誕生

昭和54年6月20日午後0時30分、僕は生まれた。生まれる時、僕の首にはへその緒が3回も巻きついていて、体の色は紫色で、酸素不足になっていた。医者や看護婦さんがお尻をたたいたり、逆さづりにしたり、いろいろしたけれどなかなか泣かなかった。そのようなごとをしているうちに「オギャー,オギャー」と火がついたかのような声を上げた。それから母と数日間入院した後、家での生活が始まった。
僕の家族は父と母と姉の4人である。僕が初めての男の子だったので、家族や親戚から「跡取りが出来た」と喜ばれ、かわいがられた。そうしているうちに3ヶ月が経って、3ヶ月検診を受けたが異常はなかった。それからも僕は元気に成長していたが、ある日、祖母が僕の体に異常があることに気付いた。
「この子、首の座りが遅いな。」
確かに抱き上げた時、首を支えていないと後ろへガクッとなったそうだ。
それから8ヶ月検診を受けに父と母で行った。そこで医者に聞かされたのは、
「お父さん、お母さん、この子は脳性小児麻痺のため、もしかしたら寝たきりの体になるかもしれません。重大に考えてください。この子には訓練が必要ですから、京都の病院へ行ってください。紹介状を書きます。」
であった。その時父と母は一瞬、驚きとショックで頭の中が真っ白になったそうだ。しかし帰りの車の中で、僕の顔を見ながら母は、
『先のことは医者にもわからへんのや。こんなコンニャクみたいな体や。絶対に寝たきりにさせへん。正人を歩かせてみせる。』
と言い、落ち込む父を励まし、決意した。
それからすぐに京都の病院へ行き、母と僕は入院した。入院しながらドイツから伝わったボイター法という訓練を母は習った。1日4回というとてもハードなものだったが、母は頑張って覚えて訓練してくれた。「ギャー、ギャー」と泣き叫ぶ僕をあやしながら頑張った。1ヶ月ぐらいして退院してからも1日4回の訓練は続けられ、2週間毎に京都へも通院した。

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