周
- ●后稷()
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こうしょく。
母親の姜原が巨人の足跡を踏んで身篭り産んだのが后稷だという。
どっかで聞いたような…。
不吉な子供だと思われ捨て子にされたが動物たちに助けられ生き延びる。
棄と名付けられ育ち、農業を人々に伝えたという。
- ●太王・古公亶父(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。ここうたんほ。
の息子。
岐山のふもとに周の国をたてた。
日本の「岐阜」という地名は、これにちなんで織田信長が命名した。
彼は息子の季歴に殷から嫁を迎え、殷の血筋の孫・姫昌(文王)が産まれた。
この孫に跡を継がせれば強い殷の親類となり周も安泰だ、と言ったのだという。
これを聴いた季歴の兄である長男・太伯と次男・虞仲は居場所が無くなり、去っていった。
よくよく考えれば、ひどい話だ。
- ●太伯(〜)
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姓は姫。名は太伯。伯というのは長男という意味。たいはく。
古公亶父の息子。
父親が末弟季歴を後継ぎに望んでいるということを知り 自分の存在は邪魔だと感じて南の未開の国へと去っていった。
彼、太伯の子孫はのちに「呉」の国を建てたという。
太伯はもはや二度と王位継承権が戻ってこないように 前身にイレズミをほどこしザンバラ髪となり(文身断髪)、野蛮人の姿となったのだそうだ。
呉の人々にイレズミの習慣があるのは、太伯の系統だからなどだと伝説は語る。
- ●虞仲(〜)
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姓は姫。名は虞仲。仲というのは次男という意味。ぐちゅう。
古公亶父の息子。
太伯の弟。
季歴に位を譲るため太伯と共に南へと去った。
美談として語られる。
太伯には子供がいなかったので虞仲が跡を継ぎ、呉の仲雍と名乗る。
- ●季歴(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は季歴。王季。季というのは末子という意味。きれき。
古公亶父の息子。
太伯・虞仲の弟。
ふたりの兄を飛ばして周の後継者となる。
殷の王族と結婚してその一族となり、周は栄える。
殷の血をひく息子の昌は、生まれながらの後継ぎだった。
- ●文王・姫昌(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は昌。周候。殷の西伯侯。死後周王と呼ばれる。きしょう。
古公亶父の孫。
季歴の息子。
母は太任といって、殷の人らしい。殷の王族かも。
そうなると紂王の親戚ということになる。
殷の西方に広大な領地を持ち、西伯の地位を得ていた。
殷王をしのぐ実力をもっていたためか、殷の紂王により捕らえられ幽閉される。
しかし脱出して領国に戻る。しばらくして死んだ。
羌族の太公望と手を結び、殷攻略の手はずをすっかり整えて死んでいったため 革命最大の功労者は文王といわれるようになる。
- ●姫伯邑考(〜)
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姓は姫。名は伯邑考。姫昌の長子であり後継ぎ。きはくゆうこう。
伯というのは長男という意味。考は尊称だから実名は「邑」ということになる。
紂王に捕らえられ、煮殺された。
紂王は幽閉中の文王に伯邑考の煮汁を飲ませ、「聖人が息子を食べたぞ!」と言ったという。
文王は聖人として評判が高いが、紂王は「聖人などいない、そいつはただの人間だ」と言いたかったのだろう。
- ●武王・姫発(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は発。初代周王。
文王の息子。
周の領地は殷王朝をしのぐほど強大となっていた。
不安を感じた殷の紂王により兄(姫伯邑考)を殺され、父(姫昌)を幽閉された。
父は脱出するものの死去。発は即位。
父の死を隠し打倒紂王の反乱の兵を挙げる。
- ●周公旦(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は旦。周公。
文王の息子。武王の弟。管叔鮮の弟。
殷を倒すのに大きな功績があった。
革命後すぐに武王が死んだため、摂政として国政を代行した。
創業の功績は大きい。
周は王国であり、王がひとりいるだけのはずだが 彼には特別に「周公」という王に次ぐ称号が与えられている。
岐山のふもと、周を領地としていたからだ。
- ●管叔鮮(〜)
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姓は姫。名は叔鮮。叔というのは三男以降の弟という意味。
文王の息子。武王の弟。周公旦の兄。
管を領地として与えられた。
殷の跡地を領有し紂王の息子=武庚禄父を監視する役割を与えられた。
武王が死に、幼い成王をたてた周公旦が実権を握るとこれに反発して 禄父・蔡叔度とともに反乱をおこす。しかし周公旦に鎮圧され、禄父とともに処刑される。
武王の息子はまだ幼く、次の王は当然自分だ、という意識があったらしい。
- ●蔡叔度(〜)
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姓は姫。名は叔度。
文王の息子。武王・管叔鮮・周公旦の弟。
蔡を領地として与えられた。かつての殷を支配する任務を帯びていた。
紂王の息子=武庚禄父や兄=管叔鮮とともに反乱するが周公旦に敗れる。
禄父や管叔鮮は主犯として処刑されるが彼は助命された。
追放されたが、息子が蔡を継承することができ、蔡の国はなんとか命脈を保った。
蔡は春秋時代まで続いた(前447年)。滅ぼしたのは楚の恵王。
- ●康叔封(〜)
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姓は姫。名は叔封。
文王の息子。
武庚禄父・管叔鮮・蔡叔度が支配していた殷の勢力は彼らの敗北後 「衛」としてまとめられ、康叔封に与えられた。
- ●成王(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。2代周王。
武王姫発の息子。
父の武王が即位後すぐに若くして死んだため即位。
幼少であったため叔父の周公旦が政治を行った。
- ●唐叔虞(〜)
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姓は姫。名は叔虞。字は子干。
武王の息子。成王の弟。
成王がお遊びで弟(唐叔虞)に「お前に領地を与えよう」と言った。
記録官がその言葉を記録しており、のちに官吏たちは領地を与える手続きを始めた。
成王が「あれは冗談だ!」と否定しようとしたが、官吏たちの答えは 「王の命令は常に記録され、実行されるのです」。
この一件で叔虞は唐(晋)の始祖となった。
- ●康王(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
成王の息子。
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- ●昭王(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
康王の息子。
『竹書紀年』によると16年、南方の楚を攻め 19年、楚を攻める為に渡河する途中で敗戦。
そのまま生きて帰れなかったらしい。
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- ●穆王(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は満。代周王。
昭王の息子。
『竹書紀年』によると、17年 西のかなた、崑崙(新疆?)の西王母を訪ねたという。
犬戎を討った。
宰相甫公の建言により刑法を制定。
- ●共王(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
穆王の息子。
密を討った。
- ●懿王(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
共王の息子。
周は弱体化した。
- ●孝王(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
穆王の息子。共王の弟。懿王の叔父。
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- ●夷王(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
懿王の息子。
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- ●q王(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
夷王の息子。
現実にそぐわない改革を強行して人々の信頼を失った。
王への。
- ●共伯和(〜)(在位〜)
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姓は姫?。名は和?。衛の伯爵か?。
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- ●(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
の息子。
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- ●(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
の息子。
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- ●(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
の息子。
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- ●(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
の息子。
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- ●(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
の息子。
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- ●(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
の息子。
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- ●(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
の息子。
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- ●(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
の息子。
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- ●(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
の息子。
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- ●(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
の息子。
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- ●(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
の息子。
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- ●(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
の息子。
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- ●(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
の息子。
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- ●(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
の息子。
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- ●(〜)(在位〜)
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姓は姫。名は。代周王。
の息子。
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斉
- ●太公望
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羌族出身。姓は呂。名は望。尚。
遊牧民族のため、出身地は全くわからない。
離婚して家を追い出され殷(首都・朝歌)で肉屋をしていたそうだ。
「羌」の文字は「羊」と「人」を組み合わせた文字であることからもわかるように 羌族は羊飼いの民族。
羌族のコネで仕入れた羊の肉を街で売っていたんでしょう。
羌族も紂王から大きな被害を受けており、同じく紂王に恨みを持つ周と羌族は 打倒殷の共同戦線を張ったらしい。
遊牧民族の血と都市文明人の感覚をあわせ持つ彼だからこそ 周人と羌族の同盟戦略を果たせたのかもしれない。
彼は釣りをしている時に文王に出会い、スカウトされたのだという。
これにちなんで、釣り人のことを太公望と呼ぶようになった。
なお、このとき文王は狩りの途中であり 文王は太公望と言うでかい獲物を仕留め 太公望は文王というすごい大魚を釣り上げたということになる。
燕
- ●召公
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宮城谷昌光の小説『甘棠の人』に主人公として登場。
唐
- ●唐叔虞
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衛
- ●唐叔封
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蔡
- ●蔡叔度
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管
- ●管叔鮮