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小林教授
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●王莽(〜)(在位〜)

姓は王。名は莽。

の息子。

いつわって「善人」のふりをして人々の支持をあつめ 皇帝に即位。

しかし杜撰で馬鹿げた「理想主義」政治により一代で滅びた。

皇帝の共産主義「井田法」強行 周辺国の王を候に格下げ。

高句麗王→下句麗候など。

与えていた印章も格下げ。

匈奴単于璽→新匈奴単于章など。

などなど好き勝手に改名したり周辺各国の称号を格下げして喜んでいた。

当然、周辺国は離反。

皇帝の「思いつき」のせいで外交はメチャメチャ。

更始帝の軍勢が迫るなか、無名の盗賊に殺される。

赤眉軍

●呂母(〜)(在位〜)

姓は呂。。

の息子。

●樊崇(〜)(在位〜)

姓は樊。名は崇。

盗賊の首領。

緑林軍の更始帝が即位するとこれに服属(23年)。

しかし更始帝が人望を失っていることを知り更始軍を攻撃。壊滅させる。

そして漢の皇帝一族の劉盆子を皇帝に擁立。

更始帝を殺し、さらに西の隗囂を攻めるが敗北。

故国に逃走する間に光武帝(劉秀)に出会い降伏。光武帝の軍に吸収された。

のち樊崇は光武帝に抹殺される。

●劉盆子(〜)(在位〜)

姓は劉。名は盆子。

漢の皇帝の一族。しかし落ちぶれており彼は庶民として生活していた。

赤眉軍に擁立され、突然皇帝となった。

赤眉が敗れ、光武帝に降伏すると劉盆子は光武軍の家臣となった。

●(〜)(在位〜)

姓は劉。名は。

の息子。

●(〜)(在位〜)

姓は劉。名は。

の息子。

王郎

●王郎(?〜24)(在位23〜24)

姓は王。名は噤B占い師。

新末の群雄。

趙繆王劉元の子劉林により擁立された。

王郎は成帝の息子であるといつわって即位。

邯鄲を根拠とする。

24年、真定王劉楊に寝返られたため、劉秀に敗れ死亡。

劉秀は王郎の持っていた書類を読まずに全て焼却。

王郎に従っていた豪族たちを安心させ味方に取り入れた。

流浪の劉秀は王郎軍の地盤を乗っ取って根拠地を手に入れた。

同時に劉秀は更始帝から独立した。

●真定王劉楊(〜)

姓は劉。名は楊。

前漢の皇族。王郎の配下にあったが劉秀と姻戚になり寝返る。

のち、劉秀に謀殺された。

緑林軍

●王匡(?〜)

姓は王。名は匡。おうきょう。

盗賊団「緑林」の首領。緑林山を根拠とした。

西暦17年頃、赤眉軍と同時期に蜂起。王莽に対して反乱した。

21年、新の王莽が派遣した大軍を破る。

22年、疫病の蔓延により解散。

王匡は王鳳・馬武らとともに南陽に入り(新市兵) 漢の皇帝の血をひく劉玄を擁立していた平林兵の陳牧と合流。

この盗賊軍にさらに劉縯・劉秀兄弟を擁立する豪族軍が合流。

23年、劉玄は漢の皇帝として即位。更始帝となる。

王匡は更始軍の武将として洛陽を攻撃。

洛陽を守備する王莽軍の王匡(同姓同名)を倒す。

●王常(〜)(在位〜)

姓は王。名は常。

緑林軍の盗賊。

22年、緑林は解散し、王常は成丹と共に南郡で「下江兵」の首領となる。

蜀・成(公孫述)

●公孫述(?〜36)(在位25〜36)

姓は公孫。名は述。字は子陽。こうそんじゅつ。

陜西省出身。

王莽の失政により暴徒が暴れまわっていた西暦22年 蜀の成都で暴れていた宗成と王岑を倒してこの地に割拠。

25年、皇帝に即位。国名は「成」。年号はは龍興。

隗囂を従えその勢力を誇ったが中原を支配した光武帝に敗れた。

隴(朔寧)

●隗囂(?〜33)(在位23〜33)

姓は隗。名は囂。字は季孟。かいごう。

甘粛隴西に割拠。

30年、蜀の公孫述に帰順。朔寧王に任命される。

32年、光武帝に攻撃される。「隴を得て蜀を望む」という言葉はこのとき光武帝からでた。

隴とは隗囂の支配地のこと。蜀とは公孫述の支配地のこと。

33年、病死。

●隗純(〜)(在位33〜34)

姓は隗。名は純。

隗囂の息子。父の跡を継ぐが翌年光武帝に降伏。

●(〜)(在位〜)

姓は劉。名は。

の息子。

●(〜)(在位〜)

姓は劉。名は。

の息子。

●(〜)(在位〜)

姓は劉。名は。

の息子。

●(〜)(在位〜)

姓は劉。名は。

の息子。

●(〜)(在位〜)

姓は劉。名は。

の息子。

●(〜)(在位〜)

姓は劉。名は。

の息子。

●更始帝(〜)(在位〜)

姓は劉。名は玄。

漢の皇帝の遠い親戚。

南陽の豪族。

22年、崩壊した緑林軍から擁立されて頭目となる。

更始将軍と名乗る。

23年、皇帝に即位。年号は更始。

ほかに劉縯・劉秀兄弟のような優秀な皇帝候補がいたにもかかわらず 彼が皇帝に選ばれた理由は、彼の無能さにあったのだという。

盗賊団の連中にとっては操縦しやすかったのだろう。

更始軍は劉秀の活躍もあり王莽を破る。

しかし更始帝は目障りな劉縯を殺害。

権力を手に入れるものの人望を失い 赤眉軍に攻撃され降伏。翌年殺された。

●劉縯(〜)(在位〜)

姓は劉。名は縯。

南陽の豪族。更始帝の親類。

王莽に対して反乱をおこす。

更始帝の勢力に属していたが更始帝よりも人望があった。

●劉秀(〜)(在位〜)

姓は劉。名は秀。字は文叔。

劉縯の弟。

王莽への反乱に加わる。更始帝の配下として王莽軍を撃つ。

王莽を倒すと更始帝は劉秀兄弟を恐れ、劉縯を殺した。

その後も武将として転戦。王郎を倒すと自立。光武帝となる。

匈奴

●単于