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そもそも、わたしと熱帯魚の出会いは、小学校時代ですわ。
いつ頃から家にあったのか覚えてないけど、60センチ水槽が1本あって、そ こには何匹かエンゼル・フィッシュがいたんですよね。ネオンテトラもちらほら、いたような気がするのですが、その頃はまだネオンなんて高価だったと思うし、エンゼルとネオンが混泳できるのかどうかも知らないので、あるいは、わたしのアルツな頭が記憶違いをしてるのかもしれません。
その水槽には、他に、わたしが夜店ですくった金魚、わたしが田んぼで捕まえたどじょう、わたしが池で捕ったモロコ、センペラなどが入っていました。
わたしゃ、子供の頃はアウトドア派だったようで、毎日、学校が終わると、近くの田んぼや池にカエルやザリガニを採りに行ってたんです。父親に1メー トルくらいのザリガニプールを作ってもらった時は嬉しかったなあ。木枠の上に、ビニールシートを敷いて、水を張っただけのものなんですけど、毎日捕まえたザリガニを入れてました。そんな中でも、どじょうは結構見つけるのが難しくて、捕まえた時は、意気揚揚と凱旋帰宅してましたね。モロコなんかは仕掛け筒のようなものを池に沈めて捕まえてました。餌がなんだったか、あまり記憶にないんですが、黄色い粉のようなものでした。日動のリリーフ・ブラインという餌に雰囲気が似てます。あのきな粉のような餌を見るたびにちょっと思い出したりします。マブチの水中モーターがはやりで、潜水艦なんかのプラモデルには、必ずついてたんですが、池に沈めて、そのまま浮いて来なかった記憶まで蘇ったりして。フン。マブチのバカ。
さて、思い出の水槽ですけど、濾過は水作エイトのようなものだったと思います。エアレーションも別にしてたような気がするなあ。サーモスタットはバイメタル方式で、ヒーターは石英管。あたしゃ今でも両方とも使ってますが、もちろん当時のものじゃないですよ。両方で500円もしなかったから、ひょっとしてかなり古いものかも知れませんが。
飼い主は父親だったのだろうと思うけど、世話をしていたのはおばあちゃん。
うちのおばあちゃんは、なかなか凝った人で、自家製の餌をすりこ木を使って練ったりなんぞしてました。凄いっしょ?レシピ覚えてりゃ、ここの目玉コーナーになったのに。残念。卵とエビは入ってたような気がするんだけど、全然覚えてないや。卵とエビかあ・・なんか水に悪そうだな・・。
市販の餌をブレンドするとかじゃなくて、全くの手作りだったのは確か。おばあちゃんの餌は、とにかく食いつきがよくて、さかなには評判良かったですよ。
わたしは、かなりのおばあちゃんっ子だったようで、おまけに、自分の捕まえたさかなを見るのは大好きでしたから、いろいろなことを教わりました。
たとえば、水合せの仕方。袋のまま水槽に吊り下げられた金魚を早く出せ、とせがむわたしに、急に新しい家に放り出されると魚がビックリするでしょ、とたしなめられ、何度も袋の水を半分くらいずつ捨てながら、水槽の水を入れてたのを覚えています。
水は替えるもの、でも水道の水はそのまま使っちゃダメ、冬はヒーターとサーモスタットが必要、餌は朝晩、そんな知識は、子供の頃、身についていたんですね。
わたしは、どうも、ぼーっとした子だったようで、あるいはアルツハイマーかもしれませんが、この水槽がいつ無くなったのか覚えていません。
でも、おぼろげながら、思い出は残っています。だって、自分で熱帯魚を飼い始めた時、真っ先に思いましたもん。なーんだ、あの頃と大して変わってねーじゃねーか、って。
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