中華民国

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中華民国

数千年の歴史を誇る「中華帝国」最後の王朝「清」を倒し誕生した中国初の共和制国家。

清末期、異民族である満州族による支配国家「清」を打倒しようとする漢民族の運動があった(義和団など)。

さらにイギリス・フランス・ロシアなどに侵略されながら清朝にはなすすべもなく、義和団の鎮圧をイギリス・フランス・ロシアなどに依頼する始末だった。

この清朝にとってかわるべく孫文たちが中心となって行われたのが「辛亥革命」。新国家は民主国家「中華民国」。

しかし発足早々この国は軍閥による勢力争いの場となっていった。

群雄割拠の戦国時代が中国大陸に再現され、蒋介石の国民党がようやく統一させたと思えば今度は毛沢東の共産党と抗争。

大日本帝国の傀儡である満州国も戦乱に加わり、三つ巴の争いとなった。

国民党と共産党が同盟して日本軍と戦う、という作戦がとられたため、日本軍は敗れ退場していくが、直後に国民党と共産党は再決戦。

勝利した共産党が中華人民共和国を樹立し敗北した国民党は台湾に逃れた。

名目上、現在の台湾政府は引き続き「中華民国」なのだが、中国政府としての中華民国はここで滅びたとみるべきだろう。

最後まで混乱のなかにあった国だった。

国民党

●孫文(1866〜1925)(在任〜)

姓は孫。名は文。字は中山・仙。

広東省出身。

●蒋介石(1888〜)(在任〜)

姓は蒋。名は中正。字は介石。

孫文の義理の弟。

浙江省出身。

1907年、日本へ留学。

日本陸軍士官学校入学時に革命が起きたため帰国。

1926年、孫文死後の勢力争いにおいて、共産党勢力を追って権力を掌握した。

すぐさま各地の軍閥への攻撃を開始。

呉佩孚・孫伝芳 1927年、南京占領・遷都。張宗昌に敗れる。日本へ行く。宋美齢と結婚。

1928年、復帰。馮玉祥・閻錫山・李宗仁と共に北伐。孫伝芳・張宗昌と戦う。

張作霖と戦い、張作霖は爆死。息子の張学良は帰順したため北伐は完了した。

国民党による統一がなしとげられた。

1931年、広東派離脱の責任を取り辞任。

1932年、汪兆銘と合作政権。共産党との戦いを続けたが 1936年、張学良に捕らえられる。共産党との協力を強要される。

釈放されたのち、日本軍と戦うが 1945年、日本の敗戦により共産党との戦いが再燃。

停止していた内戦を再開するが 1949年、敗北。大陸主要部を全て奪われ、台湾に逃れる。

しかし中国正統政府として国連に在籍し影響力はいまだ強かった。

1971年、国連は大陸共産党政府を加盟させ、台湾国民党政府は脱退した。

1972年、人事不省となる。

1976年、死亡。

奉天派

●奉天派 中国東北部を中心とした地域に割拠していた軍閥のこと。

このあたりはのちに満州国がつくられる地域であり、中華民国政府・日本政府が 利権をめぐって争っていた。奉天派は両者をうまく利用していたともいえる。

●張作霖(1873〜1928)(在位〜)

姓は張。名は作霖。字は雨亭。

軍人だったが袁世凱の失脚に乗じて中国東北部を支配下におく。

1920年、直隸派と同盟して安徽派を撃つ(安直戦争)。

1922年、直隸派と戦うが呉佩孚に敗れる(奉直戦争)。

1924年、直隸派・馮玉祥の反乱を誘い勝利(第二奉直戦争)。

勢力を大幅に伸ばすがすぐに瓦解。

1925年、日本軍の支援を受ける。

1926年、呉佩孚と共に北京掌握。

1927年、北伐を受け敗北。

1928年、奉天へ列車で退却中、車両を爆破され死亡。

まったくの戦国武将といっていい人物。

領国を治め、他国を切り取ることだけしていたような人物。

●張学良(1898〜?)(在位〜)

姓は張。名は学良。字は漢卿。

張作霖の息子。

東北で独立しようとした張作霖を爆殺した日本軍だが、巻き返しを図る息子張学良を恐れた。

学良は反日行動をとり、それを抑えるために満州事変がひきおこされた。

そのころ国民党は共産党を包囲し、とどめを刺そうとしていたが 事変の混乱のため共産党は息を吹き返した。

その後張学良は共産党攻撃に従事していたが 中国人同士が戦い日本の侵入を許している事に疑問を抱き、西安にて共産党を保護した。

さらに駆けつけた蒋介石を捕らえ、国民党と共産党の同盟(国共合作)を同意させた。

しかし彼自身は逮捕され、長い不遇の月日を送った。

たいへん長生きしていたらしいが、よくわかりません。ごめん。

100歳近くまでは存命だったと思うのですが。

直隸派

●直隸派 現在の河北省を中心とした地域に割拠していた軍閥のこと。

このあたりは首都・北京に近い地域であり、中華民国政府に一番近く 覇権争いにはたびたび関与した。

猛将・孫伝芳により一時は大陸の多くの地域を支配したが 蒋介石の北伐の前に潰え去った。

●馮国璋(1858〜1919)(在任〜)

姓は馮。名は国璋。字は華甫。

河北省出身。

段祺瑞と共に袁世凱に従い中華民国を興す。

1913年、張勳と共に南京攻略。

1915年、袁世凱から離れ 1916年、副総統となる。

1917年、大統領代行。

1918年、辞職。

1919年、病死。

●曹錕(1862〜1938)(在任〜)

姓は曹。名は錕。字は仲珊。

河北省天津出身。

軍人。袁世凱の部下。

袁世凱の死後直隸督軍となる。

1917年、張勳を攻撃。

1920年、安徽派を攻撃。

1922年、奉天派を攻撃。

1923年、大統領となる。

1924年、馮玉祥が国民党側に寝返り敗北。捕らえられる。

1926年、呉佩孚により開放されるが再起はできなかった。

●呉佩孚(1872〜)(在任〜)

姓は呉。名は佩孚。字は子玉。ごはいふ。

山東省出身。

軍人。曹錕の部下。

1917年、張勳を攻撃。

1920年、安徽派を攻撃。

1922年、奉天派を攻撃。

1924年、馮玉祥が国民党側に寝返り敗北。

1925年、奉天派と共に国民党馮玉祥と戦う。

1926年、北京の馮玉祥を追い曹錕を救出。

しかし北進中の国民党勢力は強く再起はできなかった。

●孫伝芳(1885〜1935)(在任〜)

姓は孫。名は伝芳。字は啓遠。

山東省出身。日本陸軍士官学校卒業。

1921年、呉佩孚の配下となる。

1923年、福建省獲得。

1924年、盧永祥を倒し浙江省獲得。上海獲得。

1925年、楊宇霆を倒し江蘇省獲得。南京獲得。

安徽省・江西省を含み五省連合軍総司令となる。

1926年、江西省にて蒋介石に敗れる。

1927年、山東省に帰る。

1928年、張学良のもとに逃れる。

1935年、暗殺される。

●馮玉祥(1880〜)(在位〜)

姓は馮。名は玉祥。字は煥章。

安徽省出身。

1917年、段祺瑞に従い張勲を討つ。

1918年、独立。

1920年、直隸派に従う。

1923年、段祺瑞・張作霖に接近。

1924年、直隸派に反乱。北京占領。直隸派壊滅。

1925年、奉天派と争い敗れる。

1926年、外遊。国民党に入党。

蒋介石に従い北伐。

1929年、失脚。

1930年、閻錫山と挙兵・失敗。

1931年、国民党に復党。

1933年、反乱失敗。

1935年

安徽派

●段祺瑞(〜)(在位〜)

姓は。名は。

共産党