!?じゃ、オレはどうすりゃいいんだよ!?」
「だから、言ってるだろ!?じっとして、地べたに伏せてな!」
「くそっ・・・ホントにそれで・・・それだけしかオレにゃできねえのかよっ!」
「ああ・・・じゃ、一つ頼まれてよ」
「なんだ!?ナニをすればいい!?」
勢い込むゼフに、やっと振り向いてセピアが笑いかける。
「この鎧、見張っててよ。これでもアタシのお気に入りなんでね」
一瞬唖然としてから、ゼフは気づく。
セピアは諦めていない。
生き残り、またこの鎧を身に着けるつもりでいるのだ。
「おうっ!任せとけっ!!」
「頼んだよ・・・さて・・・そろそろ、お出ましのようだね」
近づいてくる土ぼこりを舞い上げているのは、長く大地に走る亀裂。
その裂け目は、もうすぐそこまで来ていた。
ボコ・・・ボコ・・・
裂け目は二人の5メートルほど先で止まり
代わりにその大きさを広げていた。
足元から地鳴りのように振動が伝わる。
ズズズズズズズズズ・・・・
「来るぞっ!!」
ゴバアッ!
もうもうと舞い上がる土煙の中に
月明かりに照らされ巨大な影が浮かんでいた。

砂竜。
荒野や砂漠を行き来する商人達がもっとも恐れる生物の一つである。
竜、といっても本当の竜ではない。
ただ、その長くうねる体からそう呼ばれてはいるが
実際にはもっと下等なミミズのような生物らしい。
雑食性でなんでも食べるが、やはり肉を好むらしい。
腐肉をあさることも、生きた獲物を襲うこともある。
角質化して嘴のようになった口吻には魔力があり
その力で、固い土でも崩して地中を掘り進む。
そして、獲物に喰らいつくとその嘴で肉を食いちぎるのだ。
口吻のすぐ下には細長く伸縮する触手が十数本生えており
これで獲物の動きを地中からキャッチしたり
獲物にからませて捕らえるのに使う。
表皮は厚く、鎧に使えるほど固い。
通常は長さ3メートルほど。太さで20センチほど。
普通のサイズでも、充分に脅威となる生物である。
だが、今セピア達の目の前に現れた砂竜はそんなサイズではなかった。
太さが1メートルを軽く超えている。
長さは地表に出ている部分だけで7,8メートルはあった。
ゆらゆらとざわめく触手が、二人の匂いを嗅ぎつけるようにこちらに向く。
同時に、セピアが上体をかがめ叫び始める。
「おおおおおおおっ!!」
ざわ・・ざわ・・
赤い髪が逆立つように波うち、盛り上がった腕や肩の筋肉が更に一回り膨れ上がる。
そして・・・顔や服から覗く濃い小麦色だった肌が
段々と赤みを帯びていく・・・
「ぐあああああっ!」
最早その叫びは人間と言うよりは獣のそれに近い。
「ガアッ!!」
叫びが途切れたときには、セピアの肌はその髪の色と同じくらい真っ赤に変わっていた。
月明かりで見えるその目までもが赤く輝いている。
赤い肌の下で盛り上がった筋肉で、全身が一回り大きくなったようにさえ見えた。
ゼフは震えていた。
砂竜に怯えているわけではない。
砂竜は、そのサイズを除けば何度も見ている生物なのだから。
ゼフを震えさせているのは、今その前に立ちはだかっている
伝説の中でしか聞いたことのないものだった。
「・・・・・・狂戦士・・・!」
戦場で、悪魔に取り付かれた戦士がなるという破壊の権化。
その周りの生きる物、動く物全てを破壊するまで
人間とは思えない力を休むことなく発揮しつづけ
どんな重傷を負っても止まらないと言う。
そして、全てを破壊し尽くすと
最後には自らを破壊してしまうとも・・・
数多の戦場でその伝説は生まれ、かろうじて生き残った者によって語り伝えられていた。
様々な言い伝えが伝わり、一つとして同じような話はない。
ただ一つ、その姿だけはどの言い伝えでも共通していた。
狂戦士になると、肌が真っ赤に染まったようになる。
全身に血を浴びたように。
今まさに、その狂戦士がスクルピア荒野のヌシに切りかかっていく。
ゼフは怖気を奮うと、渡された鎧をギュッと握り締めた。
(アンタに返すんだからな!鎧、返すんだから・・・だから、生き残って・・・元に戻ってくれよ!)
「ガアッ!」
獣のような叫びと共に、セピアが足場の悪い荒地を目にも止まらぬ速さで砂竜に走り寄る。
ズシャアッ!
走り抜けざまに、砂竜の固い皮膚をセピアの長剣が切り裂く。
キシイイッ!!
どろりとした緑色の体液を撒き散らし、傷つけられた痛みに蠢きながら、奇怪な叫びを上げる。
触手が数本、セピアを追って閃くが追いつかない。
砂竜は困惑していた。
この大きさに成長するまで、出会ったのは獲物だけだった。
ただ追い詰めて、喰らうだけの存在しか知らなかった。
だが、今目の前にいる獲物は自分を傷つける。
ただの獲物ではない。
これは、敵だ。
戦うか?それとも逃げるか?
だが、飢えがその迷いを消し去る。
敵でも、勝てば、喰える。獲物と同じだ。
シャアアァッ!
再び奇怪な叫びを上げ、砂竜がセピアにその巨体を向ける。
戦いは始まったばかりだった。

そのころ、ハバス村の中央にある教会では
アキが必死に長い呪文を詠唱していた。
額にはうっすらと汗が浮かび、握られたフラクの手にも汗がにじむ。
(もう少し・・・もう少しで・・・あ?)
呪文の完成が近づくにつれ、アキは奇妙な感覚に気づいた。
(これは・・・フラクさんの・・・記憶?いえ・・・もっと表面的だけど・・・でも)
フラクの考えていることが、直接伝わってくる。
そして、それはフラクも同じだった。
言葉にしなくても、互いに考えていることが伝わっていく。
「同調」の呪文の、いわば副作用とも言える現象。
それはほんの一瞬だった。
そして、一瞬で充分だった。
思いが、全て伝わっていった直後に、呪文は完成した。
「ぐうっ!?」
突然、膨大なフラクの魔力との回路が繋がりアキの全身が耐え難い苦痛に襲われる!
アキはフラクの魔力の大きさを見誤っていた。
「同調」は同じ程度の魔力の持ち主同士が連結するための呪文なのだ。
だが、フラクの魔力の量は普通の魔術師や司祭のレベルではない。
たとえて言うならば、ネズミが突然象の心臓を植え付けられるようなものだ。
心臓の一打ちで、ネズミの体は流れる血液の圧力で破裂してしまう。
「く・・・うううっ!」
アキの目から、鼻から、耳から、そして指先からまでも
流れ込む魔力の圧力に体が耐え切れず血が噴出し始める。
「アキさん!?」
「だっ・・・大丈夫っ・・・ううううっ!」
「ちゅ、中止しましょう!このままじゃ危険ですよ!」
手を振り解こうとするフラクを、血の流れる顔でアキが押し止める。
「ダメッ!・・・手を・・・離しては・・・呪文が途切れてしまいます」
「だって!このままじゃアキさんが・・・!」
「これぐらい・・・頑張ります・・・村の人たちは・・・もっと苦しいんですもの・・だから・・・」
フラクの手を握った手に力がこもり、血まみれになったままアキが微笑む。
「手・・・離さないでくださいね・・・ずっと」

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