「翼」

第1話

痛む足を引きずってアパートに戻ると、見知らぬ若い女性がオレの部屋の前に立っていた。
「佐久間 和樹サン・・・ですね?」
オレの右足と松葉杖にチラリと目をやり確認する。
「そうですけど・・・何か?」
「私、大塚病院さんからの紹介で参りました。高井 恵理子と申します」
ちょっと期待はずれな答え。
『実はアナタに一目ぼれしちゃったんですぅ!』とかいう返事が・・・
くるわけないか。
しかし、いまさら病院が何の用だってんだ?
「ああ、えーと、何でしょうか?」
「実は・・・」
そこで口篭もる。おお!?やっぱり一目ぼれ?
「これから佐久間サンのリハビリのお手伝いをさせていただきたいと思いまして・・・」
やれやれ、だ。オレの足をこれ以上どう治すってんだ?
4ヶ月前の交通事故でオレの右足はズタズタになってしまった。
医者によるとナントカ筋とかナントカ骨だかなんだかがいかれてしまったんだそうだ。
よくはわからなかったが、陸上選手としてはもうオシマイだってコトだけはわかってしまった。
どうにか杖があれば一人で歩けるようになった。
いつまでも病院には居たくなかったのでさっさと退院したのが三日前だ。
これ以上病院にいても、オレの足は元には戻らない。
まあ、杖ナシで歩けるようにはなれるかもしれないが。
リハビリ、か・・・気乗りのしない話だが・・・
目の前の女性を今一度よく見てみる。
年はオレと同じぐらい・・・いや、ちょっと年上だろうか?
透き通るように白い肌。長い黒髪。柔らかな、歌うような喋り方。
にこやかな表情だが、その瞳に憂いの色が見えるのは俺の気のせいか?
・・・こんな美人とならいいかな・・・
ちょっとの間、オレは見とれてしまっていたようだ。
彼女の問いかけで我に帰る。
「あの・・・佐久間サン?」
「あ!いや、どうぞ中で・・・立ち話もなんですから」
その瞬間、彼女の瞳から憂いが消えたように見えた。
「はい!それではお邪魔いたします」
輝くような笑顔で答える。
また危うく見とれてしまいそうになるほど、魅力的な笑顔だった。

退院して間もないコトが幸いして部屋の中は片付いている。
「いまお茶でも入れますから」
「あ・・・よろしければ私やりましょうか?」
「いや、お客さんにそんな・・・」
「いいんですよ。えっと・・・何がいいかしら?コーヒー?」
止めるより早く彼女はキッチンでお湯を沸かし始める。
なんだか申し訳ないが、まだ足が痛むから正直言って助かる。
「じゃ、コーヒーお願いします。インスタントしかないですけどね」
「ミルクとお砂糖は?」
「あ、砂糖だけでいいです」
しばらくしてテーブルに並ぶコーヒーカップ2つ。
なんだか幸せな気分になってしまうが、ずっとこうしてお茶してるわけにもいかない。
「それで・・・リハビリのことなんですが・・・」
「あ、そうでしたね。ごめんなさいのんびりしちゃって」
「単刀直入に聞きます。どこまで治りますか?」
無駄な質問だっただろうか。
すでに担当の医者に宣告されているのだから。
キミの足は、元には戻らない。
日常生活に困らない程度には回復するが、もう、走ることは難しいだろう。
これが宣告。
走り高跳びなんて、もうできっこない。
オレの質問に、彼女はしばらく黙って目を伏せていたが
やがて顔を上げてはっきりと言った。
「治ります。元通りに。また走り、跳べるようになります」
その言葉を聞いたとき、何か満たされる思いだった。
ずっと、待っていた言葉だった。誰かに言ってほしかった言葉だった。
「でも・・・」
「・・・でも・・・なんですか?」
「私は大塚病院さんの職員では・・・いえ、医師でもないんです」
「え・・・じゃ・・・どうして治るって」
「私には、研究している治療法があるんです。アナタのような症例の患者さんのための」
「つまり・・・モルモットになれと言うわけですか?」
「その言い方は好きではありませんが・・・否定はしません」
「成功する確率は?」
「・・・わかりません。失敗しても、今より悪くなることはありませんが・・・」
なるほど。だったら話は簡単だ
「じゃ、いいじゃないですか」
「それじゃ・・・私に?」
「ええ、ヨロシクお願いします、先生」
この人を信じよう。初対面で、何も知らない相手だったが
この人なら信じられる。そんな気がした。

「それでは、今日はこれで・・・」
「はい、先生。どうもありがとうございました」
「・・・あの」
「はい?」
「その・・・先生って呼ばれるの、ちょっと・・・」
「え、じゃ、えーと、高井サン?」
「エリ、でいいですよ。恵理子のエリ」
「いや、だって・・・高井さんてオレより年上・・・でしょ?」
「・・・ちょっとだけです」
少しふくれたような表情になる。なんか、可愛いなこの人。
「じゃ、呼び捨てもなんだから、恵理子さん、でいいですか?」
「はい!・・・佐久間さんはなんて呼んでほしいですか?」
「は?・・・えっと、皆はただ和樹って呼んでますけど」
「じゃ、カズちゃんね?」
「いや、ちゃん付けはちょっと・・・ただ和樹でいいですよ」
「和樹ちゃん?」
「・・・だから、ちゃん付けは・・・」
「じゃあ、カズくん・・・でいいかしら?」
カズくん、か。小学生の頃近所のお姉さんにそうよばれていたっけ。
そういえば・・・なんとなく恵理子さんてあのお姉さんに似てるよな・・・
オレの実らぬ初恋の相手のあの人に。
「・・・それでいいです」
「じゃ、また明日ね、カズくん」

恵理子さんが帰ってから、しばらくオレは彼女のことで頭が一杯だった。
いろいろ想像をめぐらせてみるが
知っていることが少なすぎて単なる想像の域を出ない。
しばらくぼーっとしていたが、誰かが鳴らすドアのチャイムの音で我に帰る。
いや、誰か、というのはうすうすわかっているのだが。
「和樹〜!いないのぉ〜!」
やっぱり、静香だ。森沢 静香。
病院に入院してる間もそうだったが
退院してからも毎日オレの部屋に来ては
何かとオレの面倒を見ようとする女の子。
別にオレの彼女、ってわけでもないのだが・・・
「どうぞ〜!入れよ〜!」
勢いよくドアを開けて静香が入ってくる。
「ごめ〜ん!遅くなっちゃったね。ね、晩御飯まだでしょ?」
「まだだけど・・・また作りにきたの?」
「うん」
「・・・あのさぁ、オレもう大丈夫だから退院したんだぜ?」
「それは・・・わかってるけど」
「助かってるのは事実だけど・・・でもお前にはお前の生活があるだろ?」
「あ、アタシなら平気だから。だから・・・」
「学校行ってバイト行ってオレの面倒みてじゃ大変だって」
「だって・・・和樹の足は・・・アタシが」
「違う!!」
「ご・・・ゴメン」
うつむいて口篭もる。いままで何度も繰り返した会話。
4ヶ月前の交通事故。
居眠り運転のトラックに跳ねられそうになっていた女の子。
オレが飛び込んでその子を突き飛ばし
間一髪で女の子は助かったが・・・代償にオレは右足の自由を失った。
その女の子が静香だった。
別に後悔はしていない。人一人の命を救ったのだから
むしろ誇りにさえ思っていた。
だが、静香にはオレの右足が負い目になっているのだろう。
そんな風に感じる必要なんてないのに。
「・・・腹減ったな・・・」
「え・・・」
「今日の晩飯はなんだ?」
「あ・・・時間ないから・・・パスタ」
「パスタぁ?なにカッコつけてんだよ。要するにスパゲッティだろ」
「パスタはパスタだよ」
「なんのスパゲッティだ?」
「アサリとしめじのパ・ス・タ!」
変なトコこだわるヤツだ。
「すぐできるから待っててね」
「3分ぐらいか?」
「そんなすぐにできないよ〜」
こうしてまた同じように静香に面倒を見てもらうことを繰り返す。
いつまでもこんなこと静香にさせるわけにはいかない。
今まではそんな思いがオレをいらだたせていた。
でも・・・今日はいいニュースがあるのだ。

食事が終わってから、今日の出来事を静香に話す。
リハビリのこと。回復の可能性のこと。
「それ・・・ホントなの」
「ああ。まだ実験みたいなもんらしいけど、成功すれば、な」
「ホントに?アタシに気使ってウソついたりしてないよね?」
「んなことするか」
「・・・よかった・・・」
静香の目に涙が浮かび、やがてポロポロと零れ落ちる。
それを見てオレも胸が熱くなる。
「今までありがとうな」
「ううん・・・でも・・・」
「なんだ?」
「もう少し、アタシにお世話させてね」
今までは終わりが見えなかった。
彼女の心から、オレに対する負い目を取り除いてやれる見込みがなかった。
だから、受け入れることに躊躇していた。
でも、今は違う。
オレがまた走れるようになって
また走り高跳びができるようになれば
もう負い目を感じることもなくなるだろう。
静香は自分の生活に戻っていくことができる。
「そうだなぁ、もうちょっと料理が上手ければ頼むんだけどな」
「2回もお代わりしてナニ言ってんのよっ」
「それはただ腹が減ってたからだ」
「じゃ、デザートあげない」
「なに?そんなの用意してたのか?」
「うん。冷凍庫にジェラートはいってるの」
「ジェラートぉ?アイスだろ、要するに」
「ジェ・ラ・ア・ト!和樹にはあげないもん」
「これからもよろしくお願いします静香サン」
「わかればよろしい。イチゴとチョコとどっちがいい?」
「あ、オレチョコ」
楽しい夕食だった。
明日に希望がある幸せを久しぶりに感じていた。

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