Fummy in HEW Cyclassic
別府史之がドイツの HEW Classic に出場する。 出走リスト (PDF) を見ると… T-mobile には Ullrich、 Cofidis には O’grady、 Quick Step には Boonen などのビッグネームが (Boonen はツールで落車したときにケガした膝は治ったのだろうか)。
スゲースゲー。 ホントスゲーよ。
残念ながらゴール手前 50km でパンクのためリタイヤとなった。

別府史之がドイツの HEW Classic に出場する。 出走リスト (PDF) を見ると… T-mobile には Ullrich、 Cofidis には O’grady、 Quick Step には Boonen などのビッグネームが (Boonen はツールで落車したときにケガした膝は治ったのだろうか)。
スゲースゲー。 ホントスゲーよ。
残念ながらゴール手前 50km でパンクのためリタイヤとなった。
明日から約 1 週間の日程で、 Tour de France を観に行ってくる。
当初 Paris のゴールだけ観れればいいと思っていたけど、日程的に前日の St. Etienne の個人タイムトライアルも観れそうだ、と直前になって調べ始めたけど、宿も TGV も予約でいっぱいだった。 残念。
AOL Music にある Backstreet Boys の I Want It That Way のスタジオ・ライヴ、 Human League の Human とミックスしてある。
2002 年にニューヨークではじまり、昨年 2004 年にはサンフランシスコでも開催した Bicycle Film Festival が今年 2005 年にいっきに拡大し、東京を含む世界の 5 都市で開催される。
もちろんあの Lucas Brunelle 氏の暴走ヴィデオも出品されている。 我らが日本からは、昨年 5 月に開催された Kyoto LOCO 2004 のドキュメンタリーヴィデオ MSGR-Holic vol.1 Kyoto LOCO 2004 が出品されている。
HOTWIRED で取り上げられた「固定」の話。
これは禅に通じる。いったん道路の流れになれてしまえば、その混沌の中で漂うことができる
「混沌のなかで漂う。」 そう、街乗りの真髄はこれだよなあ。 まあすでに若者でもないわけだけど。
うぉ、日本で公開されるなんて。 期待していなかっただけにちょーうれしい。
これは文藝春秋 2000 年 11 月号に掲載された阿川弘之氏の文を要約したものです。
2000 年 7 月 4 日、 20 世紀最後のアメリカ独立記念日を祝う洋上式典に参加するため、
世界各国の帆船 170 隻、海軍の艦艇 70 隻がニューヨーク港に集結した。翌日の 5 日に英国の豪華客船「QE II」が入港してきたのだが、折悪しくも 2 ノット半の
急流となっていたハドソン河の流れに押された巨大な客船は、あれよあれよと言う間もなく、
係留中の我が海上自衛隊の自衛艦「かしま」の船首部分に接触してしまったのである。着岸した「QE II」からすぐさま、船長のメッセージを携えた機関長と一等航海士が謝罪に
やってきた。相手の詫び言に対応した「かしま」艦長はこう答えた。「幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。それよりも女王陛下にキスされて光栄
に思っております」
これが何千人もの船乗りたちの間で大評判になり、ニューヨークだけでなく、ロンドンにも伝わ
って「タイムズ」や「イブニング・スタンダード」も記事にし、日本のネイバル・オフィサーのユーモ
アのセンスを評価する声が高かったそうである。
「かしま」艦長、上田勝恵一等海佐の対応の見事さは勲章ものではないでしょうか。
粋だねえ。
なにこの激シブシューズ。 それでいて LOOK、 SPD-SL、 TIME のクリート対応て。
ウェアはなにが似合うだろう? 上はニットのジャージにするとして、下は?
我ながらバカなことを思いついたものだ。 この連休中に、浜松の友人を訪ねに、自転車をつかった。 手元のサイクルコンピュータの記録は以下のとおり。
友人は浜松から 10km ほど手前の磐田市に越していた。 3 日の朝に東京は根津のうちを出発し、翌日の午後 3 時には磐田駅に着いた。 3 日目は浜名湖を一周。 4 日目には新幹線で輪行して東京に戻った。
30 にして学生のような冒険。
5/3 の朝。 目覚ましをかけていたにもかかわらず、 8:00 に起きてしまった。 予定より 2 時間の遅れ。 幸先が悪い。 夕べ食べたペペロンチーノのせいか、息がにんにく臭い。 シャワーを浴び、入念に歯を磨く。 朝食はパンケーキにするつもりだったが、タマゴをきらしていた。 ついてない。 なんとなくイヤな予感を感じながら、落ち着きを取り戻そうと努力する。 ここであわてるときっと大切なものを忘れものする。 そして案の定、ケータイの充電器を忘れた。
午前中には実家にたどり着き、シュラフを受け取った。 その後 2 時間半かけて小田原へ。 小田原祭の真っ最中。 すこし足を止めたが、 2 時間の遅れを取り戻すため、今日中の箱根越えを目指して歩 (?) を進めることにした。
しかし滝廉太郎の唄った天下の険はダテではなかった。 何度もこんなバカなことをやろうと思いついたことを後悔した。 何度もシフトダウンしようとして、最後の 1 枚だったことに落胆した。 そのハエのとまりそうな勢いに、サイクルコンピュータに目を落とすのがイヤになった。 その後 2 時間かけて、何度も何度も足をついて登ったが、日没直前に着いたのは芦ノ湖。 日没後の降りを走る勇気はなかったので、標高 800m の冷えに対する恐怖もあったが、ここで一泊することにする。 それでも国道 1 号線最高地点の標高 874m の看板を見た瞬間は、大きな達成感を感じた。 これがあるから自転車はやめられない。 この看板から元箱根 (芦ノ湖) までは降るだけ。 これがまた身体をどんどん冷やす。 サイクルジャージだとすこしはマシなのだろうか? 旅館案内所で温泉に入れるところをきき、割引券をもらって疲れた体を癒した。
箱根登山の途中、抜きつ抜かれつした MTB 3 人組 がいた。 お互いに挨拶をし、ときには励まし合った。 芦ノ湖のセブンイレブンでばったり会う。 3 人は先の道の駅まで行くとのこと。 7 も寝るところを捜しているところだったので、ご一緒させてもらうことにした。
元箱根から 20 分くらい R1 を登ると、その道の駅に着いた。 そこは夕暮れの芦ノ湖を一望できる、すばらしい眺めのところだった。 しばらくすると、 MTB とママチャリ (!) のふたり組が到着した。 しばし水分と食料補給をしたのちに、先を急いでしまった。 MTB の 3 人は前に会っていたらしく、ママチャリで箱根の峠を登っていたとのこと。 しかもママチャリのほうは荷物満載。 MTB のほうの荷物も持ってあげているとのこと。 完敗である。
MTB の 3 人はバイクで来る友人を待っていた。 復路の降りの照明として使うのだそうだ。 彼を待つあいだ、自転車のギアを一番軽くしてスプリントタイムトライアルなどという遊びを駐車場内でしていた。 当然ギア比の関係で一番有利だった 7 がダントツで勝った。 ビンディングペダルのためスタートにハンデがあったが、バイクのスペックの差が出てしまった。 こういった勝負はフェアな条件でやりたかったが、仕方がない。
しばらくして友人到着。 5 人でビールを空けた。 全員で写真を撮り、写真を送る約束をして握手を交わす。 短い間だったけれど、楽しかったと。
防寒具はスウェットの上下と実家から借りたシュラフだけだったが、標高 800m の冷えはしのげた。 ただし朝の冷え込みの中、シュラフから抜け出すのは相当の努力が必要だった。 自動販売機の缶コーヒーで身体を温め、夕べ芦ノ湖のセブンイレブンで買ったサンドイッチとクリームパンを胃に収めて、箱根の山を降る。
ジテツーをはじめて、朝食をきちんととるようになった。 というか朝食をとらないと走れない。 朝はパン食なので、必ずコーヒーを飲む。 7 は必ず豆を挽く。 朝の一杯のコーヒー。 これがいい。 おそらくカフェインの覚醒作用が効くのだろう。 この旅行もコーヒーやコーラから摂るカフェインと、ウィダーインゼリーのドーピングがなかったら続けられなかっただろう。
早朝であったことと、標高 800m からの長い降りであったので、夕べ寝るときに着ていたスウェットを着たまま走ったが、夏用のグローブしか持っていなかったのは失敗だった。 ブレーキが引けず、ワンテンポ遅れる。 危険。
基本的に R1 の旅ではあるが、自動車専用道路やバイパスにぶつかると、迂回路をとらざるを得ない。 これがふつうの地図には載っていない。 とくに困るのが河を渡るとき。 どの橋が渡れてどの橋が渡れないのかがはっきりしないと困る。 とにかく地図上でバイパスと名のつく道は避けた。
幸いこの二日間、気温はさほど上がらなかったが、日ざしが強かった。 半そでで走ったので、とにかく腕が焼けた。 あと鼻の頭。 今は外出するのがすこし恥ずかしい。 5 月の日差しをナメていた。
藤枝市を越え、木陰を見つけ、昨夜の MTB 3 人組のひとりからもらったカロリーメイトをほおばっていると、夕べ見かけた MTB とママチャリが目の前を通りすぎていった。 GW になると (オレを含めて) バカが涌いて出てくるらしい。
さて、 2 日目いちばんの難所、掛川市手前の峠越え。 箱根越えを経験して、自信のついているところだったが、やっぱり足はついてしまった。 それでも箱根に比べたら屁でもない。 ヒルクライムにそうとうの自信がついた。 レースに出れるほどではないけれども。
14:00 過ぎ、掛川市にはいる。 新幹線が停まる駅だ、なにかあるだろうとここで昼をとることに決めていた。 ところがみごとになにもない。 実家の近所の商店街のほうが商店が豊富だ。 そば屋があれば山かけそばを食べると決めていたが、そば屋も見当たらない。
15:00 磐田駅着。 バッテリが切れそうなケータイを片手にドキドキしながら友人の出迎えを待つ。 友人、バンドのメンバー (車) と共に着。 2km 離れた友人宅まで車とレースするハメに (荷物は積んでもらった)。 当然負け。 ゼーハー。 友人宅にてシャワーを浴び、洗濯をし、焼き肉屋でビールをかっくらって就寝。 こっちってなんで居酒屋に駐車場があるのよ。
日中、泊めてくれた友人は静岡市内でバンドのミーティングがあったらしいが、帰りの R1 のバイパス上で MTB とママチャリのふたり組を見かけたそうだ。 あいつらだ。
バンドのミーティングがある友人を残して浜名湖 1 周へ。 荷物を友人宅に置いていったら、カメラまで忘れた。 バカバカ。
虫の息のケータイを浜松市内の Vodafone ショップで充電のお願いをして R1 へ戻る。
はままつまつりには目もくれず市街地を抜け、弁天島から反時計回りのコースにはいる。 浜名湖周辺に来ると、ローディーを含めた多数の自転車乗りに遭遇する。 みんな笑顔で挨拶してくれる。
相変わらず日ざしが強い。 鼻の皮が剥けはじめた。
湖の周りをまわるだけなのに、なぜか道に迷ってしまった。 2-3km ほど引佐町役場方面に迷い込んでしまった。 その後も何度か道を誤る。 道が湖を離れると迷ってしまう。 反対周りのほうが迷いづらかったかもしれない。 いや、そもそも湖の周回コースで道に迷うなんて思ってなかったし。
途中、野球のユニフォームで自転車に乗った少年 5-6 人の集団を抜いたところでキャリアにくくりつけてあった地図を落としてしまった。 振り返ると、少年のひとりが地図をひろってくれていた。 こういうのはスゴくうれしい。 笑顔で「ありがとう」と云うと、少年は無言でヘルメットを脱いで、照れくさそうにおじぎしてくれた。 7 がふたたびキャリアに地図をくくりつけていると、少年たちはまた先を急ぎ始めた。 しばらく後ろを走っていたが、登り坂で急にペースダウン。 さすがに待っていられないので、一気に追い抜く。 追い抜きざまに頭上で手を振った。 振り返ることはしなかった。
まもなく浜名湖一周というころ、うなぎ料理屋を見つけてうな重を食べた。 うなぎに山椒の組み合わせをはじめてやったやつって誰よ。 これ、スゴすぎ。
スタミナをつけたところで帰路に就く。 ところが浜松市街に入ったところでまた地図を落としてしまった。 今度は気づかなかった。 ヤバい。 だいたい国道を戻ればいいことはわかっていたが、ケータイを預けた Vodafone ショップの位置が曖昧だ。 コンビニを見つけて地図を立ち読み。 現在位置と、友人宅から来た道を辿ってだいたいの目星をつけた。 当たった。 Vodafone ショップの女の子が天使に見えた。 惚れるかと思った。
GW 前の予報ではこの日まで天気はもつ予定だったが、朝から雨。 浜松駅まで自走し、新幹線で輪行して帰る予定だったが、残念ながらタクシーを使うことになった。 自転車は後部座席に積んで、それ以外の荷物はトランクに、 7 自身は助手席に座った。
ドライヴァーも若いころは自転車で旅をしたのだそうだ。 伊豆半島を一周したときには、自宅に招き入れてくれた方がいたそうだ。 自宅に温泉をひいていて、その温泉に入れさせてもらい、食事をさせてもらい、一晩の床を貸してくれたとのこと。 早朝、主人の起床を待たずに起き出し、お宅に一礼してから旅を続けたとのこと。
旅とはこういうものなのだと思う。 ふだんの生活ではありえないひととの出会いがある。 見知らぬ世界との接触がある。 これだから旅はやめられないのである。
ひかりに乗ると、 2 時間も経たずに東京駅に着く。 あれだけ苦労した道程を新幹線はあっというまに通り越す。 日本が世界に誇る Bullet Train の力を身をもって理解した。
国道沿いの旅行は苦労しない。 すこし走ればすぐにコンビニに着く。 現金さえ持っていればたいていのことはなんとかなる。 現金を持っていなくても、 ATM が入っている場合もある。 便利な時代になったが、旅の面白さが半減したとも云える。
今回は天気のいい日が続いたので、ロードバイクで快適な旅ができたが、雨天には身動きが取れなくなる。 本気で自転車の旅をするのなら、ランドナーなどのツーリング車のほうがいいだろう。