小学生時代

保育園を卒園し、その春休みは4月からどこの小学校へ行くか、父と母と3人でいろいろな施設や養護学校などを見学していた。ある日、中丹養護学校へ見学に行った。
その時、母は教頭先生に
「ここには訓練で腕の良い先生がいます。是非ここに決めてあげてください。」
と言われた。いろいろ回って迷っていた母はこの言葉で決心した。『何としても歩かせる』という一心からであった。そして僕は中丹養護学校小学部へ入学した。
学校では、移動はほとんどが車椅子か先生に抱っこしてもらうかであった。勉強の方は、いろいろな教科があり初めは戸惑うこともしばしばあった。それでよく泣いていたのを覚えている。でも徐々に慣れていき、友達もでき、楽しい学校生活を送っていた。
3年生になり、学校での移動は遊び用の3輪車を漕いで移動できるまでに至っていた。しかし立つことも歩くことも先生の支えがないとできない状態だった。家での訓練も1日4回欠かさず母にしてもらい、学校でも先生に動作法という機能訓練をしてもらって、それを毎日続けた。
そして5年生の夏の訓練の時間、いつものように最後に廊下を歩くことになった。そこでとうとう自分の足で立って歩けたのである。1歩2歩と先生の支え無しに歩けたのだ。大変厳しい訓練だったけれど、自分で歩けるというのは本当に素晴らしいことで、言葉で言い表わすことが出来ないほど嬉しかった。家族や先生たちも心から喜んでくれた。そして僕はもっと上手に歩けるようになりたいという気持ちが生まれ、その目標に向かって、これまで以上に訓練を続けた。

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