「瞳の中の竜」
外伝 第1話
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「ふう」
つい、足を止めてため息をつく。
女の足でこの山道は、ちときつかったと気づいたときには
すでに道半ばまで来てしまっていたりする。
既に日は高く上り、初夏の日差しは木漏れ日でさえ暑苦しい。
「おや」
水筒の水が漏れていることに気づくのは
決まって水が飲みたくなったときだったりする。
「ついてないな」
フード付きのローブなど、いかにも「魔術師でござい」と言っているようなもので
もともと好きではなかったが
これがガサガサと茂みをかき分ける度に枝にからまり、うんざりする。
「ああ、もうついてない」
あげく、何か棘にでも引っかかったらしく
金貨20枚もしたというのに、水筒いっぱいの水のためにビッと音を立ててどこかが裂けてしまう。
「なんてついてないんだ」
愚痴を言っても喉の渇きはいやされない。
かすかな音をたよりに水を探す。
だが、暗い山道からさらにはずれて見つけたのは
水場ではなく、くたばりかけた傭兵風の男だったりすると
ついついため息が漏れてしまう。
「本当に、ついていない」
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今一度、倒れている男の様子を見てみる。
粗末な皮鎧に身を包み、手にした抜き身の長刀には生乾きの血がこびりついている。
傷を負ってまだそう間がないのだろう。
まだ乾くことない脇腹の傷から流れる血が、落ち葉をしとどに濡らしている。
見たところ刀傷のようだが、臓腑ははみ出してはいない。
仰向けに横たわったまま動かないが、荒い息はまだついている。
「おい」
男が気づいたのか目を向けて、苦しげに呼びかけてくる。
「なんだ、意識はあるのか」
「助けて・・・くれ」
「あいにく、そこまでひどい傷は治せる手だてを持っていない」
「魔術師じゃ・・・ねえのか?」
「確かに魔術師だがな。魔術師は人を癒す術など持っておらぬよ。それは僧侶が使う術だ」
「だったら・・・医者を・・・」
「呼んでやってもよいが、一番近い村まで半日はかかろう。行って戻って、それまでお主持つまいよ」
「ち・・・救いの女神と・・・思ったんだがな・・・」
「なにがあった?」
「隊商の護衛をしていたが・・・山賊にやられた」
「頼りない護衛だな」
「まったくだ・・・ちっと油断したらこの様だ・・・情けねえ」
「ふむ。仲間はどうした?」
「わからん・・・俺は傷を負って、道から転げ落ちて・・・皆がどうなったかは俺が聞きたい」
男が指さすのは、おそらく自分が転げ落ちた山道の方角だろう。
それは今いる谷間をはさんで、私が来た道とは反対側だった。
「調べてきてやろうか?」
「いや・・・もういい・・・どうせ助からん・・・俺も、仲間も」
「わからんぞ。行ってまだ仲間がいれば、お主も助かるやもしれぬ」
「この崖を・・・登ってか?」
確かに、自分が下ってきた斜面とは違い
男が落ちてきたのは切り立った崖になっていた。
「こちら側から上がって、あそこまで回って行けばよかろう」
「結構・・・遠いぞ・・・それに、残っているのは山賊かもしれん」
「は!山賊ごとき恐れるように見えるか?」
「いや・・・だが、もういいんだ・・・ひと思いに、楽にしてくんねえか」
「ふむ。それもちと困る」
「なんでだ?魔術師なんだろ?ヤバい魔法だって持ってるんじゃねえのか?」
「まあな。だが私の得意は炎の魔法なのだよ。こんな乾いた落ち葉ばかりの場所ではな。
巻き込まれるほど間抜けではないが、山火事は起こしたくない」
「ち・・・つくづく、今の俺には役に立たないのが来やがったもんだ」
「悪かったな。他にしてやれることはないか?」
「水を飲ませてくれ」
「それは私が言いたい。水を探しにきてお主を見つけたのだ」
「腰の水筒に・・・まだ少し残ってる。それを」
「そうか・・・少し、分けてもらえるかな?」
「ああ・・・俺が逝っちまったら、残りは全部やるよ」
「そうか、すまぬな・・・さ、飲め」
かがみ込んで、男の腰から皮の水筒を外し、口元にあてがう。
男がほんの少し、口を湿らす程度に水を飲む。
自然と、顔が近づいていた。
「あんた・・・その目は?」
気づいたか。
私の右目は髪の色と同じ黒い瞳。
だが、左目は忌まわしい金色の瞳。
呪われた魔族の瞳と同じ色。
この目のお陰で、ずいぶんといらぬ苦労をしたものだ。
人は皆この目を恐れて、私に関わることを避けた。
私もまた、他人と関わり合いになることは極力避けてきたのだが
なぜこの男にはこうも関わってしまったのだろうか。
「怖いかね、私が」
「ちょっと、な」
「ちょっと、か?」
「ああ・・・怖いもの見たさってのもあるじゃねえか・・・それがこんな美人なら尚更さ」
おかしな男だ。
私の目を正面から見据える者など、今まで誰一人としていなかったが
今、この男の目は真っ直ぐに私に向いている。
ただ単に、死にかけて正気を失っているからかもしれないが。
「世辞を言っても、もう何もしてやれぬぞ」
「ちぇ・・・まあ、末期の水が・・・美人の酌で飲めたんだから、まあいいや」
「まだ死ぬと決まってはおらぬではないか」
「さっき、もう持たないって言ったじゃねえか」
「それは助けを呼びに行ったとしてよ。まだ手だてはあろう?」
「もういい・・・疲れた・・・このまま、看取っちゃくんねえか」
「そうか。水を貰った恩もあるからな。誰か、何か伝えたいことなどあるか?」
「・・・いねえなぁ・・・12の時に、百姓仕事が嫌で家をおん出て・・・
家族がどうなったかなんて、もうどうでも、な」
「惚れた女ぐらいはおろうが」
「こんな・・・ケチな傭兵になびく女なんか・・・いやしねえよ」
「傭兵仲間とかは」
「仲間ったって・・・ただ・・・同じ雇い主に金で雇われるだけで・・・」
「看取りがいのないやつだな」
「すまねえな・・・すぐに、終わるからよ」
そこまで言って、男は静かに目を閉じた。
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静かな山の中、時折響く鳥の声以外は
男の荒い息づかいだけしか聞こえない。
それさえも、段々と弱く、小さくなっていく。
「それで、お主よいのか?」
「・・・なにが?」
「こんな山の中で、誰にも知られず落ち葉に埋もれて死んでいく。それがおまえの望む最後か?」
「望みはしねえけどよ・・・似合いの最後じゃねえか」
「似合いとは?」
「俺もこの・・・落ち葉と同じだ・・・何の役にも立たねえで・・・腐ってくのがよ」
「ほう。落ち葉は役立たずと言うか」
「そうじゃねえか」
「違うな。木の葉というのはな、春に芽吹いてから、雨にさらされ、風に吹き付けられながら
必死に枝にしがみついて、太陽の光をその身に受けることで木の糧となっているのよ。
そして役目を終えてからもなお、地に落ちて土に帰ることで新たな木の滋養となるのだ。
立派なものではないか、ええ?その落ち葉とお主が同じとな?」
「俺は・・・この落ち葉以下だってえのかよ?」
「そうではないか?落ち葉とて、お主と同じにみられては嫌であろうな」
「なにを!?」
「ほれ」
ひらり、ひらり。
男の周りを埋め尽くしていた落ち葉が
風もないのに独りでに舞い上がっていく。
最初は数枚が、そして段々と数が増え、やがて狭い谷間中の落ち葉すべてが
ふわり、ふわりと地面から舞い上がっていく。
男から遠ざかろうとするように。
「なんだ?あんたが何かしたのか?」
「別に。私はなにもせぬよ。ただ、この落ち葉どもが、お主などと共に朽ち果てるのは嫌なのだろう。
なすべきこともなさず、力尽きる前に諦め、何も残そうとせぬお主とではな」
「く・・・くそっ・・・馬鹿にしやがって・・・!」
実際、何もしていなかった。
ただ、この谷間に降りてきたときから感じてはいたが
ここは大地そのものに濃い魔力が籠もっていた。
普遍に存在する魔力も、その濃さというとバラバラだが
ここにはかなり濃い魔力が籠もっている。
私が炎の魔法を使うのを躊躇したのも
得てしてこのような場所では魔法が暴走しやすいからだった。
そんな場所ならば、落ち葉の一枚一枚にも、何某かの魔力が備わっていたのやもしれない。
それが私の魔力に呼応して、このような反応をしたのか
それとも本当に、この男と朽ち果てることを落ち葉が拒んだのか。
本当のことはわからない。
だが、あえて後者の考えを口に出した。
今、わさわさとざわめく落ち葉の群は
私と男を取り囲むように宙を舞っている。
ぐ、ぐっと
男が腹を押さえながらも上体を起こす。
「こっちこそ・・・落ち葉と朽ち果てるのは・・・まだご免だ!」
「ほう。もうどうでもよいのではなかったのか?死んでもいいのではなかったか?」
「死ぬのはやめだ・・・まだ俺は・・・落ち葉にはなれねえ」
痛みに顔を歪めながら、男が立ち上がろうとする。
「無理はせぬほうがよい。それより、お主が望むなら、助けを呼んできてみよう。どうだ?」
「頼む」
「わかった」
まだ間に合うかどうかはわからない。むしろ間に合わない可能性の方が高いかもしれない。
それでも、この男が生きることに力を尽くそうというのなら
手助けしてやってもよいだろう。
振り向いて、元来た道に戻ろうとしたときだった。
ぶわっ
それまで谷間の底でふわふわと浮いていた落ち葉の群が
渦を巻きながら一斉に谷の上へ上へと舞い上がっていく。
「これは・・・あんたの・・・仕業か?」
「違う・・・不思議なこともあるものだ・・・落ち葉が、お主を助けるつもりなのかもしれぬ」
「落ち葉が・・・?俺を?助ける?」
茶、赤、黄・・・色とりどり、形も様々な無数の落ち葉が
風もないのに、まるで竜巻にでもなったように谷底から立ち上っていく。
「奇妙だが、美しいな」
「関心してねえで・・・早く助けを呼んできてくんねえかな」
「まあ慌てるな。なかなかの見物ではないか」
「死ぬか生きるかの・・・瀬戸際なんだよっ・・・!」
男の形相が必死になり、今にも掴みかかろうという雰囲気になったそのとき
「おおぉーぅっ!!下に誰かいるのかぁーっ!?」
崖の上から、叫び呼ぶ声が聞こえてくる。
谷底から竜巻のように舞い上がる落ち葉を見て
何某か異変があったと思ったのだろう。
「ほれ。お主の仲間ではないのか?」
返事はない。もう私の方など見てはいない。
苦痛に顔を歪めながらも、崖の上を見上げ必死に叫ぶ。
「おぉーぅぃっ!俺だぁーっ!怪我して動けねぇーっ!」
「おおーぅっ!待ってろ、今そっちに降りるーっ!」
「頼むーっ!助けてくれーっ!」
どうやら、私の出番はもう終わりらしい。
見届けるまでもないだろうし、見届けたところでこれ以上この男にしてやれることもない。
あまり人目につくのも憚られる身の上だ。
そのまま立ち去ろうとした。
「おっ、おいっ!?どこ行くんだよ?」
「もう用はなかろう?後は仲間に助けてもらえ」
「そうはいくかよ・・・まだ何も・・・礼もしてねえし」
「礼などいらん。私は何もしておらんし、お主に関わったのも、ただの気まぐれ。気にするな」
「そんな・・・せ、せめて名前だけでも教えてくれ。後で必ず礼をするから」
「名乗るほどのこともしていないよ。それに・・・礼なら、ほれ」
まだ舞上る落ち葉を指し示す。
「この落ち葉たちに言うがよかろうよ」
するするとロープが崖上から降りてくる。
長居は無用、か。
それにしても、私としたことがどうかしている。
きまぐれとはいえ、こうまで人に関わるとは・・・
立ち去る私の背中で、男の声が響く。
「絶対、忘れねえからな!いつか、きっと礼はするから!」
聞きようによっては、なんだか仇に言う台詞のようだ。
「ああ!期待しないで、待たせてもらうぞ!縁があったら、また会うだろう!」
私と縁など、ないほうがいいのかもしれないが。
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また道なき道を上って、元の山道に戻ったときには、はや日も暮れ始めていた。
「やれやれ・・・今日は野宿か。ついていない」
そして気づく。
あの男から水を貰い損ねているではないか!
「まったく・・・今日はついていない」
ついていないと言いながら、口元が緩んでしまうのはどうしたことか。
谷を挟んだ向こう側、男のいる隊商が去っていったであろう方角を見る。
急げば追いつくかもしれない。水も手にはいるだろう。そして、あの男にもまた会えるだろう。
だが、やめておく。
「縁があったら、また会うだろうさ」
ついていない一日の終わりは、なんとなく晴れやかな気持ちで過ぎていった。
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