幼少時代

3歳になり、だいぶ言葉も覚えてきた。しかしまだ立つことも自分で移動することも出来ない状態だった。3歳になればだいたいの子は保育園へ行っているものだが、僕はまだ行っていなかった。隣の家に僕と同い年の女の子がいて、その子が保育園から楽しそうに帰ってくる姿を見て僕は、
「僕も保育園行きたい。」
と母に言った。そうすると母は、市役所へ行き、障害児を受け入れてくれる保育園があるか探してくれた。幸い家から近い所に見つかったので、さっそくそこへ入園させてもらうことになった。保育園ではみんなと歌ったり工作をしたりと、今までになかった楽しい毎日を友達と過ごしていた。しかし僕には1日4回の訓練が必要である。そこで母は園長先生に訓練用の台を、保育園に置かせてもらえるように頼んだ。園長先生は快く許してくれ、母が午前中に保育園へ来て、訓練をすることになった。しかし僕は、
「今から楽しい時間なんや。訓練せえへんで帰って!」
と母に言ってよく困らせた。そこで園長先生が、
「お昼寝の時間にされたらどうですか?」
と言ってくれ、そうすることになった。
また舞鶴にリハビリをしてくれる整骨院が出来たと聞き、保育園が終わる3時に母が迎えに来て、その足で舞鶴まで行っていた。
このころの僕は母に通訳をしてもらわないとわからないほど、言葉が聞き取りにくかった。そこで母は車の中から店や道路標識の看板を指で差し、それを僕が読んで言っていた。家では親戚などの電話番号を紙に書いてもらっておいて、そこへよくかけていた。1日に何度もかかるので何かあったのかと間違われるくらいだった。こういうことが言語訓練になり、字を覚えたり言葉がはっきりしていったのだと思う。

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