信州観光情報 上田・小県

上田市(+丸子町+真田町+武石村)・東御市(東部町+北御牧村)・長和町(長門町+和田村)・青木村

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小林教授
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上田・小県特産品

●松茸

秋の味覚・マツタケは、ここが日本一の産地なんです。

毎年秋になると、おいしい松茸を求めてお客さんがたくさん集まります。

●蘇民将来

お守りとして有名な木製の工芸品。おみやげにどうぞ!

●?

上田・小県観光地

●上田城

東側から上田城の南北櫓を見る。 南側から見た上田城。 赤い六文銭がひるがえる。

上田市の象徴ともいえる城塞跡。

南方の防御は千曲川に面した断崖を利用しており、 東西は断崖から掘り進めた堀が守っている。

当時、北側は沼地になっており、強固な構えを持っていた。

戦国時代、真田氏はここで徳川軍による攻撃を二度にわたって撃退した。

特に関ヶ原の合戦の時には徳川軍本隊である秀忠軍を わずかな軍勢で迎え撃ち、地の利を生かした作戦で大打撃を与えた。

結局上田城は陥落せず、秀忠は関ヶ原に間に合わなかった。

東の関ヶ原ともいえるこの合戦では、西軍が勝利したのだ。

真田は勝ったが、西軍本体が敗れたため真田昌幸と真田幸村は 九度山(和歌山県)に流刑。

幸村は「信濃一国を与える」という豊臣家の大坂城に入るが 奮戦むなしく敗死。

上田に真田が帰ってくることは無かった。

大阪で幸村が造った「真田丸」は集中攻撃を受ける危険な最前線に 突出していたが非常に有効に機能して徳川を撃退した。

これも戦争で負けて奪われたわけではなく、 停戦の条件として豊臣が引き渡してしまったことによる。

上田城の時と似た運命をたどったことになる。

…そんな事を考えながら城内をうろうろ。

●真田氏本城跡
真田町・上田市を一望できる。

真田町にある山城。上田城へ移るまでの真田家本城。

山頂の地形を利用していて三方向は急斜面。

四方を眺望できるので上田方面など見渡せる。

麓には平常時に居住する 「真田氏居館跡」・「真田氏歴史館」があって、 見学ができます。

大河ドラマ「真田太平記」で使用された 鎧兜が展示されています。

●信濃国分寺
金堂跡に育つ樹木が長い年月を感じさせる。 上田市郊外にある遺跡。

中央部を「しなの鉄道(旧JR信越線)」の線路がぶった切っているため 電車の車窓から見学できるという珍遺跡。

長く放置されていたが戦後になってようやく発掘調査された。

奈良時代の聖武天皇が仏教を篤く信仰し、 奈良に大仏を造るのと同時期に全国に対して 仏教センター「国分寺」の建設を命じたのだそうな。

聖武天皇は「仏教王国」を志向していたのだから、 このころの国分寺といえば、まあ今で言うと「県庁」のようなものかな。

地方においては「国府」が行政の、「国分寺」が信仰の中心地。

神社なら「一の宮」かな。

この国分寺が上田にあったということは、 奈良時代、信州の中心地は上田だった、という証拠になるのです。

平将門がこの地で戦い、一度は炎上したのですがこの地に再建されました。

平安時代になり国府は現在の松本市に移り、しだいに国分寺の記憶は忘れられていきました。

信州の中心地の変遷:
  1. 0.伊那谷・長野盆地〜近畿地方や朝鮮半島に近いため、文化移入が早かった。弥生時代。
  2. 1.更埴市〜シナノ郡。信濃の国の語源。古墳時代。
  3. 2.上田市〜国分寺が発掘されています。おそらく国府も併設されていたはず。奈良時代。
  4. 3.松本市〜国府がありました。平安時代。
  5. 4.分裂期。
  6. 5.長野市〜廃藩置県により長野県設置。現代。
●信州の鎌倉

←北向観音 ↑八角堂 ↑真田幸村の隠し湯

上田・小県おいしい店

●別所温泉のマツタケ小屋

秋になると登場する季節店舗。地元の森林組合が経営する小屋がかかり、格安で松茸を出してくれる。

めちゃめちゃおいしい!

●アタミ

信濃国分寺付近の国道沿いにあるラーメン店。

あやしい雰囲気だが、おいしい。

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