事件の経過
2003年08月16日
長野県が共和国として独立!?
今日のサンデープロジェクト見ましたか。
田中知事が出演。後ろで菅氏と小沢氏が聴き入る中この時とばかり息も継がずしゃべりまくる。
しかも具体的なパネルまで用意して国政や地方分権についてズバズバ斬る。痛快。
地方分権と国連平和主義、そして脱官僚
いよい長野は共和国として独立しそうな勢い。
次の衆議院選挙に対する彼の期待も大きいようだ。
で、どうする・・・・伊那では・・・・・
日量280トンという巨大直接溶融炉の導入、合併を問う全市民アンケートの実施、来春の市長選、元厚生大臣宮下氏引退後の衆議院選・・・・
刻々と状況は変化する。このまま手をこまねいていていいのか。沈黙は容認であり服従だ。
評論するより行動して意志を示していくしかないのだが・・・・。
最終更新日 2003年08月17日 14時05分58秒
若林敏明
長野県が共和国として独立!?
2003年11月16日21:36
6月の長野県議会議員選挙で落選された若林敏明さんの、その後の日記。
サンデープロジェクトにて「長野県が共和国として独立しそうな勢い」で県知事が喋ってたそうなんです。
ざっと読んで困惑してしまった。
そういうものなのかぁ。
松本市 市民タイムス田中知事「長野県を信州県にしたい」と県名改称を検討
http://news4.2ch.net/test/read.cgi/news/1072967509/
県名改称を検討 「信州県」軸に調整
(松本市 市民タイムス1月1日掲載記事)田中知事は31日、「長野」という現在の県名を変える検討に乗り出すことを明らかにした。
県域全体を示す名称として全国的に浸透しており、多くの県民が愛着を抱く「信州」を新しい県名にすることを軸に調整を進める。
手始めとして、今年3月をめどに、県名に関する県民の要望や意見を聞く機会を設けたい考えだ。
県北に偏る県庁所在地・長野市にちなむ県名「長野」を改め、県民総参加の地域づくりを促しながら、対外的なイメージアップで農業・観光・文化など多方面にわたる地域間競争に勝ち抜くことを目指す。
全国的にもまれな県名改称問題が、県政課題として急浮上してきた。
入院先の長野市内の病院で、市民タイムスの単独インタビューに答えた。
知事は、山々に隔てられ、独自文化をはぐくんできた多くの地域で構成される県域を
<
「信州自治共和国」
と表現し、
<
「長野県イコール県庁所在地(長野市)の固定観念を超え、県民参加の改革を加速するうえでも県名の改称を検討したい」
と述べた。
<
「観光客は『長野』より『信州』という響きに魅力を感じている」
とも指摘し、対外PR上も、さわやかな山や高原をイメージさせる「信州」が新県名にふさわしいとの認識を示した。
新県名が「信州」になった場合、松本市は「信州県松本市」、穂高町は「信州県南安曇郡穂高町」となる。
地方自治法三条は
「都道府県の名称を変更しようとするときは、法律でこれを定める」
となっており、県名の変更には国会での立法措置が必要となる。
これに関して知事は
<
「合併で市町村の名前は変えられるのに、都道府県は別だと決めつけられるのか。
自動車産業都市を印象づけるために、合併とは無縁に愛知県挙母市が豊田市と改称した例もある。県民がどう思うかが大事」
と述べた。
知事は、県名に対する県民の意見を広く募り、その民意を反映させる形で、県名改称に関する法案作成を政府や国会議員に働きかけていく手順を念頭に置いているとみられる。
「長野県」は、明治維新の改革で成立した「中野県」(北信地方の1部を管轄)の県庁舎(現・中野市)が焼失したことを受け、明治4年に代わりの県庁舎が現・長野市に置かれたことで誕生した。
その後の廃藩置県や府県統合を経て、東北信が長野県、中南信と岐阜県飛騨地方が筑摩県となったが、同9年、飛騨地方を除く筑摩県域が長野県に統合され、現在の長野県域がほぼ確定した。
こうした経緯から、とくに中南信地方の住民は、長野市を中心とする東北信への対抗意識を潜在的に持つ人が少なくない。
その結果、県中央部にある松本地方への県庁移転や、分県を求める議論が起きて、県政に混乱が生じたこともある。
知事は、こうしたマイナス要因を除去する狙いも含めて県名改称を検討したい意向だ。
しかし、明治以来の「長野県」の名称は実際問題として定着しており、慎重論や反対論も予想される。
一問一答
<
――県政改革をさらに進めるための新しいアイデアは。
<
すべての県民と共に、この県から日本を変える心意気で県政改革を押し進めるためにも、県名の改称を検討したい。
全国的に通用する「信州」という名称が県名としてふさわしいのではないか。
<
――県名改称を検討する狙いは。
<
道州制が論じられる前からすでに、この県は進取の気性に富んだ市民が形づくる、いくつもの地域が集まった「信州自治共和国」という“州”だ。
北に偏った県庁所在地中心主義、善光寺中心主義では、真の共和国の一体感は生まれにくい。
改称によって、県民の連帯意識が一段と強まるメリットも期待できる。
<
――なぜ県名改称を思いついたのか。
<
上水内郡三水村のワイナリーで開かれた、独身の農業者男性と県内外の女性が集う県農政部主催のパーティーで印象深い場面があった。
私が「どこからお越しですか」と参加者に聞くと、「(諏訪郡)富士見町からです」とか、「地元の三水からです」という答えが返ってきた。
ところが、会場が三水村なのに、長野市からの参加者は例外なく、男女を問わず「地元です」と口をそろえる。
この意識が変わらなければ、県民一丸となっての県政改革は進まないと痛感した。
<
――「信州」という名称を、どう受け止めているか。
<
しなの鉄道社長の杉野正さん(松本空港ターミナルビル非常勤取締役)は
「『長野県』からガラス張り知事室や車座集会は連想できても、魅力的な観光地というイメージは浮かばない」
と述べている。
県外からの観光客は「長野県」ではなく「信州」に行きたい、あるいは信州の安曇野や上高地に出かけたい、という意識が強い。
「信州」は全国区の知名度で、明るくさわやかなイメージがある。「信濃」では、いくぶん古いイメージになってしまう。
<
――実際に県名を改称する場合、いろいろな手続きが必要になりそうだが。
<
市町村の名称変更はOKで、県はNOだと言い切れるのか。
国や霞ケ関の官僚に従っていれば間違いない、という“お上頼み”が、混迷する大借金破綻財政国家を作り出した。
今こそ、日本は制度や仕組みを根底から変えねばならない。その覚悟で私は県政改革に臨んでいる。
私の考えに県民のみなさんがどう反応されるのか、年度内にも、広く意見をうかがう機会を設けたい。
信州の自治は、そこに暮らす人々が主体的に判断し、自律的に行動する歴史を縄文時代から誇っている。
田中知事 「信州県」県名改称を検討
田中知事は1日県政改革を進めるために「長野」という県名を「信州」に変更する検討をはじめる方針を示しました。
知事によりますと今でも農業や観光業などでは「長野県」より「信州」というイメージが浸透しており県名を「信州」に改めることで県民の連帯感が高まり県政改革につながるとしています。
今後県民の意見を聞いて検討していくということです。
1/1 TSB
長野県⇒信州 仕事始めで知事が表明 名称変更検討
反対意見噴出は必至 実現の可能性は?
入院中の田中知事は五日、県庁の仕事始めで放映された録画ビデオのあいさつの中で、「長野県」の名称を「信州」に変更することを検討していることを明らかにした。ただ、名称変更の手続きとしては、県民の住民投票による意思確認に基づき、国会で特別法を制定することが必要。反対意見が出ることも必至で、実現に向け具体的な動きになるのか、未知数だ。
知事は改称の理由として、「観光面では、『長野県』より、『信州』という言葉がよく使われる。長野県を訪れる方々は、『信州』という言葉で、安曇野、上高地、軽井沢を思い浮かべる」などと述べ、改称が観光客誘致につながり、経済効果が生まれるとした。
また、都道府県制を廃止し、地域ブロックごとの行政をつくる「道州制」が全国的に議論されていることを踏まえ、「長野県は、道州制論議の前からすでに『信州』という州で、この形を全国の方々に広く宣言すべき」とも述べた。
県によると、県名を変更するには、県民の住民投票を実施して過半数の同意を得た上で、名称変更の特別法を国会で制定することが必要――と、憲法などで定められている。
(1月6日)読売新聞
田中知事「信州県」検討
人工ぼうこう手術で入院中の長野県の田中康夫知事は5日の県庁の仕事始め式で録画ビデオを通じてあいさつし、県名を「信州」に改称するよう検討していることを明らかにした。
県名改称について田中知事は「長い歴史を持つ長野県にとって信州という言葉は一つの大事なキーワード。観光パンフレットにも信州という言葉がおどる」と指摘。県名の長野よりも信州の方が観光客などをより多く呼べるとし「長野県こそが信州自治共和国ではないか。この形を全国に広く宣言すべき」と述べた。
変更のための具体策として田中知事は「自治体名称変更特区か、そのほかの手法を用いることで可能ではないか」と説明。現在の法律で県名を変更する場合には、地方自治法で決められている変更のための特別法の制定が必要となる。
田中知事は1日付の地元紙で長野県よりも信州の方が県外では浸透しているとする知人に県名変更の提案をされ、以前から同様の構想を知事も描いていたとしていた。県庁では「観光のキャッチコピーも、さわやか信州だし、信州をつけた県の物産品も多い。(知事の発言を受け)県内外から賛否両論の意見がいくつか集まっている」としている。
1月6日スポニチ
県名「信州」改称検討と知事 実現のハードル高く
2004年01月06日09:46
昨日テレビを観ていたらこのニュースが流れ、アカネと呆れたものです。
信州の方が観光面で全国的に認められており、経済効果がもたらされる
と説明している。
正直言えば「信州」の方が良いとは思いますよ。
でもね、だからって旦那、安易至極。
この場合、例えば「信濃の国」という呼称はどうなるのか等、色々と不毛な議論が重ねられそうで怖い。
揚げ句の果てには「面倒だから『やっっしー県』でいいじゃん」とかなりそうです。
そんなことはない。
その上で、
県内は文化や風土の異なる「十の共和国」から構成されている
とし、
「信州という州であることを全国に広く宣言していくべきではないか」
と述べた。
田中さんはどうもこの「共和国」というフレーズが大好きみたいですね。
新年からお目出度い方だ。
2004年1月9日 南信州新聞
信州県構想、賛否分かれる
田中康夫知事が年頭あいさつで「長野県という名称を信州に変えよう」と県名変更について検討する意向を示したことが、各界に波紋を広げている。
知事の発言は、長野県が文化や習慣が異なる10の広域「共和国」で構成されている“州”であることを広く宣言し、観光面などで経済効果を生み出す―とする考えで、道州制をめぐる議論とは一線を画した名称のみの変更を示唆したものだと見られている。
知事の発言を受け、金子一義構造改革特区担当大臣は「県民の同意を得られるかなどの問題はあるが、特区での検討に値する」と肯定的な認識を示したが、一方で麻生太郎総務大臣が「道州制という本来の意味を全く理解していない」と疑問を投げかけるなど、政府内でも見解が二分している。
飯田下伊那地方でも、肯定的に受け止めている人、冷静に見つめて反論する人で分かれている。
農産物のブランド化を図り、付加価値を付けて有利販売を進めたいJAみなみ信州の松下數之専務は、「個人的な見解」としたうえで「地域外に農産物を出荷する立場から考えると、実現するかしないかは別として“信州”は効果的」と歓迎する。
PRなどで“長野”は用いないとする飯田観光協会の本多秀賢会長も「信州県となれば使い分けをする必要がなくなるので歓迎したい」と支持を表明。ただ、「一度変えたら戻すことは困難。県民を巻き込んだ議論が必要」と慎重な姿勢で臨むよう求める。
一方、飯田商工会議所の伊藤篤会頭は「道州制については関心があるが、“長野”の名はオリンピックで世界にPRしてきた部分がある。個人的には“信州”というよりも、名古屋・中京圏、三遠南信地域という方向意識を強く持っており、今回のことは知事の“思いつきの発言”として捉えたい」と冷ややか。市内にある会社幹部は「長年使い続けてきた“長野”を使わなくなると、名称変更や看板の付け替えなどさまざまな場面で余計な費用が掛かる企業が多いのでは」と懸念する。
下伊那郡町村会長の伊藤喜平下條村長は「閉塞感を打開するという意味で、投げかけとしてはおもしろい発想。県民の意識しだいだ」と議論が本格化した場合の民意の方向性に興味を抱いた様子。田中秀典飯田市長は「突然の意向表明に驚いている。このことを市民がどう受け止めるか慎重に見極めたい」との見解。
「長野」の名は北信の「長野」と中南信の「筑摩」の2県に分かれていた1871年から使用されている。中世から江戸時代にかけて「長野」と呼ばれていた善光寺の門前町周辺(現長野市長門町)に由来しているといわれている。
一方、「信州」は「信濃」の頭文字を取ったもので、「信濃」の語源は現在も県内に自生しているシナノキ科の落葉広葉樹「シナノキ」に由来しているという説がある。
地方自治法によると、都道府県の名称変更は県民投票で過半数の同意を得たうえで、特別法を国会で制定する必要がある。また、住民投票の前に、内閣や国会議員が改称の特別法案を提出し、国会で議決されなければならないという。
麻生総務大臣閣議後記者会見の概要
平成16年1月6日(火)
【信州県発言】
問:地方自治の話になりますが、昨日、長野の田中知事が、長野県という名称を改称して、信州県というのは例えばどうかという提案をされていますが、これについてのご感想は。
答:群馬県は上州県ですか、なるほどね。
道州制という本来の意味を正しく理解しておられないのではないですかね、名前だけの話になってしまう。
それで、名前の話にこだわっているのではなくて、全体の機能とか効率というものを考えて、この道州制の話が本来は出てきたのだと思うんですが、そこではなくて、名前のところだけを取ったというように感じますけれども。
いずれにしても直接まだ聞いていませんから、新聞の話でしょうから。
麻生総務大臣閣議後記者会見の概要
平成16年1月9日(金)
【信州県発言】
問 :長野県の田中知事が県名を信州に変えたいという話で、金子構造改革担当大臣が、特区での申請については検討に値するというふうに先日おっしゃっていたんですけれども、それについては大臣どのようにお考えでしょうか。
答 :田中さんの話というのは、この前の時にも申し上げたと思うのですが、基本的には、道州制という本来の意味は、州というところ以外はかなり取り違えられている部分があると思うのですね。
昔あれは筑摩県と長野県だったかな、分かれていた。
あれは明治4年の廃藩置県からずっと一連の中で、根室県とか函館県とか昔いろいろあったのを道にしたりしていった経緯で、今の道というものが北海道ででき上がっているんですけれども、そういった中にあって、信州県という名前を変えるとなれば、あれは確か憲法95条だったか、それで法律を住民投票にかけないといけないことになりますので。
だから、過半数の同意を得ないといけないということになっておりますので、結構な騒ぎになるような気がしますので。
話題の話としては面白いかもしれませんけれども、本来の意味とは少し、いくつかのものを合併してという話と少し違うような、名前だけの話のような感じがしますけれど。
したがって、今の話は、そう簡単に特区でどうのこうのという話ではないと思います。
「大変ショッキングな年明け」 県会議長 「信州」変更構想受け
長野県を「信州」に名称変更する構想を田中知事が打ち出したことについて、県議会の小林実議長は十三日、長野市内で開かれた公明党県本部の賀詞交換会の席上、「大変ショッキングな年明けになった」と述べ、知事の政治姿勢に強い疑問を示した。
名称変更構想は、県内部で具体的な検討が行わておらず、計画性もないまま突然示されたため、閣僚ら政府関係者の多くは、まともに取り合っていないのが実情。これらを念頭に小林議長は、国と県との関係を「健全な状態とは言い難い」と憂慮した。
(1月14日)読売新聞
信州県構想に対する飯伊の声2
県名変更について検討する意向を示した田中康夫知事の発言をめぐり、飯田下伊那地方で賛否両論がさらに広がっている。
冬季五輪を通じて世界に通用する名前となった“長野”と、文化や習慣が異なる広域・共和国やふるさとの情景を連想させる“信州”のどちらか。
山積する課題の早期解決が望まれる現状下での提案に、不満も高まっている。
賛成派は日常的に用いる「信州」を県名に用いることに意義を見いだしている。
飯田市松尾のフリーカメラマン、三浦泰明さん(38)は
「写真仲間のうちでも、“信州”と呼び、“長野”を使う人はいない。
“信州”となることを望むが、オリンピックで売った“長野”を使わなくなることが少し惜しい」。
同市内の会社員男性(26)は
<
「県名変更は斬新。取り組むことが何かの起爆剤になるのでは」
と期待を寄せる。
「地元を離れて暮らしているが、故郷を問われ“長野”と答えた事は一度もない。歴史的経過はともかく、イメージとして“信州”がいい」
というのは同市出身で、横浜市在住の岡野孝明さん(68)。
定年後、県外からUターンした高森町の山田博之さん(70)も
「“長野”は長野市のイメージが強いので、南信出身者としては“信州”の方がフィーリングがいい」
と語る。
反対派は、五輪で世界に売った“長野”への愛着や、“長野”と“信州”の使い分けの良さを訴える。
グリーン・ツーリズムの受け入れに積極的に取り組む市内の農家女性は
<
「普段は“信州”を用いている」
としながらも
<
「すでに“信州”は定着しており、いまさら変えなくてもよいと感じる。知事のパフォーマンスにしか見て取れない」
と批判。
市内の会社員女性(24)も
<
「“長野”は馴染んでおり、今さら変える必要はない」
と話した。
また、高森町出身で愛知県春日井市に住む主婦(27)は
<
「“信州”は愛称。正式な県名にするのはどうか。愛称と県名を使い分ける方が親しみがあるのでは」
と説いた。
県名変更を打ち出した知事の姿勢に、批判が集まっている。
同市山本の七久里神社宮司、近藤政彰さん(61)は
<
「“信州”を大切にすることには賛成だが、ここで変える必要があるのか。もっと議論すべきことが山積している」。
南信州新聞社への匿名投稿者は
<
「どれほど宣伝費を掛けようとオリンピック開催に勝るものはなく、世界に売った“長野”を変えることほど県民益を損なうものはない。
不明朗な知事の旅費支出追及の矛先を変える話題づくりと考える人もいるほどだ」
と激しく批判した。
「長野」は中世から江戸時代にかけて「長野」と呼ばれていた善光寺の門前町周辺(現長野市長門町)に、「信州」は「信濃」の頭文字を取ったもので、「信濃」の語源は現在も県内に自生しているシナノキ科の落葉広葉樹「シナノキ」に由来しているといわれている。
2004年1月17日
南信州新聞
田中県政の研究…改革は進んだか
(5)パフォーマンス
問題提起長野にプラス?
田中知事が一時、自らの「住所」とした泰阜村長宅。玄関に知事の表札があった(2004年5月)
<
「実体がないパフォーマンスだったら続かないんです。
(中略)
単なるトリッキー・スターだったら、そんな田中康夫は、とっくに消費されて捨てられちゃってるわけです」
(2001年5月21日、日本外国特派員協会での講演より)■ ■ ■■
45万8400枚。就任以来、田中が発注した名刺の数だ。
県庁1階には、「観光土産」の名刺が4種類。車座集会では、参加者1人1人に直通のファクス番号入り名刺を配る。
1日換算で230枚という途方もない数字は、田中が長野県の“広告塔”を自認していることの証しでもある。
田中のセールスポイントは奇抜な発想と行動力。台風で橋が落ちるとヘリコプターで降り立ち、地震が起きると物資を携えてさっそうと現れる。
農家のいでたちで観光バスに乗り、ガイド役を買って出る。著名な知事だから、メディアが取り上げる。計算し尽くした行動に見える。
見る人が首をかしげるような行動も無いではないが、田中の後援会長・穂苅甲子男(81)は
<
「自ら有名になることで長野にプラスになると考えている」
と擁護する。
しかし、それが法や制度への問題提起を意図している場合、あつれきを生むこともある。
2003年9月26日。会見で、田中は
<
「好きな村に税金を払いたい」
と突然、長野市から泰阜村への住民票の移転を宣言。その足で約200キロ離れた同村に向かい、転入届を出した。
“サプライズ効果”はてきめんだったが、事態は予期せぬ方向に進んだ。
長野市が
<
「村に生活実態はない」
と異議を申し出、選挙人名簿の二重登録を巡る裁判では、村側が敗訴。
結局、移転は取り消された。
「手助けしたいと思う市町村に税金の一部を納めたい」という田中の主張には、理解を示す人が少なくなかった。
田中を責めた長野市長の鷲沢正一(65)ですら、当初は「一部共感できる」と述べていた。
一方で、住民票移転後、撤回を直言したある有識者によると、田中はこう言ったという。
<
「ここで引いたらひよったと思われる。
いざとなったらバイクで通う。
じいちゃんばあちゃんの同情を買えるから」
「問題提起」が長野にプラスになったのか。
田中の行動に対する評価は定まっていないが、法にのっとり、業務を進める行政の立場では、この上ない迷惑となった。
田中の言動が反響を呼んだものの、その後は“尻すぼみ”ということがままある。
04年1月には「信州」への県名変更を検討すると発表したが、名刺や県庁の組織名に「信州」を使い出した程度で、組織的な検討はされていない。
田中が泰阜村への住民票移転を決めたのは、同村の在宅福祉政策を紹介する民放特番を両親が見て、感銘を受けたのがきっかけだった。田中は1度も村に住民税を納めることなく、両親が住む軽井沢町に住民票を移し直し、事態は収束した。
両親が100万円を村に寄付したのは、それから3か月後のことだ。
(敬称略)
南信州とは?
2006年7月16日 10時15分16秒
このごろ「南信州牛」を売り込もうといって、飯田市や南信州農協などが「南信州」を冠とした牛肉をブランド化しようと企んでいるようだ。
前にもなぜ「南信州」なのか、ということについて触れたことがあったが、最近この名称が盛んに使われるようになった。
その昔は飯田下伊那を略して「飯伊」といっていたが、いまいちどこをイメージしているかはよそのものにはわからなかった。
その代わりとして使うようになった「南信州」なのだ。たまたま農協の合併が進んで、この名前が農協名になったのもきっかけにはなっている。
地域ブランドを認識してもらうには、確かに地域が限定できるイメージがあって、それでいて印象も良く、馴染みやすいなんていうのは、商品価値としては高まるだろう。
そんな意味では田中康夫長野県知事が盛んに長野県ではなく「信州」にしよう、なんていっているところからも、「信州」という名前は、よそ者には受けがよいのかもしれない。
田中知事が「長野」市が嫌いだから長野は止めちゃおう、なんて思っているかどうかは知らないが、長野市に普段住んでいると、そう思えてくる。
まあそれは余談であるが、いずれにしても、「南信州」の冠は今の名が県にあっては、整合した名称なのかもしれない。
しかしである。やはり「南信州」というと「信州」がついているから、基本的に信州である。
その「南」になるから、必ずしも飯田下伊那とは限らない。
であるのなら、やはり以前からわたしが言っているように、飯田下伊那にこだわらず、広域的な展開ができないものなのか、そう思えてくる。
しかし、そこが採算的に厳しくなってきている農協が関わっているという現実なのである。
伊那谷には二つの農協しかないから、その両者が相互に協力できる状況ではない。行政のかかわる仕事のまずいところだ。
そんな枠を越えた広域的なブランド化を企ててもおかしくないのに、どうしても枠にはまっている。
もちろんその枠の背景というものもある。飯田の人々には「伊那」という名前はいまいち納得できないかもしれない。
「伊那じゃない、飯田なのだ」と。でも伊那谷であることには違いがない。同じことは伊那の人にも言えるのだろう。
しかし、伊那の人たちには「飯田」はまったく地域名には整合しない。まったく別世界だ。
こうした二極化がある以上、両者が協力するなんていうことはありえない、といってしまえばそれまでで、そんな発想が相変わらずできないこの谷の人々は“狭いせまい”という感じである。
このごろは「○○学」なんていう○○に地域名を入れて、格好よく地域学をみせている地域が多い。
伊那谷学なんていう言葉もちらほらしている。でも必ずしも伊那谷を集約した取り組みにしていこうという意図は見えない。
「南信州」も「伊那谷」もよそからみれば伊那谷あたりのことに違いない。
このまとまりのない悲しい住民が、この悲しい長野県の現実を作り出しているのだろう。
そんな「南信州」のことを妻に話したら、やはり「下伊那」の話になった。
わたしは上伊那生まれ、妻は下伊那生まれ、そして現在は上下伊那境に住んでいる。
わたしが
<
「下の伊那というのがきっと嫌なんだろう」
というと、妻は
<
「このあたり人たちって、喬木村とか豊丘村のことを
<
「しもの方
って言うんだよね。まるで馬鹿にしたように…」
という。これが地域の意識なのである。
「しも」という位置情報が、人々にとっては「下」を意識させ、結局上下関係になってしまうのである。
以前上下伊那の境あたりに住む人たちにとっては、
「飯田という地域の捉え方に微妙なものがあって、そんな地域性のなかで葛藤している」
と飯田市に生まれ、飯田市の職員として偉くなった人に言ったら、そんな気持ちは少しもわかっていないようだった。
同じようなことが、たとえば長野市と飯田市という対比でもあるだろう。
同じ「信州」なんていっても、それぞれにとっては、みんなよそ者なのだ。
http://blog.goo.ne.jp/trx_45/e/072b6ebbdda3f028bbc37dee77e848df
【メルマガ】気になる地元のえこひいき率
<批判だらけの自主投票>
8月6日に投票が行われた長野県知事選。やむをえない自主投票という民主党長野県連の対応がまずいと批判の対象となり、支持者回りもしづらかった。
本来は私も説明責任があるかもしれないが、それは差し控えたい。
<松本市の田中さんへの高えこひいき率>
本来は、知事選用に日程を空けておいたのが、ポッカリ空いてしまったので、信濃毎日新聞の報道は隅から隅まで読んだ。
その中に一つ気になった記事があった。
田中康夫前知事は2000年の第1回目の選挙に地元の松本市の62%の票を集め、2002年の2回目は72%を集めたというものである。
田中さんは松本生まれではなく、父が信州大学の先生で長野県に移り住み、松本深志高校の卒業生となっていた。
松本には、県名も県庁も取ってしまった長野に対する強烈な反発がある。
そうした中で、田中さんの長野県という呼び名をやめ信州にする、という主張は中信(松本・諏訪・岡谷)、南信(飯田・伊那)の喝采を受けた。
それにしても異様な得票率である。もちろん、長野市はそういうわけには行かない。2000年53%、2002年64%に過ぎず、それぞれ 10%ずつ低い。
<あまり高くない中野市の私へのえこひいき率>
そこで気になった私の地元中の地元の中野市の「えこひいき率」を調べてみたところ、1回目2003年54%、2回目は豊田村が中野市に合併し49%に下がってしまっている。
下がったのにはもう一つ理由があり、少々きたないキャンペーン(2人の代議士を出すために小選挙区は○○、比例区は民主党と書いてくれと、私の支持者を回っていた者がいた)をやられたため票を減らしてしまった。
投票率も上がり、中野市と山ノ内町以外は全ての地区で得票率を伸ばしたのに、地元で得票を減らしてしまい、私の政治における指南役の北澤俊美さんからお叱りを受けた。
少々状況が違うとはいえ、松本市民より中野市民は地元出身者へのえこひいき率が低いようである。
<人も地産地消>
羽田孜元総理の勧めで衆議院選挙に出馬し、2度とも小選挙区では届かず比例復活当選させていただいている。
どうも、私は出自からして(?)選挙は苦手なのかもしれないが、次回は3度目の正直(最初からいうと5回目)で、是非正真正銘の当選、すなわち小選挙区当選ができるよう日夜努力している。
そのためには、中野市の圧倒的支持が不可欠であり、私は今冗談半分に、食べ物ばかりでなく人間も地産地消が一番、地元のことがよくわかる私への圧倒的えこひいき支援をお願いしている。
私の相手は複式学級の分校出身でもなく、全く正反対の恵まれた境遇の育ちの方であり、何も遠慮することはないからだ。
投稿者: しのはら孝日時: 2006年09月28日 17:50
http://www.shinohara21.com/blog/archives/2006/09/post_34.html#more