「翼」

第4話

「ねえ、昨日はあれからどうだった?」
会っていきなり響子が聞いてくる。
「何が」
「何ってさあ・・・アタシと静香ちゃんが帰って、恵理子さんと二人っきりになったんでしょ?」
「何もねえよ」
そう。何もなかった。
何も答えは得られなかった。
恵理子さんには色々聞きたいことがあった。
どこで俺の足の事を知ったのか。
何故嘘をついてまでオレの足の治療をしてくれるのか。
恵理子さんが答えてくれれば・・・
だが、何一つ答えてはもらえなかった。
ただひたすら謝罪を繰り返し、逃げるように恵理子さんは帰ってしまったのだ。
「少なくとも、お前が期待するようなことはな」
「ふ〜ん・・・そっか。そうなんだ」
「ナニ一人で納得してんだよ」
「別に〜。さ、練習、練習」
頭から無理やり恵理子さんのことを追い出す。
今は少し他のことを考えたい気分だった。

何度目かのジャンプの直後、響子がマットにうずくまる。
「どうしたっ!?」
「アタ、タタタ・・・足、足つっちゃった・・・タタ」
「はあ・・・驚かすなよ。ちょっと見せてみ」
そばによって足の具合を見てやる。
しなやかな足だったが、筋肉はパンパンに張っている。
とりあえず、部室に戻ってマッサージでもしてやるか・・・
「お前さあ、ちょっとオーバーワークじゃないの?故障したら元も子もないぜ」
「大丈夫だって・・・これぐらい」
「いや、今日はもう休んだほうがいいって」
「平気だよ・・・故障したらしたで・・・そしたら・・・」
「なんだよ?」
「そしたら佐久間くんと、同じになれるじゃん」
「バッ・・・バカ言ってんじゃねえっ!」
「どうせアタシは馬鹿だよ・・・こんなことしか考えつかないもん」
「・・・もういい」
「アタシ、佐久間くんと共通点が欲しいだけなの。陸上始めたのも
頑張って勉強して同じ大学入ったのも・・・たくさん共通するとこがあれば
ずっと友達でいられるって思ったの・・・ずっとそばにいられる・・・佐久間君に彼女ができても・・・
友達ならそばにいられるよね・・・ずっと友達ででも・・・それでもいいって・・・」
何を言ってやればいいのかわからなかった。
ただ馬鹿みたいに突っ立っていた。
「ゴメンね・・・困らせちゃって・・・今日はもう、帰る」
「響子・・・オレ・・・」
立ち去りかけた響子がクルリと振り返る。
「バカだねアタシ・・・こんなコト言っちゃったら、もう友達関係もオシマイ、かな?」
いつもの響子の笑顔だった。
ただひとつ、頬を伝う涙を除いては。

最低の気分で部屋に戻る。
自分で自分の愚かさが嫌になる。
あんなふうに響子を傷つけてまで、オレは確かな答えが欲しいのか?
いや、傷つけているのは響子だけじゃない。
静香も、恵理子さんも傷つけている。
それでもハッキリとした答えが出るまで
オレは前に踏み出せないのか?
違う。
答えが出ないから、じゃないんだ。
恐れていたんだ。
答えを出して・・・後の二人を悲しませてしまうコトを。
いつまでも、なあなあの今の関係を続けていたかっただけだ。
オレは・・・卑怯者だ・・・
考え込んでいるうちに、いつもの時間になった。
恵理子さんがやってくるはずの時間。
だが、彼女は現れない。
何度も電話をしてみようとして、そのたびに思いとどまる。
このまま、もう会えないのかもしれない。
そんな風に思っていたとき
誰かのドアをノックする音が聞こえた。
急いでドアを開ける。
「あ・・・ちょっと早かったかな・・・」
買い物袋を抱えた静香が立っていた。

「恵理子さんは?今日はもう帰っちゃった?」
「いや・・・今日は来なかったよ」
「そう・・・恵理子さんの分も材料買ってきたんだけどな」
「もう・・・来てくれないかもな・・・」
「そんなことないよ」
「なんでそんなコトわかるんだよ」
「だって、恵理子さん和樹のこと好きだもん」
「・・・そんなわけないだろ。現に今日来てないじゃないか」
「きっと、戸惑ってるんだよ、自分の気持ちに」
「だから、なんでそんなコトお前にわかるんだよ」
「わかるよ。だってアタシも和樹が好きだもの」
さらりと言ってのける。
キッチンに立っている静香の顔は見えないが
声は平静そのものだ。
「だから、昨日話しててすぐわかったよ。響子さんも恵理子さんも、和樹のコト好きなんだなって」
「お前・・・平気なのか?その・・・」
「全然平気じゃないよ〜。あせりまくってるよ?二人ともスゴイ素敵だし」
キッチンからエプロン姿で戻ってくる。
いつもの、柔らかな笑顔で。
「でも、アタシはアタシの精一杯で和樹を好きでいるよ。結果がどうなっても」
静香は、オレが思っているより、ずっと強かった。
こんな優柔不断なオレを、好きでいてくれるんだな・・・
嬉しいと同時に、申し訳なく思っていた。
「それより、恵理子さん心配だよね。電話とかしてみた?」
「いや・・・まだ」
「ダメだよ和樹、その・・・恋愛は別にしても、足のことあるんだし」
「そうだな・・・せっかくここまで治してもらったんだしな」
「そうだよ、ご飯たべたら電話してみたほうがいいよ」

ちゃんと電話してね、と念を押して静香は帰っていった。
だが、いざ電話機に向かうと悩んでしまう。
なんて話し始めればいいんだ?
昨日のことは忘れて、足を診に来てください、とでも言うのか?
悩んでいるうちにどんどん時間は過ぎていく。
今日はもう寝るか・・・
そう思ったとき、ふと廊下に面した窓に目をやると
すりガラスに人影が写っていた。
もしやと思いドアを開ける。
「あ・・・」
驚いたような顔の恵理子さんが立っていた。
「・・・ごめんなさい、こんな遅くに。あの・・・」
「中、入りませんか」
「・・・はい」
二人向かい合って座るのがなんとなく気まずくて
オレはベッドに腰をおろし
恵理子さん一人がテーブルに向かって座る。
沈黙を破ったのは恵理子さんのほうだった。
「昨日はごめんなさい」
「いや・・・オレのほうこそ・・・つまらない詮索をしちゃって・・・」
「いいえ・・・元はと言えば私が悪いんですから」
うつむいていた顔を上げる。
彼女はまっすぐ、オレの方を見ていた。
「もう・・・これ以上罪を重ねることにも・・・疲れてしまいました」
「・・・罪?」
「ええ。嘘という名の罪。罪を償うために、別の罪を犯してたんですね、私」
「・・・よくわからないけど、でも・・・恵理子さんは悪くないと思うよ」
「優しいんですね・・・でも、もう私決めました」
いつもの柔和な表情が消える。
「お話します。本当のことを」

祈るように両手を前で組んだまま
立ち上がった彼女の姿がなんだかぼやけて見える。
いや・・・
光っている。
薄ぼんやりとした白い光に彼女が包まれているのだ。
やがて、その光の向こうに
白く大きな物が見え始める。
それは、翼だった。
その姿は・・・認めたくなかったけど・・・いわゆる天使のそれだった。
驚きのあまり、しばらく言葉が出なかったが
気を取り直して話し掛けてみる。
「恵理子さん?」
つぶっていた目をゆっくりと開いてオレを見つめる。
「本当の名前は、エリニエールといいます」
「そっか・・・でも、恵理子さんて呼んでもいいかな。今まで通り」
「はい・・・もう、お分かりですね・・・私のこと」
「うん・・・でもどうして?なんでオレの足を治しに?」
「私、あの事故の時、あそこに居たんです。奇跡を起こすために」
「え・・・?」
「静香さんの命を救うのは、私が起こす小さな奇跡のはずでした・・・でも、できなかった。
ダメですよね、私。そんなこと感じるはずないのに、あのトラックが・・・怖かったんです。
あの車の前に飛び込んで静香さんを救ったのは・・・私ではなくカズくんだった。
私が恐怖におびえ、トラックの前に飛び込むのを躊躇したから・・・
私の代わりに、カズくんが奇跡を起こしてくれて、でも人間のアナタにはその代償は大きくて
だから・・・今度こそ私が奇跡を起こさないといけないんです。あなたの足に」
恵理子さんは悲しそうだった。こんな表情ははじめて見た。
「・・・なんでそんな風にしか考えられないんだよ!オレはあのことを後悔なんかしてない!」
「たとえカズくんがそう思ってくれていても、私には罪を償う義務があります」
「それじゃ・・・オレに近づいたのは・・・義務だから?」
「それは・・・」
またうつむいて黙ってしまう。長い沈黙。
やがて恵理子さんが口を開く。
「足・・・診ましょうか。まだ・・・私に診させてくれますよね?」

「まだ、アイマスクはしなきゃダメですか?」
「いえ・・・でも、約束して欲しいんです」
「なんですか?」
「絶対に、止めないで下さいね・・・」
止めるな?止めたくなるようなコトをするってわけか?
「そんなの、わかんないよ。止めなきゃって思ったら止めますよ」
「じゃ、アイマスク」
「・・・わかりました。止めませんよ。恵理子さんのこと信用してますからね」
「ありがとう、カズくん。じゃ、始めますね」
彼女の背中の翼が体を覆うような形になる。
その翼を・・・彼女は引き裂きはじめた。
「わあ!ナニやってんだよっ!」
「・・・止めないで・・・下さいって・・・くっ」
みしみしとイヤな音を立てて翼は引き裂かれていく。
恵理子さんの顔が苦痛に歪む。
「ダメだよっ!」
オレは思わず恵理子さんを抱きしめていた。
「なんでだよ・・・なんでそんなことしなきゃいけないんだよっ!」
「コレが・・・私に残された最後の力だから」
恵理子さんがオレの体からそっと離れる。
よく見れば彼女の翼は・・・ボロボロだった・・・
今までずっと、オレのために彼女は自分の体を引き裂いていたんだ。
「この翼は、神の奇跡の力の証・・・下界に下りた私に残された最後の力」
「もういいよっ!もう充分だよっ!これ以上治らなくたっていいっ!」
彼女の翼がそっとオレまで包み込んだ。
途端に、オレは体の自由を失いベッドに倒れこむ。
「ごめんなさい・・・でも、こうでもしないとカズくん言うこと聞いてくれないから」
そして、引き裂いた翼をオレの足に当てる。
オレの足が光に包まれ、あの熱いような、痺れるような感覚が伝わってくる。
そしてまた、あのみしみしというイヤな音が聞こえてくる。
「くっ・・・あうっ!」
「止めてくれっ!もう止めてくれっ!」
悲しかった。ただ、泣き叫ぶことしかできなかった。
好きな人が、自分のために犠牲になっていく苦しみ。
好きな人・・・?
そう、オレは・・・恵理子さんが好きなんだ・・・

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