馬籠(まごめ)・山口村の市町村合併騒動

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2002年1月

山口村合併問題で知事、「どぎまぎしながら見守る」

(1月26日)

山口村の村民アンケートで約八割が岐阜県側市町村との合併を望んでいるとの結果が出たことについて、田中知事は二十五日の会見で、

「島崎藤村という信州の父親のような存在が生まれ育った場所が他県に移るのは県民の一人として大変複雑」

としながら、県としては

「村民の判断をどきまぎしながら見守りたい」

との考えを示した。

また、

「私たちはこれまで少し(村への)心配りが足りなかったのかと複雑な思いがする」

と述べ、県などの村へのこれまでの対応が村民の判断の一因となったとの考えも示した。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/kikaku/001/120.htm

5月14日

▼ ichimy.com で拾った産経の記事なのだが、Web上で見られるかどうか分からないので、全文引用する。

平成の大合併 21世紀のまちづくり(6)

【県境を変える 長野県山口村】住民が望む地図書き換え “昭和の悲劇”経て…自然の流れ

( 5/ 9)

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文字通りの五月晴れとなった一日、東美濃地方の中心市である岐阜県中津川市役所を、長野県の木曽路にある山口村の加藤出村長らが訪ねた。

出迎えるのは中津川市の中川鮮市長。

県民
加藤村長

「住民が望む中津川市を中心とした合併に向けて、協議を賜りたく申し入れます」


県民
中川市長

「住民に十分説明された結果と認識し、重く受け止めます」

木曽から県境を越え、美濃の中津川市との合併に向けた瞬間だった。

平成十六年十月一日を目標に、具体的な合併協議に入る。

合併が実現すると、昭和三十四年元日に群馬県桐生市と栃木県菱村が合併して以来、四十五年ぶりに県境の地図が書き換えられる。

人口わずか二千人の山口村という名はほとんど知られていないが、文豪・島崎藤村の出生地で、観光客でにぎわう木曽・馬篭宿(まごめじゅく)があるところ−といえば、ほとんどの人が相づちを打つであろう。

「信州木曽路」の代名詞なのだ。

ところが、テレビのアンテナが例外なく岐阜県側に向き、村民の生活圏は車で十数分の距離にある中津川市と一体化している。サ

ラリーマンの九割、高校生の過半数が日常的に県境を越えている。

ある村民は

「県境なんて考えたこともねえ」

と苦笑する。

反対の急先鋒(せんぽう)とされた馬篭観光協会も三月初めに、合併を容認した。

加藤村長は

「暮らしの中で考えると、これも自然の流れ」

と合併の推進に自信を示す。

実は「昭和の大合併」で、この地域は“越県合併”の難しさを体験しているのだ。

当時の県境には旧神坂村があった。その村が昭和三十二年に中津川市との合併を試みた。

問題が起きた。

長野県議会が

「藤村と馬篭宿は岐阜に渡せない」

と合併反対を全会一致で議決してしまったのだ。

村民も賛成、反対の両派に二分されたという。

「親兄弟や親類が絶縁する家もあった。デモや暴動騒ぎも起きた」

(馬篭宿・藤村記念館の大脇修二理事長)。

翌年、国の裁定で旧神坂村は分村、馬篭宿を含む地域だけが山口村に編入され、残りが中津川市と合併した。

長野県に残った馬篭宿はその後、地元住民の努力で古い宿場町の景観が保存された。

今では年間五十万人が訪れる全国ブランドの観光地となった。

今回の合併は馬篭宿から「信州木曽路」の冠がなくなることを意味する。

そこで、山口村では「昭和の大合併」の悲劇を繰り返さないために、村民の意識調査を実施した。

その結果、村民のほぼ八割が中津川市など岐阜県側との合併を支持した。

参院総務委員会で答弁した片山虎之助総務相は

「県境があるからといって、経済的に一体感があったり、連帯意識があれば認めればいい」

と、政府としても積極的に支援していく方針を明らかにした。

時代は変わったという認識だ。

山口村にとって、長野県の田中康夫知事の存在も大きかった。

市町村合併のパターンを示す県も多い中で、

「市町村の自主性を尊重する」

と距離をおいた。

そして

「住民の意思に基づく議論が進められるのなら、県としてもお手伝いする」

と、反対しない姿勢を明確にした。

だが、今になって田中知事は

「中津川市などが『岐阜県庁から遠いから、長野県に入りたい』という市民レベルの動きはないんでしょうか」

と、馬篭宿が岐阜県になるのに未練たっぷりだ。

田中知事には悪いが、冒頭の両首長のあいさつにもあるように、今回は住民が望む合併といえる。

馬篭を核にした街づくりが実現すれば、「平成の大合併」で初めての県境を越えた合併は意義あるものとなろう。

(長野支局 石田征広)

康夫ちゃんは、恋愛関係になぞらえて

「これからデートを重ねる」

とか言っていたけど、デートを重ねるどころか、無理矢理離婚させられた夫婦が、時を経て再び結びつくようなもんなのだな。

まぁ、山口村内の賛成派の人も不安は多いようだし、岐阜県側の方でもゴタゴタがあるようで、実際に合併に至るにはいろいろ障害はあるだろうが、住民の意向を無駄にしないよう進めてほしい。

ふと思ったのは、山口村が中津川市と合併すると、なんで「信州木曽路」の名前が無くなるのかということだ。

「信州」という単語は旧信濃国に由来するのだから、現在の行政区がどうあれ、かつて信濃国であり、「是より北 木曽路」の石碑よりも北にある馬籠が「信州木曽路・馬籠宿」と名乗ることに何の問題があろう(ついでに言えば、馬籠宿と妻籠宿の間には馬籠峠があるから、ここに何らかの境界があるのはさほど不自然ではない)。

http://www.din.or.jp/~yumomo/doc.20020501.html