中学生時代


中学校はそのまま中丹養護学校中学部へ進んだ。この頃の移動も3輪車だったが、毎日の訓練のお陰で、かなり長い距離も歩くことが可能となっていた。1年生の2学期に担任の先生が、
「だいぶ歩けるようになってきたし、学校内の移動を全部歩いて頑張ってみたらどうかな。」
と言われ、僕も自信がついてきていたので、頑張ってみることにした。初めの頃は、日に何度も転ぶこともあったり、すぐに疲れたり、僕にとっては厳しいものだった。しかし自分で歩いて好きな所へ行けるということで嬉しかった。3年生頃になると、歩いての移動が普通となり、転ぶ回数も疲れる量も減っていった。
3年生も後半になり、進路をどうするか迷っていた。そんな2学期の初めに国語の先生から、人権作文コンテストのことを聞いた。その時、自分が書いてもっとみんなに障害のことを理解してもらおうと思い挑戦することにした。これまで自分は訓練をし、周りの人たちの協力があり、歩けるようになったという自分史を書いた。右手が不自由な僕は、昔から左手で筆記から食事に至るまで何でもしていた。左手で書くといってもスピードは遅いし奇麗にはなかなか書けなくて、誤字や表現の悪い所などが出て何回も清書した。そして何とか締め切りの日までに書き終え出すことが出来た。
11月も終わろうとしていたある日、登校してきた僕は、先生から驚きの知らせを聞いた。何と僕の書いた作文が、京都大会で最優秀賞に選ばれ、全国大会でも優秀賞に選ばれたというのだ。最初は信じられなくて頭が真っ白になったが、嬉しさでいっぱいになった。この賞は自分1人でもらえたのではなく、これまでの家族や先生や友達の協力や励ましがあって自分も頑張ることができ、それが実ってもらえたのだと思った。
この受賞がきっかけで進路について迷っていた自分の気持ちに決心がつき、中丹養護学校高等部へ進み大学進学を目指す方向で頑張り始めた。

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