「翼」

第5話

目覚めは最悪だった。
まだ朝も早かったが、部屋でのんびりしている気にはなれなかった。
行ってみよう。恵理子さんのいる教会へ。
そして・・・
行ってどうする?もう止めてくれとでも言うのか?
わからないまま足は教会に向かっていた。
オレのアパートからそう遠くないその教会で
恵理子さんはすぐに見つかった。
教会の庭で植木に水遣りをしていた。
「あ・・・こんにちは、カズくん。」
まるで何事もなかったようにオレに話し掛ける。
「あ・・・こんにちは。あの、少し・・・話しませんか?」
「はい。じゃあ、中へどうぞ」
「はあ・・・えっと、お邪魔します」
通されたのは、小さく質素な内装の部屋。
いかにも教会の中の一室という感じだ。
「ここに・・・住んでるんですか?」
「ええ、こちらに居る間は。神父様にお願いして宿をお借りしています」
なるほど。天使が住むにはうってつけだよな。
「それで、お話って?」
「オレの足のこと。いつまであんなこと続けるつもりですか?オレ・・・もう・・・」
「・・・後一回だけ、です」
「え・・・?」
「今までで充分な量の『力』をカズくんの足に込めたはずです」
「だったら、もういいんじゃ・・・?」
「いいえ。今まで注ぎ込んできた『力』が流れ出さないように封印しなければならないの。
これをしなければ、今までのこと、全部無駄になってしまうんです」
これ以上恵理子さんが苦しむのはつらいが・・・
今までの彼女の苦痛が無駄になってしまうのはもっとイヤだ。
「わかりました。・・・もう一つ、聞いてもいいですか?」
「なにかしら?」
「その、最後の治療が終わったら・・・恵理子さんは・・・どうするんですか?」
「・・・帰る、ことになりますね」
そうだろうな。もともとこの世界の人じゃないんだから。
聞くんじゃなかった。
わかっていたはずだが、ハッキリ言われると結構ショックだ。
「そんなにがっかりしないで。すぐには帰らないから」
「え?」
「実を言うと殆ど『力』が残ってなくて、すぐには帰れそうにないんです」
「ホント?どれぐらいコッチにいるの?」
「ハッキリとはわからないんです・・・帰れるぐらい『力』が溜まるまで、ですね。それに・・・」
「それに?」
「私自身も・・・もう少しこちらにいたいかな、なんて・・・」
顔を赤らめてうつむく彼女を見て、オレは小躍りしそうなほどだった。

「それじゃ、行ってらっしゃい」
「はい。ええっと・・・今日は少し遅く来てもらえますか?」
「はい、何時ごろがいいですか?」
「そうですね・・・」
いつも静香が帰る時間より少し後でいいだろうから・・・
「9時ごろでいいですか?ちょっと遅いけど」
「かまいませんよ。それでは、また夜に」
教会を後にして大学へと向かう。
別に授業が受けたいわけではない。
響子に会うためだ。
会って・・・話さなければいけない。
たとえそれで響子が悲しむとしても
このまま偽りの関係を続けていくよりはましだろう。
しかし、なんと言って切り出すか・・・
キャンパスは広いが響子の居場所はすぐわかった。
グラウンドで一人、ウォーミングアップをしていた。
「よう、精が出るな。もう練習か?」
「まあね。どうかなアタシ、少しはよくなった?」
「ああ。でもな・・・もう幅跳びに戻ってくれ」
「え?」
「オレはもう・・・お前と想いを共有する資格がなくなった」
「・・・そっか。友達以上はダメだったね、アタシ達」
「ゴメンな」
「いいよ別に謝らなくたって・・・でも・・・」
「なんだ?」
「あと一回だけ跳ぶよ。それでオシマイ。そしたら・・・元に戻るから」
「わかった。手伝うよ」
「バーの高さはね・・・」
それは今までの響子の自己ベストより10センチも高い。
「大丈夫か、いきなりこんな高くて」
「いいのっ。コレが最後なんだから思いっきり行く!」
何度か呼吸を整えた後、勢いよく助走を始め、そして・・・
彼女はバーを跳び越えた。

部屋に静香がやってきたのはいつもより少し遅かった。
「ごめんね〜、いつものスーパーが休みでちょっと遠回りになっちゃった」
よいしょ、と買い物袋をテーブルに下ろす。
「今日はナニ?」
「カレーだよ。好きだって言ってたよね?」
「ああ。最後に作ってくれるのがカレーならラッキーかな」
ピクリ、として静香の手が止まる。
「静香、今まで・・・」
「言わないでっ!」
静香がこんな大きな声を出したのは初めてだった。
「ゴメン・・・覚悟はしてるつもりだったけど・・・和樹いきなりなんだもん」
しばらく二人黙り込んでしまう。
「オレもカレー・・・作ろうかな」
「え・・・?」
「今日はオレも手伝うよ。一緒に作ろう、カレー」
「・・・そうだね。今日ぐらいは手伝ってもらおうかな」
「よっし、じゃオレは何からやればいい?」
「そうね・・・じゃ、たまねぎをみじん切りにして」
「お、なんか本格的だな」
トントントントン・・・当たり前だが目に染みる。
「う〜っ、染みる〜っ」
「泣くのがアタシだけじゃ不公平だもん、和樹も泣いてもらうんだから」
「あ、お前最初からそのつもりだったな!」
「アハハハハ」
だが、たまねぎを切っているのはオレなのに
笑っている静香の目にも涙が光っていた。

部屋にやって来た恵理子さんの姿を見て
自分で自分に言い聞かせる。
これで良かったんだ、と。
全て丸く収まるような、そんな虫のいい答えなんて
最初からなかったんだから。
「今日・・・響子と静香に、話しましたよ」
「そう・・・なんだか複雑ですね」
「悪いのは、オレですよ。恵理子さんはそんな風に思わなくていい」
「でも・・・お二人に合わせる顔がないです」
「それはオレだって同じ」
「本当に・・・私で良かったのですか?私はいつか・・・帰ってしまうんですよ?」
「たとえ今日恵理子さんが帰ってしまうとしてもオレは後悔しないよ」
「・・・嬉しい、です・・・」
「恵理子さん・・・」
そっと体を寄せ、彼女の肩に手を・・・
「あっ、そろそろ足のほう診ましょうねっ」
スカッ。
むう、見事にかわされてしまった。
「あら、どうしたんですか?」
「いや・・・なんでもないですっ」
悪気はないんだろうなぁ・・・天使なんだし。
「?じゃ、横になってくださいね。それと・・・もう、泣かないで下さい」
「うん・・・今日が最後なんですよね。もう止めませんけど・・・体、起こしててもいい?」
「ええ、いいですけど?」
怪訝な顔をしながら、彼女が背に翼をあらわす。
「じゃあ、始めますね」
そう言ってまた、自分の翼を引き裂き始める。
苦痛に美しい顔が歪む。
でも、オレはもう目をそらさない。
そして、彼女の開いたほうの手をしっかりと握り締めた。
「あ・・・?」
手を止めて、少し驚いたような表情でオレを見る。
そして、微笑んでまた、オレに翼を与え始めた。

何度も『泊まっていったら?』と言いかけて
結局言い出せないまま恵理子さんの帰り支度を見ていた。
早く言わないと帰っちまうぞ・・・
「恵理子さん」
「はい?」
「も、もう遅いから・・・その・・・送っていきます」
ぐわ!ナニ言ってるんだオレは!
「そうですか?ありがとう。じゃあお願いしますね」
はあ・・・オレってやっぱり優柔不断。
二人して教会まで夜道を歩き始める。
まあ、こういうのもいいかな・・・
「キレイな月ですね」
不意に空を見上げ恵理子さんがつぶやく。
オレもつられて空を見上げる。
煌煌と輝く満月に我知らず見とれていた。
だから、気づかなかった。
車のヘッドライトに。
迫ってくる車に気づいてからは
まるでスローモーションの中にいるような感じだった。
ゆっくりと、ゆっくりと。
死が近づいてくるのを、避けることもできず立っていた。
視界の端に、光り輝く翼を見るまで。
そして、オレはヘッドライトの光の渦から逃れていた。
鈍い衝撃音とともに。
我に帰ったときには、車は数十メートル先で
ガードレールにぶつかって止まっていた。
そして・・・
恵理子さんが血まみれで倒れている・・・
「恵理子さんっ!」
走りより彼女を抱き起こす。
「あ・・・大丈夫ですか?」
こんなになってるのに・・・オレのことを・・・
「私・・・忘れてました・・・今は肉体があるんでしたね・・・」
「今救急車呼ぶからっ!」
「いいえ・・・行かないで。これで・・・もうお別れだから」
「そんなことないっ!大丈夫だよっ!」
「私が・・・帰るのは・・・もう一つ・・・この肉体を失ったとき・・・」
彼女の体がおぼろげな光に包まれていく。
そして・・・少しずつ透明になっていく・・・
「行っちゃダメだ!まだ・・・行かないでくれよっ」
「最後に・・・果たせなかった奇跡が・・・起こせて・・・良かった」
抱いている彼女の体がフッと軽くなった。
泣きじゃくるオレの手には
ただ一枚の白い羽が残されていた。

それから1ヶ月が過ぎた。
オレの足は驚くほどの速さで回復に向かい
また部活に復帰することになった。
響子や静香には本当のことは話さなかった。
話してしまったら
また二人に縋ってしまいそうだったから。
「調子いいじゃないか。怪我する前よりよくなったんじゃないか?」
部長は上機嫌だ。
復帰して自己ベストを更新しつづけてるからな。
「この分なら日本記録もすぐだな」
日本記録?冗談じゃない。
オレは誰よりも高く跳ぶ。
天使に翼をもらったんだから
誰よりも高く跳べて当たり前なんだ。
「もう一本行きます」
バーを跳び越える瞬間、青い空が目に飛び込む。
この空の向こうに彼女はいるのだろうか?
どれだけ高く跳べばそこに届くのだろうか?
もっと高く。
せめてオレの想いだけでも
そこに届くように。

 

〜END〜

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