「分岐点」
第四話
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その夜は夢を見た。
昔の夢。
幼い頃。両親の顔も名前も覚えていない。
自分の名前も知らない。
物心ついた頃には、野良犬のように生きていた。
ただ、その日の食べ物を掠め取るのに精一杯の日々。
ある日、男に拾われた。
男はアタシに食べ物と、住む所と、着る物を与えた。
そして、アタシに訓練を施した。
最初は何の訓練かはわからなかった。
ただ、上手くやれば食事がもらえる。
失敗すれば、殴られる。
だから、一生懸命やった。
何年かして、訓練の意味がわかってきた。
でも、その頃にはアタシはとても上手くなっていた。
男がよく誉めてくれるようになっていた。
それが、食事をもらえるよりも嬉しくなっていた。
ところが、男がアタシの元に来なくなった。
何日も待った。
食べ物もなくなって、水だけで何日か過ごした。
それでも、与えられた部屋で男が来るのを待っていた。
他にできることがなかった。
飢え死にしかけた頃、違う男がやって来た。
その男がアタシに聞いた。『名前は?』
「名前?」
アタシには、名前がなかった。
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携帯電話の呼び出し音で目を覚まされる。
6時半・・・?
こんな早い時間に呼び出されるのは
あまりいい知らせではないような気がする。
「はい」
『私だ。朝早くにすまないが・・・』
昨晩、事情を全て説明した大幹部からだった。
「いえ、大丈夫ですが・・・何事ですか?」
『ボスが直接キミと話されたいそうだ。事情をご説明申し上げたまえ』
「は・・・私と、直接、ですか?今?」
『そうだ。今からお話になられる』
驚きと緊張に眠気が吹っ飛ぶ。
『久しぶりだな。元気でやっとるかね?』
「はいボス」
『ワシの孫をガードしてくれとるそうだね?』
「はいボス」
そこからはボスが質問して、アタシがそれに「はいボス」と答える繰り返し。
状況をアタシの口から再確認しているようだ。
やがて、ちょっと質問が変わる。
『孫は・・・ワシを恨んでおるかね?』
「いいえボス。そうは思いません」
『お前は孫を・・・立派な男だと思うかね?』
「はいボス。とても・・・とてもご立派な方です」
『そうか・・・オマエもそう思うか・・・』
電話の向こうのボスの声が途切れる。
そのまま待つ。
『よく、知らせてくれた。礼を言わねばならんな。また、よく聞き出してくれた』
「ありがとうございますボス」
『ワシは今からそちらに行く。直接、レイモンドと話をしたい。お前からレイモンドに伝えておいてくれ』
血の気が引いていくのがわかる。
ボスが、ここに来る。
そして、そのことをアタシからレイに説明しなければならない。
それは、アタシがステラではいられなくなるということだ。
それでもアタシの返事は一つしかなかった。
「はいボス」
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「大事な話って?」
まだ眠そうなレイの顔がドアから覗く。
「どうしても話しておきたい事があるの。今すぐ」
「・・・とにかく、中入ってよ・・・コーヒーは?」
「いいから、座って」
「あ、うん・・・そういえばさ、その・・・なんで戻っちゃったの?」
「え?」
「朝起きたらさ、その・・・ベッドにいなかったから」
まどろみの中で二人ベッドの中で過ごす。
アタシだってどんなにそうしたかったか。
「・・・その理由も、今話すことでわかると思うわ」
「なんなの?」
「そう・・・まずは、アタシのコト」
さあ、覚悟を決めなさい。
いずれは知られてしまうことだったのよ。
だったら、アタシの口から直接告白したほうが・・・
許してもらえる?
アタシは、レイがアタシを許す事を期待している。
殺し屋であることを偽って近づき
血にまみれた手でレイを抱いたアタシを
許して欲しいと願っている。
許されないとわかっていながら。
「・・・ステラさん?・・・どうしたの?なんで・・・泣いてるの?」
言われて気づいた。
涙があふれていた。
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全てを告白してしまえば楽になる、なんて嘘だとわかった。
胸が張り裂けそう。
空気が重い。
ただ時間だけが過ぎていく。
たとえ非難の言葉でもいい、レイに何か喋ってもらいたかった。
でも、レイは何も言わない。
うつむいて自分の手を見つめているだけ。
沈黙に耐え切れず、立ち上がる。
「・・・さよなら」
ドアの前まで来た所で呼び止められる。
「ステラさん!」
「・・・もう・・・その名前で呼ばなくてもいいのよ」
「名前がないって言ったじゃないか!だったらステラ・ロバーツを本当の名前にすればいい!」
「・・・本当の・・・名前?」
「そうだよ!そんな・・・仕事なんて止めて、普通の暮らしをするんだ!ステラ・ロバーツとして!」
「・・・できないわ・・・アタシ・・・」
「今までできてたじゃないか!ただそれを続けるだけだよ!」
「アレは・・・一時の仮の姿だからできたのよ。ずっと続けるなんてできない」
いつのまにか近づいていたレイに後ろから抱きしめられる。
「続けて欲しい。ボクのために。ステラさんのために」
「でも・・・ファミリーからは抜けられないわ」
「今から爺さんが来るんでしょ?頼んでみるよ」
「レイ・・・ホントにいいの?・・・人殺しなのよアタシ?」
「・・・今日からは違うよ」
「ダメ・・・まだダメだわ」
「どうして?」
「本当にステラ・ロバーツになるのは・・・アナタを守り通してから」
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「ボスがお呼びだ」
数台の黒塗りのリムジンがやってきて
ボスがレイの部屋に入って20分ぐらいだろうか。
廊下で待機中にボスの護衛に呼ばれた。
「失礼します」
「レイモンド、お前はちょっと席を外せ」
「これはボクとステラさんの問題でしょ?だったら・・・」
「コレは『ファミリー』の問題だ。外に出ているんだ。いいな?」
「・・・わかったよ」
アタシと入れ違いにレイが渋々と部屋を出て行く。
「どうも・・・困ったことになったな」
ボスがアタシの目をじっと見る。
「レイはお前が欲しいと言っとる。ファミリーから抜けさせろとな」
「はい・・・」
「お前の気持ちはどうなんだね?」
「ボスのお許しがあれば・・・レイ・・・お孫さんと・・・生きたいです」
「そうか・・・お前は今まで実によく働いてくれた。それには感謝しとる」
「ありがとうございます」
「だが・・・ワシも優秀な手駒をそう簡単に手放すわけにはいかん」
やはり・・・そう簡単にファミリーを抜けるなんてできない話だった。
「それに、ワシももう年だ。そろそろ後継ぎのことも考えなくてはならん。・・・わかるな?」
愕然とする。
ボスの考えがわかってしまったから。
「お前とレイは一緒になりたい。ワシはお前を手放したくない。
そして、ワシは優秀な後継ぎが欲しい。さて、どうすれば丸く収まる?
簡単だ。レイがファミリーに加わればいい。どうだね?」
「・・・はいボス」
でも、心の中の答えは違っていた。
「お前が、レイをファミリーに引き込む。やってくれるな?」
「はいボス」
いいえ、ボス。それだけはできません。
レイはこちらの世界で生きていく人間じゃない。
レイには日の当たる場所にいて欲しい。
アタシがそちらに行けないのなら・・・
レイがこちらに来ないように。
アタシができることは、もうそれだけ。
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「ねえ・・・爺さんなんだって?」
いつものようにキャンパスに向かう車の中でレイが尋ねる。
いつものように、じゃないか。
護衛のリムジンが2台、あたし達の車の前後を走っている。
「少し考えさせてくれって」
「・・・いざとなったら、二人で遠くに行っちゃおうか?」
「そうね・・・どこか、遠い所にね」
遠い所、か・・・
ふとバックミラーの中に違和感を感じる。
大型トレーラーが3台、スピードを上げて近づいていた。
「レイ・・・シートベルト締めて」
「え?」
「お客様みたいだわ」
トランシーバーで前を走るリムジンを呼ぶ。
追いつかれてはまずい。スピードを上げて振り切るしかない。
だが、気づくのが少し遅かったようだ。
後ろのリムジンが跳ね飛ばされ、トレーラーに並びかけられる。
「・・・随分荒っぽいお客さんだね」
「あまり歓迎できないわね」
後ろはもう塞がれてしまった。
前のリムジンが並んだトレーラーに銃撃を始める。
殆ど同時に、トレーラーのほうもリムジンに応戦する。
リムジンのタイヤがパンクして、速度が落ちた所をトレーラーに弾き飛ばされる。
加速して開いた前に出ようとしたが
横のトレーラーに軽く当てられ、ふらついた所をもう1台に前に出られる。
これで、3対1。しかも相手は大型トレーラー。
覚悟を決めるときがきたようだ。
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