●注
古代史なので推測・空想で書いてます。まるまる鵜呑みにしないでね。
生没年とか根拠薄弱だし。
あまり本気になって「あなたの説はすばらしい」とか言われても困る。
批判されるのならまあいいけど。
崇神王朝
- ●神武天皇(推定235〜318)
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天皇家と言っても、最初はただの人。初代・神武天皇は、宮崎県の豪族の四男坊。
神武兄弟は、本家の女王の許しを得て縄文文化のフロンティア・奈良県に向かいます。
進んだ文化があれば、縄文人たちの王様になれるはず! でもひと足早く到着していたライバルが縄文人と仲良くなって、すでに王様になっていました。
ライバルとの戦いで兄貴達は戦死。冒険の末に彼はライバルを打ち倒し、王様になります。
奈良県を支配するだけの、ちいさな王様です。
彼の子孫は出世して「天皇」になるのですが…。(記紀より意訳)
- ●景行天皇(推定287〜355)
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当時、子供が産まれそうになると産まれるまで父親は重い臼を背負って 家のまわりをグルグル廻るという風習があったらしい。
景行天皇も奥さんの出産間近にこれをやっていた。
産声があがったのが聞こえて「やれやれ、終わりだ」と思って 臼を降そうとしたら「まだです」。なんと双子だったのだ。
この後から産まれて来た子がヤマトタケル。
苦しんだ天皇はヤマトタケルをのちのちまで憎んで 無茶な遠征の命令をヤマトタケルに与えた。
余裕→疲労→意地→限界→苦悩→喜び→安堵→驚愕→放心→絶望→逆恨み。
天皇の表情を想像すると楽しい。情景や心理状態が詳細に伝わってくる良い話だ。
天皇ですらこの役目を免れていないところからして 「財産の大きさに応じて臼が大きくなる」とか、そういうルールがあったのかなあ? 家柄とか、権威を示す儀式だったとか。
産婦人科の廊下に手持ち無沙汰の父親のために「出産用臼」を備え付けておけば良い。
体力に応じて大中小。かついで廊下を往復する。
臼の横に「安産」とか書いてあるの。無理しすぎてそのまま入院したりして。
ああ、余談。
- ●ヤマトタケル(309〜338)
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景行天皇の息子。
父である景行天皇に嫌われ、およそ勝つ見込みの無い遠征に出るように命令される。
その遠征とは、「九州・熊襲攻撃」。
熊襲は強く、まともに戦っては確実に負けてしまうので、彼は計略を用いる。
計略と言えば聞こえはいいが、要するに汚い手を使ったんだよね。
熊襲の王・クマソタケルの娘を騙したとも、女装したともいわれるが とにかくだまし討ちで熊襲の王・タケルを倒した。
死にゆくタケルから、その称号である名前を受け継ぎ、ヤマトタケルと名乗る。
死ぬはずだった彼が生きて戻ったため、景行天皇はさらなる遠征を命令する。
今度は関東へ。
周囲の草原に火をかけられ、炎に囲まれたり(静岡県焼津)
海を渡る時に妻であるオトタチバナ姫が犠牲になったり(神奈川県〜千葉県)したが なんとか任務を終えた。
関東を去る時、彼が「(ここで死んだ)我が妻よ」と言ったことから 関東地方を吾妻(あづま)というようになったのだそうな。
九州と関東の絶望的な遠征を切り抜けた彼だが、これには理由があった。
神に仕える巫女である姉から、いろいろな「ひみつ道具」を受け取っていたのだ。
故郷へ帰る途中、伊吹山(岐阜県〜滋賀県)の怪物を退治に出かけたのだが このとき大切な「草薙の剣」を名古屋の熱田神宮に預けて出かけてしまった。
そのため苦戦し、なんとか帰り着いたが毒を受けてしまったのだ。
衰弱しながらも都への道を行くが、足が三重に曲がってついに倒れる(三重県)。
悲劇の英雄・ヤマトタケルの魂はは死後「白鳥」となり、故郷へと飛び帰ったという。
彼は創作された存在だとする学説もある。
しかし、演出されてはいるが実在の人物だと俺は思う。
- ●成務天皇(309〜355)(在位338〜355)
- ●仲哀天皇(337〜362)
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ヤマトタケルの息子。
殺された(と思われる)古代天皇。
「仲」も、「哀」も、中国では殺されたり王朝が滅亡したりした皇帝に付けられる名前なんだよね。
神武だとか仲哀だとかいう古代天皇の名前は 奈良時代の学者がその業績を参考にして命名したそーです。
彼が殺されて、滅亡した人物だと認識してたからかな。
ちなみに「神・高・光」は王朝創始者に使う名前字とか。
「武」は軍事活動をしたとか。
人徳に優れていれば「文」の文字を使う。
気の毒系の名前字は「恭・安・順・幽・敬・和・静・献」などなど。
あと日本で多い気の毒系の名前字は「崇・徳・聖・清・寧・仁・考」とか。
そうだったと思う。
たぶん。忘れた。もういいや。