「翼」

第2話

久しぶりにキャンパスに足を向ける。
授業とか単位のこととか考えると気が重いのだが
アパートでゴロゴロしてるのもつまらないし、といってたいして行きたい所もない。
いってみれば暇つぶしだ。
学食にでも行って、と思ったら声をかけられた。
「佐久間くん?ひさしぶりね」
「おう、響子か。お見舞いサンキューな」
中沢 響子。オレが所属する陸上部の同級生だ。
「いつから学校きてたの?」
「ん、今日から」
「そう・・・部室にはもう行ったの?」
「いや・・・高橋さんから聞いてないのか?」
「聞いたわ。退部届、出したんでしょ」
そう。見舞いにきてくれた部長の高橋さんに
オレは退部届を渡している。
マネージャーとして残ったらどうか、とも勧められたが
かえってつらいから、と断ったのだ。
今になって回復の望みが出てきたからといって
やっぱり戻りますともいいづらい。
「ああ・・・だからもう部外者だよ」
「部長ね、退部届は預かってるだけだって言ってた」
「え?」
「佐久間くんが大学に戻ってくるまでは退部にはしないって」
「そうか・・・」
「さ、部室行こうか?どうせヒマなんでしょ?」

残念ながら高橋部長は部室にはいなかったが
何人かの部員と久しぶりに顔を合わせた。
皆がそれとなく気を使ってくれているのがわかる。
以前なら、かえって気に障っていたかもしれないが
今はそれが嬉しい。
皆に足が回復するかもしれないことを知らせようかと思ったが
必ず回復すると決まったわけでもないしな・・・
もう少しリハビリが進んで、目処が立ってから、ということにした。
しばらく談笑していると響子が声をかけてきた。
「ねえ、ちょっと練習つきあってよ。フォームとか見てほしいの」
「今からか・・・ってお前幅跳びだろ。吉井さんにみてもらえよ」
「あー・・・まあ、いいから付き合いなさいって」
響子はさっさと更衣室に行ってしまった。
 オレは走り高跳び。響子は走り幅跳び。
一文字違いだが中身は全然別物だ。
オレが教えてやれるようなことなんてないぞ・・・
「いいの?吉井さん」
「ああ、中沢のコーチは今やお前しかいないからな」
「いや、オレ見たってわかんないっすよ?」
「いいから早く行ってやれよ」
ニヤニヤ笑いを浮かべている先輩を後にしてグラウンドに向かった。

「遅いわよ〜」
グラウンドではすでに着替えた響子が待っていた。
走り高跳びの準備をして。
「・・・なにやってんだ?」
「なにって、アタシ練習するんだけど」
「練習って・・・お前、幅跳びだろうが!」
「・・・転向したのよ」
「転向って・・・いつ?どうして!?」
「最近。記録伸びなかったし」
嘘だ。オレが事故に遭う前から、響子はどんどん記録を更新していた。
オレと並んで、弱小陸上部の期待の星ってとこだったはずだ。それを・・・
「ねえ!跳ぶから見ててよね!」
言うが早いか、響子は助走を始めていた。
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「どうだった?」
「全然ダメだ」
「うわ、きびしいね」
「進入の角度も、踏み切りのタイミングも、フォームもメチャクチャだ」
「はあ・・・やっぱりね。佐久間くんが跳んでたの思い出してやってみたんだけど」
「もう一度聞くぞ。正直に言ってくれ。なんで転向した?」
マットに座ったまま、響子はオレの目を見ていたが
やがてうつむいて話し始めた。
「アタシ、見ちゃったんだよね」
「何を」
「病院でさ・・・佐久間くんが泣いてるの」
「え・・・オレが?いつ?」
「アタシがお見舞いに行ったとき、佐久間くん病室にいなかったときがあって
看護婦さんに聞いたらたぶん屋上だって言うからアタシ行ってみたんだ」
あ・・・ひょっとして
「佐久間くん、杖なしで歩こうと・・・走ろうとしてたよね。ジャンプしようとしてたよね・・・
でも、できなくて・・・転んで・・・自分の右足見て泣いてた・・・泣いてたよね」
「見てたのか・・・あれ」
「うん。でもね、別に佐久間くんの代わりに、とかいうんじゃないよ」
「じゃあ、なんだよ」
「上手く言えないけど・・・佐久間くんはきっと戻ってくる。足を治して、またゼロからでもスタートを切る。
そのときは・・・アタシも一緒に、ゼロからスタートを切りたい。同じ種目で。そう思ったの」
「妙なこと考えやがって・・・」
「うん。自分でも変だと思う。でも、どうしてもそうしたかった」
「まだオレはスタートしてないぞ。スタートしたってゼロからってよりマイナスからだし」
「そんなのすぐだよ、きっと。だからよろしくね、コーチ」

響子の練習に付き合ってからアパートに戻るともう夕方近かった。
やがて約束の時間どおりに恵理子さんがやって来た。
「こんにちわ、カズくん」
「こんちわ、恵理子さん」
「それじゃ、早速はじめましょうか」
そう言って彼女は持ってきたバッグのなかをゴソゴソ探し始めた。
「えっと・・・あ、あった。はいコレ」
彼女に手渡された物を見る・・・アイマスク?
「あ、あとコレもね」
さらに、耳栓?・・・なんだってこんな物を?
「あのー?」
「なあに?」
「これ・・・なんに使うんです?」
「え・・・これはホラこうやって目のトコに当てて」
「いや使い方はわかりますけど・・・オレが聞きたいのは・・・」
「ああ、コレはね、こうやって耳にはめて・・・」
「違いますよ!オレが聞きたいのは、なんでアイマスクと耳栓がいるのかってこと」
「アナタがつけるのよ、治療中」
・・・だから、何故?
「は〜い、じゃあそこのベッドに横になってくださいね〜」
まあ、いいか。オレは言われたとおりに横になる。
「いい?じゃアイマスク、かけてくださいね」
「はあ・・・」
「あっ、耳栓も忘れないで下さいね」
これで何も見えず、何も聞こえない。いったいどうしようってんだ?
あ・・・
誰かがオレの足に触れている。
誰か、って部屋にはオレと恵理子さんしかいないんだから恵理子さんに決まってるが。
柔らかく、暖かな手。優しくオレの足に触れている。
視覚も聴覚もない分、触覚による刺激が強烈にオレの脳を刺激する。
やがて、手とは違う感触のものが足に触れる。
手よりももっと柔らかで、手ほどは暖かくない・・・
なんだ、これ?
そして、それが触れた部分に軽く電気が走るような感覚。
内側から熱くなるような感覚。
さまざまな感覚が足から伝わってくる。
それらの感覚に身をゆだねていると、また新しい感覚が伝わってきた。
なにか暖かい液体の雫が、オレの足にこぼれている。
そんな感覚だった。

どれくらいの時間がたったのだろうか。
やがて、恵理子さんがアイマスクを外してくれた。
「はい、今日はオシマイです」
「え・・・えっと、何か足の運動とかしないんすか?」
「ええ、私のやり方では。でも、ちょっと動かしてみてください」
恐る恐る、右足に神経を集中して動かそうとする・・・
!!!
「動く!動きますよ!」
それはほんのちょっとだった。
動いたともいえないような、僅かな動き。
でも、今までどんなに頑張ってもできなかった動作。
それを今、オレはやってのけていた。
「よかった・・・」
恵理子さんがホッとしたようにつぶやく。
・・・なんだか疲れたように見えるのは気のせいだろうか。
それに、目が赤い。
・・・泣いてた?
あの、足にこぼれた雫は、涙?
オレの視線に気づいたのか、彼女はふっと顔をそらした。
「それじゃ、私失礼しますね」
慌てたように立ち上がって、バッグを持つとドアに向かう。
「恵理子さん!」
ドアの前で、立ち止まるがこちらを振り向かない。
「なんですか?」
「あの・・・ありがとう。ホントに、ホントにありがとう」
クルリと振り向いた彼女の顔は
寂しげに微笑んでいた。
「いえ・・・いいんですよ。ではまた明日ね、カズくん」

恵理子さんが帰った後、しばらくオレは彼女のことを考えていた。
確かに彼女の治療は効果があり、そのことについては感謝してもしきれないほどだ。
だが・・・何故泣いていたんだろう。
同情、だろうか。
よくわからない。
オレは彼女について、知らないことばかりなのだ。
明日はもっと、話をしてみよう。
治療のことでなく、恵理子さん自身のことをもっと知りたい。
彼女の寂しげな笑顔が目に焼き付いてしまったような気がした。
「和樹〜、入るよ〜」
一人物思いにふける夕暮れも、静香がやってくるまでだった。
「ね、どうだったのリハビリって?」
「おお、効果あったぞ。まだちょっとだけどな」
「そう・・・じゃあ今日はお祝いだねっ」
「お、なんかご馳走でも作ってくれるとか?」
「ま、期待して待ってて」
本当に嬉しそうに台所に向かう。
「ねえ、そのリハビリの先生ってさ・・・」
「あー?」
「どんな人?アタシも一度会ってお礼が言いたいな」
「いや、オレもまだ会って2日目だからよくは知らないんだけどな」
「・・・キレイな人?」
「あー・・・うん、まあそうかな。ただ・・・」
「ただ・・・ナニ?」
「いや、ちょっと変わった雰囲気の人かなって・・・おい、なんか焦げ臭いぞっ」
「え・・・キャ〜!?」
やれやれ。お祝いのご馳走はまだお預けかもしれないな。

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