目次

モンゴル

オゴタイ家

トゥルイ家

イル汗国

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小林教授
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モンゴル

●エスガイ・バートル(〜)(在位〜)

テムジンの父親。

●テムジン太祖チンギス・ハーン(〜)(在位1206〜1227)

エスガイの息子。

妻のボルテとの間にジュチ・チャガタイ・オゴタイ・トゥルイという息子がいる。

部族の酋長から身を起こし周辺部族を平定。

騎馬民族の力を集結させて宿敵の中華王朝・金を攻撃。

シルクロードの大国である西遼と西夏を滅ぼした。

テムジンの死後その支配地は4人の息子たちに分割して与えられた。

●ジュチ(〜)

チンギス・ハーンとボルテの息子。長男。

優秀な武将だったがテムジンの実子ではないと疑われた。

彼の息子バトゥはロシアを征服。ワールシュタットでヨーロッパ連合軍を破った。

しかしオゴタイの死後オゴタイ家の陰謀を知り帰還。

最終的にトゥルイ家を後継者にした。

バトゥはキプチャク汗国をひらいた。

●チャガタイ(〜)

チンギス・ハーンとボルテの息子。次男。ジュチの弟。

優秀な武将だったが「疑惑」にからんで長兄ジュチと不和だった。

後継者の地位を弟オゴタイ・トゥルイに譲った。

かつての西遼の地を与えられ、チャガタイ汗国をひらいた。

オゴタイ家・オゴタイ汗国

●太宗オゴタイ(〜)(在位1229〜1241)

チンギス・ハーンとボルテの息子。三男。ジュチ・チャガタイの弟。

父テムジンの死後、その有力な後継者候補には チャガタイ・オゴタイ・トゥルイという息子たちがいた(ジュチは既に死亡)。

モンゴル族は末子相続の習慣があるためトゥルイが有力だったが そのなかで選ばれたのがオゴタイ。

南宋と同盟して小部族時代からの天敵・金王朝を滅ぼし、高麗を降伏させた。

兄ジュチの息子バトゥと自分の長男グユクをロシアに遠征させ戦果をあげる。

●太宗皇后トゥラキナ脱列哥那(〜)(在位1241〜1246)

太宗オゴタイの皇后。定宗グユクの母。

太宗オゴタイの死後、オゴタイの遺言やバトゥの反対を無視して 息子のグユクを即位させた。

●定宗グユク貴由(〜)(在位1246〜1248)

太宗オゴタイの息子。

ライバルのバトゥと対立。即位を強行するが早死にした。

●定宗皇后オグルガイミシュ海迷失(〜1251)(在位1248〜1251)

定宗グユクの皇后。

オゴタイの孫シラムンそ即位させようとするが バトゥに阻止される。即位したのはトゥルイの長男・憲宗モンケ。

オグルガイミシュはモンケに殺害された。

シラムンとグユクの息子たちは失脚。オゴタイ家は没落した。

●カシー合失(〜)(在位〜)

太宗オゴタイの息子。

モンゴルの主流がオゴタイ家からトゥルイ家に移ったため 彼らは不遇だった。

●ハイドゥ海都(〜)(在位1269〜)

カシーの息子。

トゥルイ家がフビライとアリクブカに分裂したとき アリクブカに味方して争乱を煽った。

アリクブカ滅亡後反乱。

チャガタイ汗国を侵略。

キプチャク・チャガタイ両汗国と同盟してついに即位した。

テムジンの末弟オッチギンの子孫ナヤンと連携したり 盛んに活動を続けた。

●チャパル察八児(〜)(在位〜)

の息子。

トゥルイ家

●睿宗トゥルイ(〜)(在位1227〜1229)

チンギス・ハーンとボルテの息子。四男。ジュチ・チャガタイ・太宗オゴタイの弟。

テムジンの四人の息子にはそれぞれ領地が与えられた。

ジュチにはロシア。チャガタイには西遼。オゴタイにはジュンガル。

末子のトゥルイにはテムジン死後にその本領、つまりモンゴルが与えられるはずだった。

テムジンが死んだ時、トゥルイはテムジンの代理として執政。

クリルタイにより兄オゴタイが選ばれ即位したためモンゴル本国の領地を譲り渡した。

●憲宗モンケ(〜)(在位1251〜1259)

トゥルイの息子。長男。

次弟のフビライを中国に、三弟のフラグをイランに派遣。

東西の両大国を同時攻撃した。

バグダットを占領しモンケ本人も中国南宋攻略に出陣した。

しかし、あともう一歩というところで急死。

弟たちによる継承権争いがおきた。

●アリクブカ(〜1266)(在位1259〜1264)

トゥルイの息子。四男。憲宗モンケ・世祖フビライの弟。

長兄モンケの死亡時、次兄フビライは南宋と戦闘中。

三兄フラグはバグダット。

モンゴルに居残っていた彼は当然のように擁立され即位した。

しかしフラグの支持を得たフビライも即位。戦闘となった。

しかしアリクブカは敗北。フビライに降伏した。

イル汗国

●フラグ(〜)(在位〜)

トゥルイの息子。三男。憲宗モンケ・世祖フビライの弟。

憲宗モンケの命により出陣。イラン・イラクの地を攻め取った。

長兄モンケの死後、次兄フビライと弟アリクブカが争ったが フラグはフビライを支持した。

フラグの興した国は中東の大国として長く栄えた。

●世祖フビライ忽必烈(1215〜1294)(在位1260〜1294)

トゥルイの息子。次男。憲宗モンケの弟。

憲宗モンケの命により出陣。中国・南宋を攻略した。

あともう一歩というところで 援軍である兄・憲宗モンケが急死したため敵地で孤立。

モンゴル本国では四弟アリクブカが後継者として擁立されてしまった。

フビライも即位。フビライとアリクブカが併立する状態になった。

両者の軍事衝突はフビライの勝利で終結。アリクブカは降伏した。

モンゴル人でありながら中国文化を深く理解し中国人知識人を重用。

元号と国号「元」を制定し中国王朝の皇帝として君臨した。

高麗を属国とした。さらに南宋を滅ぼし、ベトナム・日本にも兵を向けた。

日本の征服には失敗したものの東アジアの全てを支配する皇帝となる。

●成宗テムール鐵木耳(〜)(在位1294〜1307)

フビライの孫。フビライの皇太子チンキムの息子。

●武宗ハイシャン海山(〜)(在位1307〜1311)

成宗の甥。成宗の弟ダルマバラの息子。

●仁宗アーユルパリバトラ愛育黎拔力八達(〜)(在位1311〜1320)

武宗の弟。

●英宗シディバラ碩梍ェ剌(〜1323)(在位1320〜1323)

仁宗の息子。

晋王イェスンテムルを擁立した 御史大夫テクシ(鉄矢)に殺された。

●泰定帝イェスンテムル也先帖木児(1293〜1328)(在位1323〜1328)

成宗の兄カマラの息子。

テクシに擁立される。テクシが英宗を殺害し泰定帝は即位。

しかし先代暗殺の汚名を着るのを恐れ、テクシを処刑。

●天順帝アスギハ(〜)(在位〜)

泰定帝の息子。

●明宗クシャラ(〜)(在位〜)

武宗の息子。

エンティムールに擁立された。

エンティムールに殺された。

●文宗トゥクテムル圖帖穆爾(〜)(在位〜)

武宗の息子。明宗の弟。

英宗に海南島に流刑にされる。

泰定帝時代は建康にいた。

エンティムールに擁立された。

死後は兄・明宗の子(順宗)が皇位を継ぐように遺言をした。

●寧宗イリンパン/イリンジバル(〜)(在位〜)

明宗の息子。

エンティムールに擁立された。

しかし急死。

●順宗トゴンテムル妥懼帖木児(〜)(在位〜)

明宗の息子。寧宗の兄。

父・明宗の死後明宗の皇后にうとまれ高麗に流刑にされる。

のち広西に流される。

寧宗の急死により即位。

バヤンに擁立される。エンティムールが死んだため バヤンが実権を握る。

高麗王朝から定期的に献上されてくる朝鮮人奴隷女を気に入り、皇后にしている(奇皇后)。 元皇帝の皇后となった奇一族は高麗で国王以上の権威を持つが、高麗国王から抹殺された。

元末群雄

海賊

●方国珍(〜)(在位〜)

浙江の塩商人。

1348年、密告されて反乱。海賊となる。

追討軍を返り討ちにして元の官職を要求。

反乱と帰服を繰り返して勢力を拡大していった。

彼の反乱に反応するかのように紅巾の乱がおこる。

紅巾の乱の最中には張士誠に対抗して朱元璋と同盟。

張士誠が滅びると朱元璋に降伏。

白蓮教(東派紅巾軍)

●胡潤児(〜)

白蓮教信者。

白蓮教とは仏教の一派。しかし救世主信仰の弥勒信仰を強く持ち マニ教(明教)の影響を強く持つ宗教。

1337年、反乱するが鎮圧される。

●韓山童(〜1351)

白蓮教の教祖。

信者である劉福通たちに擁立された。

紅巾を目印にしたので紅巾軍と呼ばれる。

しかし反乱直前に陰謀は漏れ、彼は捕らえられ殺される。

宋(東派紅巾軍)

●韓林児(〜1366)(在位1355〜1363)

韓山童の息子。

父親が反乱直前に殺されたため逃亡。

黄巾の乱の名目上の盟主となる。

宋を再興し皇帝に即位した。

各地に武将を派遣して中国北部を席巻する。

しかし反乱軍の中心組織でもあり 勢力圏がモンゴル本国と近接することもあり 元の攻撃の第一目標となる。首都を攻められ 逃亡中に張士誠に囲まれ劉福通は戦死。

朱元璋に救援されるが1366年、変死した。

朱元璋に招かれる際の移動中に殺されたといわれる。

●劉福通(〜1363)

韓山童を擁立して元に反乱をおこした。

韓山童が殺されるが逃亡して転戦。呼応して反乱する者が続出した。

各地で反乱軍が呼応して挙兵し、彼は教祖を擁する反乱軍の中心的存在となった。

しかし反乱軍主力であるがために元と真っ向から戦うこととなり 元を撃破できなかった劉福通らは根拠地の開封をも失ってしまう。

たまらず南方に逃れるが、安豊に韓林児とともにいるところを 紅巾軍ではない反乱軍である張士誠に攻撃され戦死。

朱元璋に招かれ、移動中に謀殺されたともいわれる。

元と劉福通が戦う間に着々と勢力を拡大し漁夫の利をしめたのが 朱元璋だった。

のちの時代の「満州国と国民党が争う間に漁夫の利をしめる共産党」の構図と似てる。

白蓮教(西派紅巾軍)

●彭瑩玉(〜)

白蓮教教祖。

1338年、反乱するが鎮圧され逃亡。

のち徐寿輝を擁立。

天完/夏(西派紅巾軍)

●徐寿輝(〜1360)(在位1351〜1360)

白蓮教の頭目。

劉福通の反乱に呼応して 湖北省の黄州にて挙兵。

湖北省で天完国を建国し皇帝に即位する。

長江中流域で勢力をひろげた。

武将の倪文俊の反乱は抑えたが かわって陳友諒が台頭。ついには殺されてしまった。

●明玉珍(1331〜1366)(在位1360〜1366)

徐寿輝の武将。

徐寿輝の死後も四川省に割拠。

夏を建国。

●明昇(1357〜1372)(在位1366〜1371)

明玉珍の息子。

明に攻められ降伏。

漢(西派紅巾軍)

●倪文俊(〜1357)(在位〜1357)

徐寿輝の武将。げいぶんしゅん。天完国の丞相。

徐寿輝に取って代わろうとするが失敗。

黄州にのがれるが部下の陳友諒に殺される。

下剋上しようとして失敗。直後に下剋上されてしまったひと。

●陳友諒(1320〜1363)(在位1360〜1363)

倪文俊の武将。ちんゆうりょう。漁師の息子。

反乱に失敗した主君倪文俊を殺して取って代わる。

安慶・竜興・瑞州・池州を占領。

主君筋にあたる徐寿輝を殺して帝位を奪う。

張士誠と結んで朱元璋に対抗するが 朱元璋との決戦に敗北。戦死してしまう。

●陳理(〜)(在位1363〜1364)

陳友諒の息子。

周/呉

●張士誠(1321〜1368)(在位1353〜1357・1363〜1367)

姓は張。字は九四。江蘇省の泰州の塩密売商人。

反乱して泰州・興化・高郵を占領。周を建国。誠王と名乗る。

渡河し蘇州・湖州・松江・常州を占領。

要所を手に入れたあと、いったん元に降伏して停戦。

元の実力者として浙江省紹興まで入手。

陳友諒と同盟して韓林児・劉福通を攻撃。劉福通は戦死する。

やがて再び反逆して呉を建国。呉王を名乗る。

陳友諒の滅亡を放置し、勢力を増した朱元璋に攻撃された。

捕虜となり、自殺した。

呉/明(東派紅巾軍)

●郭子興(〜1355)

郭公の息子。淮河のほとり、濠州にて 白蓮教の乱に呼応して手下を従え反乱。

紅巾軍の一派。

不審人物・朱元璋の異様な人相をみて彼を拾った。

死後はその勢力を朱元璋が受け継いだ。

●郭天叙(〜1355)

郭子興の息子。友軍の裏切りにあい戦死。朱元璋の陰謀か?

●張天祐(〜1355)

郭子興の義理の弟。友軍の裏切りにあい戦死。朱元璋の陰謀か?

●郭天爵(〜1358)

郭子興の息子。朱元璋に殺される。

●朱元璋(1328〜1398)(在位1368〜1398)

姓は朱。名は重八。

孤児。父・朱世珍以下家族は飢饉でほぼ全滅した。

寺で小坊主となって食いつないでいたが郭子興の軍に参加。

活躍して出世し郭子興の養女(馬氏)と結婚するまでになる。

郭子興の死後後継者となり南京占領。