「自転車に乗って」

第五話

ポケットの中の薬ビンを落とさないように握り締めながら
研究所の薄暗い廊下を出口まで直走りに走る。
出口がやけに遠く感じる。
ここってこんなに広かったか?
だが、遠く感じる出口がさらに遠のく。
曲がり角で立ち止まり向こうを伺うと、廊下の向こうに二人の男が立っていた。
普通の研究所の職員ならそのままぶちのめして終わりだが
この二人には見覚えがあった。
オレと同じ、タイプAのやつらだ。
相手が一人ならなんとかできるかもしれないが
オレと同じ能力を持つのが二人一緒では
やりあったところで結果は見えている。
何とか上手く誤魔化さなくては・・・
幸いまだオレが走りよっていたことには気づいていないようだ。
息を整えると曲がり角から姿をあらわして声をかける。
「緊急の任務で出動する。3号、5号は調整室でドクターの指示に従え」
「緊急の任務?我々はそのような指示は受けていない」
「われわれが受けた指示は、2号、君が再度逃げ出さないように出口を見張るということだ」
くそっ、頭の固い奴等だ。
「私は既に再調整を受けている。問題ない。UF86−R2の居場所を確認した。今から捕獲に向かう」
「待て。5号、調整室に行ってドクターの指示を確認したまえ」
「了解」
一人が調整室に向かって歩き始める。
角を曲がり、オレ達の声が聞こえなくなりそうなところまでどれくらいだろうか?
じりじりしながらタイミングを計る。
残った3号は警戒を解く様子はない。
武器こそ持ってはいないが、オレと同じ能力を持っているのだ。
・・・倒せるか?
だが、オレの心配は3号の言葉で杞憂に終わる。
「もう、いいのではないか?」
「なんのことだ?」
「キミが嘘をついていることはすぐにわかった」
そういってくるりとオレに背を向ける。
「我々は既に組織に逆らうことはできない・・・だが、こうして『油断』することはあるようだ」
「・・・3号・・・お前、自我が・・・」
「・・・わからない。これがそうなのか?君が逃げた理由を推測しているうちに、君に『同情』していたらしい」
「・・・一緒に逃げよう!二人なら追手を撃退するのも難しくない!」
「それは、できない。いまでも葛藤で心が・・・そんなものが私にもあるのだな・・・さあ、早くしたまえ」
「・・・すまない!」
3号の後頭部に死なない程度に一撃を加える。
ぐらり、とその体がくず折れるのをそっと支えてやる。
その首の後ろには、ナンバーは既になかった。
「・・・いつか、お前も取り戻せるさ・・・じゃ、あばよっ」

隠してあった自転車に飛び乗り、ようこの待つ海岸へと急ぐ。
ポケットの中の薬ビン−オレ達の希望−を時々確かめる。
零れ落ちてしまわないように
どこかに落としてしまわないように
だが、そんな思いは一瞬にして消し飛ばされる。
目の前を横切る子猫のために。
猛スピードで自転車を走らせているオレには
避けるのが精一杯だった。
バランスを失った自転車が派手な音をたてて地面を滑っていく。
オレはゴロゴロと地面を転がりながら
ああ、そう言えば記憶を無くしちまったのも、猫を避けようとしてだったなと
つまらないことを思い出していた。
どれくらいそうしていただろう。
地面に横たわり、ただ明るくなっていく東の空を見ていた。
行かなきゃ・・・ようこの所へ・・・
痛む体を引きずるようにして倒れた自転車まで歩み寄ると
地面にキラキラ光るものが散乱していることに気がつく。
ガラスの破片だった。
そして、白く丸い錠剤も散らばっていた。
慌ててポケットの中に手を入れる。
空だった。
ポケットの中身は
オレ達の希望は
地面にぶち撒かれて、夜空の星のように散らばっていた。
一瞬、頭の中が真っ白になり、その場に立ち尽くす。
やがて、しゃがみこんで錠剤を拾い集めた。
一粒、一粒。
この一粒一粒が、オレ達の明日。
これがあれば・・・
これがなければ・・・
錠剤を拾い集めるオレの手に、ポタポタと熱い滴が零れ落ちていた。

できるだけのことはした。
ビンに入っていた錠剤のどれくらいを回収できたのかはわからない。
ひょっとすると、まだ探せば見つかるのかもしれない。
でも、もう時間がなかった。
ギシギシと悲鳴を上げる自転車をこぎ海岸への道を走り始める。
夜明けは、もうすぐだ。
ふと思いつき、途中でコンビニに立ち寄り、ペンとメモ用紙を買う。
上手い言葉が見つからず、なかなか文章にならない。
そういう技能は圧縮された記憶にはなかったらしいな。
・・・ま、こんなもんでいいか。
さあ、時間がない。
もう、オレの体は悲鳴をあげ始めている。
自転車で転んだ怪我の痛みだけではない。
体の細胞全てが壊れていくような感覚。
でも、もう少しだけ頑張ってくれよ。
もうちょっとで、海が見えるんだから。
ようこが待っている、あの海辺が。
もう少しだけ、あと少しだけ・・・
彼女の元にたどり着けさえすれば
後はもういいから・・・

ようこはまだ眠っている。
寝坊助め。こんなことじゃ先が思いやられるな。
お前はこれから、一人でやってかなきゃなんないんだぞ。
何も知らずに眠っているその顔をしばらく見ていた。
いつまでも、こうしてお前の寝顔を見て居たかったよ。
でも、サヨナラだ。
例の錠剤と、簡単なメモを残してその場を立ち去る。
拾い集めた分で多分お前一人なら充分のはずだ。
オレと分け合っていたらダメだろうけど。
自転車は・・・置いてくか。
オレにはもう用がない。
もう逃げ回らないんだから。
このままどこか、静かな所に行こう。
体中がもうバラバラになりそうだけど
せめてようこに見つからないところまでは行きたい。
ヨロヨロと歩き、あてもなく海岸沿いの道を歩き始めた。
どれくらい、歩いただろうか。
どれくらい、ようこから離れただろうか。
不思議と体の痛みももうあまり感じなくなっていた。
もう、そろそろなのかな・・・
そう思ったとき、後ろから妙な音が聞こえてきた。
ギッコン・・・ギッコン・・・
ギアが軋むような音。
そして、泣き叫ぶような声。
「こんな・・・サドルの高い自転車、アタシこげないわよっ!」
振り返っちゃダメだ、と思いながらも
ついつい振り向いてしまう。
息を切らせながら自転車を押して歩いている女がいた。
「だったら・・・サドル低くすればいいだろ」
「そんなことしたら、狩野クンがこぎづらいでしょっ!」
「それはお前にやったんだよ。好きにしていいんだ」
「じゃあこのままよっ!この自転車こぐのは狩野クンなんだからっ!」
「オレはお前の自転車こぎ係か?」
「そうよっ!アナタがこいで、アタシが後ろに乗るのっ!これからもずっとそうなのっ!」
「生意気言うな。自分の苗字もわからないくせして」
「苗字ならあるわよっ!」
「?」
「アタシは、もう狩野ようこだもんっ!これからだってずっと、狩野ようこなんだからっ!」
「バカ・・・それはオレの苗字だろうが」
「バカでもなんでも、アタシはもう他の苗字なんかいらないの・・・だから、お願い」
どすん。
よろめきながら歩くオレの背中に
暖かく柔らかな体が飛びついてくる。
がしゃん、と音を立て自転車が倒れる。
「ずっと、傍にいてよぉ・・・アタシ一人にしないでよぅ・・・」
「・・・手紙読んだだろ?オレと一緒じゃ、生き延びれないかも・・・」
「アタシ一人で生き延びて、それでアタシが幸せになれると思うの?」
ちょっと考える。
ぶきっちょで、おっちょこちょいで、単純で、常識知らずの女の子が
身よりも頼れる物も金も無く
挙句の果てには謎の秘密組織に追われていて
果たして幸せになれるだろうか?
・・・無理だな。
自転車を起こして、サドルにまたがる。
「ほら、乗れよ」
「あ・・・うんっ!」
「こら、そんなにしがみつくなっ!こぎづらいだろっ?」
「えへへっ」
「えへへ、じゃねえよ、まったく。で、どこまで行きゃあいいんですかい?」
「うん、行ける所まで真っ直ぐ!」
「へいへい」
「二人でなら、何処まででも行けるよ」
「そうだな」
ホントにそうだ。行けるところまで行けばいい。
二人でなら何処にだって行けるかもしれない。
何処にも行けなくても、それはそれで構わない。
何処かに行くのが目的じゃないんだ。
二人で居ること。それが、たとえ短い時間でも・・・
「あれっ?」
「なんだよ?うわ、くすぐってえから止めろって!」
「狩野クン・・・首の後ろ、キレイになってるよ?」
「・・・へ?」
「ほら、前見たとき首の後ろに変な数字が出てたじゃない。無くなってるよ?」
「は・・はははは・・・はははははっ」
「?ナニ?なにがおかしいのよ?」
「いや・・・後で話す。いずれな。さ、とばすぞ〜っ!」
そう、何処まででも行こう。
二人で、自転車に乗って・・・

〜END〜

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