第2部 組織と個―県庁で
10.任期付き職員採用 生かせなかった外の感覚
二〇〇四年一月、軽い気持ちで応募した八カ月後の九月、県の課長級職員になっていた。
宮城県内の大学院生である傍ら、グループホームを運営する会社社長でもあった佐藤崇弘さん(26)。
田中康夫知事(当時)が「革命の同志」として、〇四年度だけで計十八人を採用した任期付き部課長級職員の一人だ。
知事は「職員の中に眠っているものを開くプレゼント」と言い、計二十七人を採用した。
〇四年度の大量採用は、知事が職員批判を続けた時期と重なった。
佐藤さんは、税金をもらってから仕事をする行政の中で、仕事をしてからお金をもらう民間感覚を生かしたいと考えた。
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佐藤さんの肩書きは、地域福祉を担当するコモンズ福祉課の福祉幹。
所属にこだわらず、思い付いた提案を次々と知事にメールで送った。
「民間業者が県有施設の省エネプランを提案し、機器の設置や管理も行って経費を節減する」
といった具合だ。
知事からは「頑張れ」との返信が来た。
「知事べったり」という声や、「最年少幹部」への陰口も漏れ伝わってきた。それは覚悟の上だった。
ただ、佐藤さんの提案は実らなかった。
例えば県有施設の省エネ対策は、経営戦略局の担当職員と一緒に地球環境課に出向いて説明したつもりだった。
同課側は、知事の意を受けて動く佐藤さんらが主導するものだと受け止めた。
声を掛け合うこともなく、提案の棚上げ状態が続いた。
その一方、佐藤さんは〇五年四月、社会参事(部長級)に昇級し、コモンズ福祉課長も兼務。
年上の課員七人を抱えて通常業務に追われ、
「他課のことを気にしたり、いろんな提案をする気力がなくなっていった」。
次第に「縦割り意識」になる自分を、
「公務員っぽくなった」
とみた。
課内で、施設で暮らす障害者を地域に移す施策を「早くやろう」とも話していた佐藤さん。
「若さ」「意欲」を感じていた課員からみて「管理職としてふさわしかったのかは分からない」まま、課長になって五カ月後の八月末に辞職した。
田中知事の退任前に退職した任期付き職員は、在籍一年の佐藤さんを含め九人。
うち一人は、「成果」に疑問を感じた知事が〇五年一月、いったん退職して再応募するよう求めたのに応じ、採用されなかった。
経営戦略局にいた四十代職員は
「任期付き職員に『ポストが奪われる』『知事ばかり見ている』という目を向ける県職員が多く、外の感覚を生かそうという意識は薄かった」
と話す。
一方で
「知事も任期付き職員を生かそうとしていたのか」
と不信感を口にする。
その象徴に思えたのが、この五月、心不全のため急逝した今橋里枝さん=当時(45)=だったという。
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〇四年四月、チョコレートメーカー日本法人から経営戦略参事(部長級)へ。
県の中長期ビジョンを具体化する政策推進戦略策定を任された。
しかし施策を体系立てた案を、知事は
「発想がマニュアル化する」
と批判。
今橋さんは
「知事のやり方は子どものサッカー。全体の体系がなく、混乱を招く」
と首をかしげた。
十月には参事のまま信州・県観光協会で業務に当たるよう指示された。
退職―再応募の要請に応じなかった後の〇五年四月には、木曽郡王滝村に派遣された。
〇六年一月。別の四十代職員は、今橋さんが涙を流しながら話すのを聞いた。
「縁あって長野県に来て一生懸命やっているのに中途半端で辞めたくない」。
その日、知事の意向として沢田祐介副知事(当時)から
「辞めるか、給料を下げて異動するかのどちらか」
を選ぶよう迫られたという。
沢田副知事は発言を否定、真相は定かではない。
ただ、田中知事は三月の記者会見で
「新境地を開拓したい思いだと聞いている」
とし、今橋さんが退職意向であるかのように話した。
今橋さんは四月、東京事務所に異動した。
急逝したのは、親しい職員らに
「早く長野に戻りたい」
と書いた転任のあいさつ文が届いたころだった。
田中知事が大量に採用した任期付き部課長級職員。外部からの刺激を県組織は生かせたか=04年4月、上高井郡小布施町
知事特別秘書給与の監査請求を棄却
政治的行為を行う村井知事の特別秘書に県が給与を支給するのは違法−として、「信州市民オンブズマン」(代表幹事・松葉謙三弁護士)のメンバー9人が、給与の返還を県に求めた住民監査請求で、県監査委員は26日、請求を棄却したと発表した。
請求人代理人の松葉弁護士は同日、判断を不服とし、県を相手に住民訴訟を起こす意向を明らかにした。
2007年4月27日(金)
2007年07月23日
共生新党に元長野県任期付き職員が
飯田市長選に出馬したい─とも
長野県の任期付き職員だった女性が、建築家の黒川紀章氏が党首を務める共生新党のスタッフとして働いている。
共生新党ホームページ
http://www.kyoseishinto.org/
この女性は、元女優でイベントプロデューサーとマスコミで紹介されることが多かった児玉ゆり氏(52)
ほかにも同じく任期付き職員だった柴田宣行氏(49)も共生新党で働いているという。
柴田氏はディスコのジュリアナ東京のマネージメントとマスコミで紹介されていた。
ふたりは長野県庁にいたときは経営戦略局政策チーム政策推進幹(課長級)として机を並べていた。
児玉氏は05年3月、柴田氏は07年3月辞めている。
児玉氏は田中知事(当時)の秘書のふれ込みだというが、田中知事の秘書は別にいた。児玉氏が秘書として働いていたことはないはずだ。
田中知事のまわりに勝手にいただけだろう。それも最初の内だけで、すぐに仕事らしい仕事はなくなって完全に浮いた状態だった。
後に辞めさせられていることから、田中知事とも良好な関係とはいえなかったのではないか。
任期付き職員は田中知事が提唱して、信州ルネッサンス革命の担い手として公募された。
しかし実態は、田中知事の朝令暮改、奇手奇策に県職員があきれて思い通りに動かなかったため、これに業を煮やした田中知事が自分の思い通りになる職員を大量採用したもの。
任期は4年のためこう呼ばれている。たいてい部課長級で採用され、部長で年収は1千万円超となる高給。批判が多かった。
任期付き職員は2004年4月に公募採用され、これ以後20数人採用される。
MBAや公認会計士などの資格を持っているものは2〜3ヵ月で辞めてしまうものが何人かいた。
残っていたのは行くところがないものが多かった。
ところが採用されて1年もたたない2005年1月、全員を一旦依願退職し、その後再応募して採用するという奇妙なことになった。
任期付き職員にはそもそも批判が多かったのと、採用したものの田中知事の思い通りに動かない任期付き職員がいたので、それを辞めさせるためにこのようなことをしたのではないかと見られている。
一旦退職してしまうと採用されない可能性もあるので任期付き職員から不満が出た。
退職して再採用される任期付き職員もいたが、ただひとり採用されなかったのが児玉氏だ。
なぜそうなったかはこれをご覧になると分かるのではないか。
児玉氏は08年10月に予定されている飯田市長選に出馬したいと漏らしているという。
なぜ飯田市長選なのか、どこまで本気なのかは不明。
黒川紀章党首の支援を得て、出馬することがあるのだろうか。
飯田市は田中支持者が多いところでもある。
あるいは田中康夫がまた乱入することになるのだろうか。
任期付き職員 名簿
http://www.pref.nagano.jp/soumu/jinji/ido040401.htm
任期付き職員関連信毎記事
http://www.shinmai.co.jp/cgi-bin/txt_read.pl
Posted by tuigekiat 08:00