後高句麗→摩震→泰封

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後高句麗

●後高句麗

新羅末期、反乱軍の弓裔によって建てられた国。のちに摩震と改称。さらに泰封と改称。

新羅へ猛烈な攻撃を加え、滅亡へと追いやった。

668年に唐・新羅により占領され滅亡した高句麗とは別物。

●弓裔([857-861]〜918)(在位894〜918年)

新羅・憲安王(在位857〜861)の息子。

王子として誕生する。

誕生した時、「この子は不吉である」という占いが出たため生まれてすぐ殺されそうになる。

しかし、片目を失ったのみで密かに救い出され、生き延びる。

自分が新羅の王子である事を知らず、庶民として育つ。

しかし成長後、自分が新羅王に命を狙われ殺されかけたいきさつを知り、新羅王朝への復讐を決意。新羅への反乱に加わるようになる。

反乱軍首領の箕甄や梁吉の部下として新羅王朝と戦い名をあげ、勢力をひろげた。

「かつて新羅に滅ぼされた高句麗王朝を復興させ、新羅に復讐するのだ」と主張し、勝手に高句麗王を名乗った。国号も高句麗と名乗るようになる。もちろん古代の高句麗とは無関係なのだが、彼が作った高句麗王朝は「後高句麗」よ呼ばれる。また、のちに国号を「摩震」や「泰封」などと変更し称していた。

王建などの優秀な部下を武将として使い、新羅や甄萱(後百済)と戦った。

新羅王朝と、反乱軍甄萱の後百済、そして反乱軍弓裔の後高句麗。三つどもえの戦いのなか、新羅王朝は敗北を続けていった。

弓裔が産まれたときの占いの予言どおり、弓裔の反乱により新羅は滅亡しつつあった。

しかし彼は新羅の滅亡を見ることはできなっかった。

弓裔は部下の王建に殺され、弓裔の王国は奪われたのだ。

王建はその後、新羅王朝に続く「高麗王朝」をたて、次の時代が始まる事になる。