明
- ●洪武帝 太祖(〜)(在位1368〜1398)
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姓は朱。名は元璋。字は。
飢饉で家族を失った孤児。
白蓮教の反乱「紅巾の乱」に参加し頭角を現す。
他の反乱勢力を倒して併合。多くの人材を受け入れ強大となった。
元は戦うことなくモンゴルへ帰還し、空白の北中国を占領。
新しい王朝を開いた。しかしその後洪武帝は「用済み」の功臣たちを次々と抹殺。
1380年に胡惟庸らが、1390年に李善長らが、1393年に藍玉らが殺された。
その他の功臣もほとんどが何万人もの連坐者と共に殺害された。
- ●献文帝 恵帝(〜)(在位1398〜1402)
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姓は朱。名は允?。字は。
洪武帝の孫。
皇帝の位を受け継いだものの、有能な功臣たちは全て殺されてしまっており 実力を持った叔父たちが各地で勢力を誇っていた。
不安を感じた献文帝は叔父達を討とうとするが叔父・燕王に反撃される。
歴戦の燕王に対抗できる家臣は、もはやおらず、敗北。
帝位は奪われてしまった。
- ●永楽帝 成祖 太宗(〜)(在位1402〜1424)
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姓は朱。名は。字は。
洪武帝の息子。
燕王として北京に駐在。北元からの防衛の任にあたっていた。
しかし献文帝と権力闘争をはじめ内乱となる。
北京の燕王と南京の皇帝の戦争は燕王の勝利に終わり 焼失する南京の宮殿とともに献文帝は滅ぼされ、燕王はその帝位を奪い即位。
献文帝に仕えていた忠臣たちを皆殺しにした。
洪武帝の粛清&永楽帝の粛清により まともな人材は全くいなくなってしまい、明の「恐怖政治」の伝統だけが残されてしまった。
洪武帝・献文帝の「南京政府」を滅ぼした永楽帝は、自分の根拠地である 北京に遷都し「北京政府」をはじめる。「
- ●洪熙帝 仁宗(〜)(在位1424〜1425)
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姓は朱。名は。字は。
永楽帝の息子。
- ●宣徳帝 宣宗(〜)(在位1425〜1435)
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姓は朱。名は。字は。
洪熙帝の息子。
- ●正統帝(〜)(在位1435〜1449)
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↓天順帝と同一人物。
- ●景泰帝 代宗(〜)(在位1449〜1457)
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姓は朱。名は。字は。
宣徳帝の息子。
- ●天順帝 英宗(〜)(在位1457〜1464)
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姓は朱。名は。字は。
宣徳帝の息子。
- ●成化帝 憲宗(〜)(在位1464〜1487)
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姓は朱。名は。字は。
正統・天順帝(英宗)の息子。
- ●弘治帝 孝宗(〜)(在位1487〜1505)
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姓は朱。名は。字は。
成化帝の息子。
- ●正徳帝 武宗(〜)(在位1505〜1521)
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姓は朱。名は。字は。
弘治帝の息子。
- ●嘉靖帝 世宗(〜)(在位1521〜1566)
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姓は朱。名は。字は。
成化帝の孫。
- ●隆慶帝 穆宗(〜)(在位1566〜1572)
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姓は朱。名は。字は。
嘉靖帝の息子。
- ●万暦帝 神宗(〜)(在位1572〜1620)
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姓は朱。名は。字は。
隆慶帝の息子。
- ●泰昌帝 光宗(〜)(在位1620)
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姓は朱。名は。字は。
万暦帝の息子。
- ●天啓帝 熹宗(〜)(在位1620〜1627)
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姓は朱。名は。字は。
泰昌帝の息子。
- ●崇禎帝 毅宗 思宗(〜)(在位1627〜1644)
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姓は朱。名は。字は。
泰昌帝の息子。
明(南京政府)
- ●福王 朱常洵(〜)(在位〜)
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姓は朱。名は常洵。字は。
万暦帝の息子。李自成に殺される。
- ●福王 朱由刀i〜1646)(在位1644〜1645)
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姓は朱。名は由刀B字は。
万暦帝の孫。福王朱常洵の息子。
明滅亡後、南京にて馬士英に擁立された。
全くの馬鹿殿でありやすやすと満州族の侵入を許してしまった。
1645年、清軍の前に戦う事なく南京失陥。
逃亡するが逮捕され翌年死亡。
- ●潞王 朱常芳(〜)
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姓は朱。名は常芳。字は。
隆慶帝の孫。
明滅亡後、南京にて史可法に擁立されるが後継者争いで福王に敗れた。
史可法は押し寄せる満洲軍と戦い敗れ自殺。
杭州にいたが福王の南京政府が滅びたのをみて清に降伏。
明(浙江政府)魯王家
- ●魯王 朱以海(〜1662)(在位1645〜1646)
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姓は朱。名は以海。字は。
洪武帝の10代孫。
南京陥落後、浙江省紹興にて即位。
1646年、清の博洛(ボロ)に敗れ海上に逃亡。
以後は鄭成功を頼る。
- ●(〜)(在位〜)
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姓は朱。名は。字は。
の息子。
明(福建政府)唐王家
- ●隆武帝 唐王 朱聿鍵(〜1646)(在位1645〜1646)
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姓は朱。名は聿鍵。字は。
洪武帝の8代孫。
南京陥落後、鄭鴻逵に擁立され福建省にて即位。年号は隆武。
鄭成功に国姓「朱」を与えた。
鄭芝龍が清に寝返ったため敗れ、処刑された。
- ●紹武帝 唐王 朱聿粤(〜1646)(在位1646)
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姓は朱。名は聿粤。字は。
隆武帝の弟。
隆武帝の即位時に唐王の位を受け継ぐ。
隆武帝の死後、広州にて即位。
直後に清に敗れ死亡。
明(亡命政府)桂王家
- ●永暦帝 桂王 朱由榔(〜1662)(在位1646〜1661)
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姓は朱。名は由榔。字は。
の息子。
隆武帝の死後、広東省にて即位。年号は「永暦」。
逃げながら鄭成功に王位を与える。
呉三桂に追いつめられ、ビルマにて捕らわれる。
翌年処刑される。明王朝はここで完全滅亡。
しかし以後も「永暦」の年号は台湾の鄭一族が使い続ける。
明末群雄
農民反乱軍
- ●王嘉胤(?〜1630)
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反乱軍の親分。
明の曹文詔に討たれ死亡。
- ●高迎祥(?〜1636)
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反乱軍の親分。王嘉胤の後継者。闖王。
明の孫伝庭に敗れ処刑された。
順
- ●李自成(1606〜1645)(在位1643〜1645
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李自成は腐った明王朝を倒すために挙兵した反乱軍の親分。闖将。高迎祥の後継者。闖王と名乗る。
明の悪政に苦しむ人々の支持を得た。
中国北部の中原全域を支配下におき、皇帝に即位(1644年)。
明の皇帝を殺して新しい時代の創始者になろうとした時 明の武将・呉三桂が異民族の満州族(女真族)を中国に引き入れた。
明と李自成、両者が倒れて満州族(女真族)の清が漁夫の利を得た。
清王朝の支配下になった中国で抵抗を続けていくのが鄭成功。
中国・北京で巨大な「李自成像」がそびえているのを目撃!
現代中国では偉人として扱われているんですね…
西
- ●張献忠()(在位1644〜1646)
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反乱軍の親分。李自成と対立していた。
李自成と競って明と戦い蜀の地で独立。
ホンタイジの息子ホーゲに攻撃され殺された。
残党は抵抗したが1659年、平定された。
- ●孫可望
- ●(〜)(在位〜)
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姓は。名は。字は。
の息子。
周(雲南・貴州・湖南)
- ●呉三桂(〜1678)(在位1673〜1678)
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姓は。名は。字は。
明の武将。北方の満州族との国境で明の主力兵を率いて守備をしていた。
明の国内で反乱が起き首都が攻められたとき、急遽呼び戻された。
しかし彼が主力兵とともに帰った時にはすでに皇帝は自殺。
反乱軍の李自成が新王朝をたてていた。
呉三桂は今まで戦っていた相手・満州族に降伏。
満州族ドルゴンの軍勢を引き入れて李自成を攻撃した。
見事に明皇帝の復讐は遂げたが、中国は異民族・満州族の支配下に落ちてしまった。
満州族の清朝のもと、呉三桂は平西王として雲南を領有。
1673年、尚可喜の取潰しをきっかけに反乱。
1678年、湖南で皇帝に即位。しかし同年死亡。
- ●呉応熊(〜1673)
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姓は呉。名は応熊。字は。
呉三桂の息子。
妻はホンタイジの娘。北京に居住。
呉三桂の反乱時に殺害された。
- ●呉世璠(〜1681)(在位1678〜1681)
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姓は呉。名は世璠。字は。
呉三桂の孫。
呉三桂の死後即位。
しかしすぐに尚之信に湖南を奪われ、翌年貴州に逃亡。
1681年、清に攻められ自殺。
広東
- ●尚可喜(〜)(在位〜)
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姓は尚。名は可喜。字は。
の息子。
平南王。
1673年、故郷に帰らせてほしいと清朝庭に願い出るが それならば、と清朝は藩取潰しを命じる。
これが呉三桂の反乱につながる。
呉三桂から反乱に参加するよう誘われるが断る。
反乱を希望する息子に幽閉され、実権を失う。
- ●尚之信(〜1680)(在位1676〜1678)
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姓は尚。名は之信。字は。
尚可喜の息子。
1676年、呉三桂の反乱に呼応。
父・尚可喜を幽閉して独立。
1678年、呉三桂の死をみて清に帰服。
湖南を奪うが清に捕らえられ 1680年、処刑される。
福建
- ●耿仲明(〜)(在位〜)
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姓は。名は。字は。
の息子。
靖南王。
- ●耿継茂(〜)(在位〜)
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姓は。名は。字は。
の息子。
- ●耿精忠(〜1682)(在位1674〜1676)
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姓は。名は。字は。
の息子。
1674年、呉三桂の反乱に呼応。
1676年、清に帰順。
1682年、清により殺された。
三藩はすべて滅びた。
海賊
- ●
- ●顔思斉1588〜1625)
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海賊。罪を犯し、日本の平戸に逃亡。
平戸を根拠地として鄭芝龍などをひきつれ台湾を攻略。
病死後に鄭芝龍が継いだという。
- ●鄭紹祖?〜?)
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密貿易者。
1612年、家康に拝謁。
- ●鄭芝龍1604〜1661)
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密貿易者・鄭紹祖の長子。
1625年、顔思斉の跡を継ぎ海賊の親玉になる。
日本の平戸で生活していた。
明滅亡の時、亡命政府を擁するが 情勢悪化をみて清に降伏。しかし息子の鄭成功が降伏しなかったため 清に幽閉され、最後には殺されてしまう。
- ●鄭成功1624〜1662)
鄭成功は中国の海賊の親分・鄭芝龍を父に、日本人を母に持つ。
平戸で生まれ育ち 1630年、中国に渡る。
明王朝が滅亡すると亡命政府の隆武帝に仕え 隆武帝が殺されたあと父は降伏。
母は殺された。
復讐を誓い清王朝にたちむかい隆武の年号を使いつづける。
永暦帝がたつとこれに従う。
清の遠征軍を撃退し、何度も北へ攻め上るが失敗。
台湾を占領していたオランダ人を撃退し開発を始め さあこれから、という時に病に倒れ死亡。
明王朝が満州族(清王朝)に侵略されていたこの時代、明を守るために戦った英雄。
西洋人に占領されていた台湾を奪い取って本拠地にしたが、若くして死んだ。
3代にわたって台湾を統治したが、清王朝に滅ぼされた。
中国でも台湾でも英雄として尊敬されている。
「国姓爺合戦」によって描かれ日本でも有名…だったのですが。日本人は歴史知らないから。
鄭成功は日本に助けを求めたらしいが、無視されたらしい。
ドラマ化・映画化するなら、鄭成功役はやっぱり金○武かな。
- ●鄭経1642〜1681)
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鄭成功の子。
父の跡を継ぎ戦うが三藩の消滅もあり振るわず、中国本土の勢力範囲を失う。
- ●鄭克*1670〜1707)
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鄭経の子。父の死後兄が殺され、幼い彼が後継者になった。
しかし実態は傀儡。
何もできないまま 1683年、清の施琅の攻撃を受け、降伏。
以後北京にて忠臣として優遇された。