北元(モンゴル)皇帝の末裔たち

目次

北元

韃靼(タタル)

瓦剌(オイラート)

オルドス

阿蘇特(アスート)

更新日時

連絡先

小林教授
教授ロゴ

北元(モンゴル)皇帝の末裔たち

13世紀、モンゴル人たちはアジア・ヨーロッパを支配する巨大帝国を作り出した。

特に中国を支配した『元』帝国は強力で、とっても有名ですよね。

皇帝フビライの軍隊は日本にも攻め込んできた。

運良く嵐がやってきたおかげでなんとか助かった。

それだけ強かったんだよね。

教科書によると『元』は中国人王朝である『明(みん)』によって滅ぼされ とって替わられたように書いてある。

「えらくあっさりと滅びたなあ。」 俺も、そう信じ込んでいた。でも、実際は全然違ったんだよね。

中国とモンゴルは別のモノなんだから 明王朝が中国を奪還しただけであって 元の皇帝は本国であるモンゴル高原に戻っただけなんだよね。

んで、その後もずーっと存続した。

これを「北に行った元」という意味で『北元』というんです。たぶん。

中国・明王朝の時代から清王朝が始まるまで 北の強国としてがんばってた。

中国に攻め込むことたびたび。

最後は分裂して、同じく北方民族の満州族に吸収された。

この満州族が明を滅ぼし、清王朝を作る。

そのときの大義名分は 「我々はモンゴル大ハーンの後継者である」だった。

俺、この「元の末裔たち」について調べようと思ったのだけれど しろうとが近所の図書館で探した程度では何も、なーんにもわからんのですよ。

あちこち資料を探し回って、ようやくなんとなーく解ったような気がしてきたので、とりあえず彼らの系図を作ってみた。

本職の研究者が見たら笑われてしまうだろうがわかりやすい系図を作ってくれないあんたらが悪いんだよ!

実際、文献がほとんど無い時代らしくて、研究者もわからない謎の時代らしいから、しかたないんだけどね。

日本で言うと、邪馬台国の時代みたいなもんだ。…と思う。

人物の名前と、在位期間・生没年が付いてます。

例によって、俺の独断と偏見が3割ほど入ってるので、「小林説」だと思ってね。

モンゴル系図(1) モンゴル系図(2) 参考文献 世界各国史12 北アジア史 山川出版社 『アルタン=ハーン伝』訳注 風間書房

北元

●恵宗 順帝 妥懼帖木児Togan Timurトゴンテムル(1320〜1370)(在位1333〜1370)

名は妥懼帖木児(とごんてむる)。元の皇帝。

明宗の息子。

元王朝での廟号が恵宗。明王朝からつけられた諡号が順帝。

元帝国・文宗の頃、権力は丞相・燕帖木児(エンティムール)に握られていた。

文宗は遺言で恵宗を後継者に指名して死ぬのだが エンティムールは遺言を捏造。カイライの寧宗を即位させる。

完全に疎外されてしまった恵宗だが寧宗とエンティムールが相次いで死亡。

幸運にも帝位につくことができた。

しかし結局大臣・伯顔(ばやん)に政治をすべてまかせてしまい、放蕩生活を送る。

政治はめちゃめちゃ。

かつて一度使っている「至元」年号をもう一度使ってしまうなど意味不明。

災害がひろがり、反抗勢力が急増した。

そしてついに白蓮教紅巾軍の反乱が発生。

反乱軍がまとまらないうちに対応すれば良いのに元朝内では臣下たちが勢力争い。

ぼやぼやしているうちに明の朱元璋によって反乱軍はまとめられてしまう。

形勢不利とみた元王朝は中国領土を捨て本国・モンゴル高原にひきあげた。

この後も元王朝は元王朝なのだが明王朝成立後は便宜上「北元」王朝と呼ばれる。

恵宗は「元」の最後の皇帝であると同時に「北元」の初代でもある、ということ。だけど くどいようだけど恵宗も周囲の人々も「元王朝を滅亡させてしまった」という意識は無かったはずです。

中国という領土を失ったのはしくじったと思うだろうけれど 依然として皇帝としての立場は安泰だったのだから。

●昭宗Ayurshiridaraアユルシリダラ(在位1370〜1378)

姓は。名は。北元皇帝。

父は順帝トゴンテムル。母は属国である高麗の女性。

●天元帝Tokus Tmurトグステムル(1342〜1388)(在位1378〜1388)

姓は。名は。北元皇帝。

順帝トゴンテムルの息子。

●ジョリグトゥ(1359〜1390)

姓は。名は。北元皇帝。

天元帝トグステムルの息子。

明の洪武帝が派遣した藍玉将軍に攻撃される。

以後、北元は混乱し史料もあまり残っていない。

●也速迭兒 イェスデル(〜)(在位1388〜1391)

姓は。名は。北元皇帝。

系統不明。アリクブカ家?

天元帝トグステムルを殺し北元王家にとってかわり即位した。

●恩克 エンケ(〜)(在位1391〜1394)

姓は。名は。北元皇帝。

系統不明。

●額勒伯克 エルベク(1361〜1399)(在位1394〜1399)

姓は。名は。北元皇帝。

天元帝トグステムルの息子。

キリチに殺された。

●坤帖木兒Gun Temurグンティムール(〜1403)(在位1399〜1403)

姓は。名は。北元皇帝。

エルベクの息子。

ちょうど明で献文帝と永楽帝が争っていた頃の北元皇帝。

明が騒乱状態であったため、彼の記録はほとんど残されていない。

韃靼Tatarタタル

●鬼力赤Kuilichiキリチ(〜)(在位〜)

姓は。名は。北元皇帝。

系統不明。オゴタイ家?

エルベクを殺し実権を握り、オイラートのマハムと争った。

ティムール王朝からベンヤシリが帰国すると権力を失い滅亡。

●本雅失里 ベンヤシリ(1377〜1413)(在位1408〜1413)

姓は。名は。北元皇帝。オルジャイト。

エルベクの息子。

洪武帝のたびかさなる攻撃により衰弱したモンゴル部族たち。

しかし明王朝では洪武帝が死に、献文帝と燕王が行為をめぐり戦争を始めたため 南からの圧力は無くなった。

そこへティムール王朝から帰ってきたのがベンヤシリ。

彼は北元王朝の嫡流であり、アスート族のアロクタイに擁立され キリチを倒し即位して明との対決姿勢をみせた。

献文帝をようやく倒した燕王が永楽帝として即位し、モンゴルに使者を送ってくるがこれを斬った。

永楽帝がベンヤシリ討伐の兵をさしむけてきたが撃退。

激怒した永楽帝はみずから兵を率いて出撃。

ベンヤシリは敗れ、逃走。モンゴルの覇権はオイラートのマハムが握ることになる。

のちベンヤシリはマハムに殺され、北元王家の権威は失墜した。

●デルベク(1395〜1416)(在位1413〜1416)

姓は。名は。

ベンヤシリの息子。

●阿岱アダイ(1400〜1433)(在位1425〜1433)

姓は。名は。

トグステムルの孫。

●脱々不花トクトブハ(1422〜1451)(在位1433〜1451)

姓は。名は。

アダイの息子。

モンゴル元王朝の正統として権威を持ち続ける。

オイラートのトゴンの娘を妻とした。

しかし、のちにオイラートのエセンが明の皇帝を捕らえ、自ら皇帝に即位しようとするとき トクトブハの存在が邪魔となり、抹殺された。

●マルクルギス(1448〜1465)(在位1454〜1465)

姓は。名は。

トクトブハの息子。

父を殺したエセンが死ぬと豪族のボライ・モリカイらに擁立されて即位。

各地を転戦するがボライに殺される。ボライはモリカイに殺され しばらく混乱状態となる。

●モラン(1437〜1467)(在位1465〜1467)

姓は。名は。

トクトブハの息子。モリカイに殺される。

●ボルク(〜)(在位〜)

姓は。名は。

アダイの曾孫。エセンの孫。

●マンドクル(〜)(在位〜)

姓は。名は。

アダイの息子。

●バトムンケ(〜)(在位〜)

姓は。名は。

ボルクの息子。

●ダヤン(〜)(在位〜)

姓は。名は。

ボルクの息子。

モンゴル高原の支配者となる。右翼オルドスを三男グンビリクにまかせ 左翼チャハルは長子嫡系に継がせた。

●ボディアラク(〜)(在位〜)

ダヤンの孫。

●ダライスン(〜)(在位〜)

ボディアラクの息子。

●トメンジャサクト(〜)(在位〜)

ダライスンの息子。

●プヤン(〜)(在位〜)

トメンジャサクトの息子。

●リンダン(〜)(在位〜)

プヤンの孫。

瓦剌 オイラート

●馬哈木 マハム(〜1416)(在位1403〜1416)

オイラートの部族長。北元王朝王家の娘と結婚することによりその姻戚となる。

北元の正統でありマハムにとって義理の弟でもあるベンヤシリが明の永楽帝に敗れると マハムがモンゴル高原の実権を握る。

マハムは落ちぶれたベンヤシリを殺し、攻め寄せた永楽帝と対決。

痛み分けとなる。明は「夷をもって夷を制す」策に切り替え アスート部族のアロクタイを王に任命。

マハムはアロクタイに殺されてしまう。

●脱歓 トゴン(〜1439)(在位1416〜1439)

姓は。名は。

父はオイラートのマハム。母は元王家の娘。

明に帰服し、親のかたきであるアロクタイと戦う。

永楽帝は3・4・5回目の親征でアロクタイを狙うが逃げられる。

遠征途中に永樂帝は死去。明は遠征する力を失ってしまった。

トゴンは元王朝王家の末裔トクトブハと結びアロクタイを滅ぼした。

●也先 エセン(〜)(在位1439〜1454)

姓は。名は。

トゴンの息子。

北元皇帝トクトブハの義理の弟でもある。

周囲に出兵して各部族を次々と制圧。

かつてのモンゴル帝国を思わせる広大な勢力圏を築いた。

明王朝が貿易を制限してくるとこれと対決。明に攻撃をしかけた。

明の皇帝は、みずから兵を率いて進軍。土木堡にて戦闘となる。

エセンは明皇帝軍を破り、皇帝を捕虜としてとらえた。

さらに名目上の主君であったトクトブハをも殺し 1451年、エセンは皇帝として即位した。

オルドス

●巴爾斯博羅特バルスボロド(〜)(在位1519〜1527)

姓は。名は。

ダヤンの息子。分家だが副王ジノン(親王)として権力を握る。

●必里克墨爾根グンビリクメルゲン(〜)(在位1527〜1507)

姓は。名は。

バルスボロドの息子。ジノンの称号を受け継ぐ。

●俺答Altanアルタン(1507〜1581)(在位1542〜1581)

姓は。名は。

バルスボロドの息子。ジノンの称号を受け継ぐ。

オルドスの可汗。グンビリクメルゲンの後継者。

地位としては「副王」だが実質の支配者。

嘉靖帝治世の中国・明王朝に何度も侵入。

隆慶帝治世の明と講和。

明朝から順義王の位を与えられる。

中央アジアにも遠征した英雄。

信仰にもあつく招いた僧に「ダライラマ」の称号を贈呈した。

ダライラマの後継者は現在にまで続いていますね。

アルタンの死と共にモンゴル帝国の後継者たちは弱体化していく。

76歳の彼の死の2年後、女真族の若き族長、25歳のヌルハチが挙兵する。

●黄台吉Khung Taichiホンタイジ(〜)(在位1581〜1585)

姓は。名は。

アルタンの息子。センゲ。

アルタンの武将として戦う。アルタン死後は順義王の位を受け継ぐ。

息子のチュルゲと争い衰退した。明との友好をすすめた。

●チュルゲ(〜)(在位1587〜1607)

姓は。名は。

ホンタイジの息子。

●忠順夫人(〜)(在位1607〜1613)

姓は。名は。

チュルゲの妻。

●ボシュクト(〜)(在位1613〜1628)

姓は。名は。

チュルゲの孫。

阿蘇特 アスート

●阿魯台Aroktaiアロクタイ(〜1434)(在位〜1434)

阿蘇特族。

キリチの部下だったがベンヤシリを擁立して明に対抗。

しかしベンヤシリが敗れたためモンゴルの主流はオイラートのマハムに移った。

明にとっては攻撃対象がマハムに移ったため、敵の敵は味方というわけで アロクタイと同盟してマハムと戦う策にでた。

アロクタイは明から王位をおくられ、マハムを討った。

こんどはアロクタイがモンゴルの主流となり 明はマハムの息子トゴンと同盟してアロクタイにあたらせた。

トゴンは明から王位をおくられ、アロクタイを攻撃。

長く権勢を誇ったアロクタイも、逃亡の末に滅びた。

●(〜)(在位〜)

姓は。名は。北元皇帝。

の息子。