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「診断(Diagnose)」
文:藤下 真潮
米海軍所属空母キティホーク(CV−63)は、リムパック(環太平洋合同演習)に参加するため南鳥島の南東500kmに居た。一昨日母港の横須賀を出港し、前日の晩には厚木のCVW−5(第五空母航空団)の収容を完了し、後は夜明けとともに始まる演習を待つばかりだった。
フライト・デッキのカタパルト上には、VF―154ブラック・ナイト隊所属の2機のF−14Dトムキャットがアラート任務に就いていた。冷戦前なら確実に発生したインターセプトが目的のスクランブルも冷戦が終結した今となっては、アラート任務自体が形式的なお約束事に過ぎなくなっていた。パイロットはあくびを噛み殺しながら、アラート任務の終了をコクピット内でただ待ちつづけていた。
そこに、プライ・フライ(主飛行管制所)のエア・ボス(飛行長)からの無線がいきなり入った。
「小笠原諸島北西上空にアンノウン(正体不明機)。インターセプトを実行せよ。これは訓練ではない。ラウンチ エアクラフト(発進せよ)!」
エア・ボスから同じ指示が繰り返された。パイロットとナビゲーターは”了解”の返事とともにスクランブル時の省略された計器チェックを開始した。
甲板上ではフライト・デッキ作業員があわただしく走り回り始めた。
JFS(ジェット燃料スターター)のスイッチが入れられ、メインエンジンが点火された。FTIT(ファンタービン入口温度計)の数値をチェックし異常が無いのを確認する。ナビゲーターはINS(慣性航法装置)をスクランブル時の省略設定で現在位置の入力と通信・航法装置の作動確認を行った。
機体後部でジェット・ブラスト・ディフレクターが持ち上がった。
カタパルト・オフィサーがパイロットに対しフルパワーの手信号を送る。アフター・バーナーが点火される。パイロットはエンジンの最終確認を行うと、ヘッドレストに頭を押し付け、カタパルト・オフィサーに敬礼を送った。
カタパルト・オフィサーは片腕を前方に伸ばし、腰を甲板ギリギリまで下げた。その”ファイヤー(射出)”の手信号でコントロール・ステーションの射出ボタンが押された。
C13−1スチーム・カタパルトはF−14Dの装備重量33tという巨体を250kmの速度で叩き出した。
続いてもう1機が射出された。2機のF−14Dは180度方向転換し一路西北西に進路を向けた。
「アンノウンの情報は?」パイロットがナビゲーターに確認した。
「北緯31度50分。東経143度33分。小笠原諸島北50マイル付近。速度マッハ3.4。高度1000フィート」ナビゲーターが返答した。
「マッハ3.4!?」パイロットが絶句した。300mの低空をマッハ3.4の超音速で飛べる航空機など彼が知る限り存在しなかった。「リンク4Aは?」パイロットはすでに演習空域を警戒している電子偵察機E−2Cとのデータリンク情報を確認した。
「機種確認は出来ていない。レーダーのプリッツ(輝点)が弱い。ステルス機の可能性が在る。最初の発見は偵察衛星からの可視域と赤外域での発光によるものらしい」
「可視域? 発光しているのか?」
「そうらしい。遭遇ポイントは夜の地点になる。夜間モードを準備する」
「夜間モードとは俺達向きだ。”Anytime Anywhere AnyKnight Baby!!(いつでも、どこでも、夜だって、俺達ナイトにお任せあれ)”」パイロットは陽気にブラック・ナイト隊のモットーをつぶやくと、スロットル・レバーを最大位置まで引いた。
アンノウンとの距離がフェニックスの射程200km内に入っていた。英語とロシア語による警告を2度与えていたが、アンノウンは進路、速度ともに変更しなかった。
正体不明機が演習空域に接近しているとは云え、公海上でも在り、機種や所属も確認できないままミサイル攻撃を行うのはためらわれた。
「2番機は、ヘッド・オンにて威嚇射撃を行え。こちらは距離50マイルで旋回動作に入りアンノウンの背後につく」
了解のメッセージ代わりのジッパー・コードが2番機から発せられた。相対速度マッハ5では時間の余裕が殆ど無かった。例え旋回して敵の背後に着いても相手がマッハ3.4の速度を維持する限りは通常のやり方では迎撃は不可能だった。2番機の威嚇による速度低下を期待するしかなかった。
敵がWVR(視認距離内)に入った。ナイトビジョン・ゴーグルに輝点が浮かび上がる。目標は確かに発光しているようだった。
「CIC(戦闘情報指揮所)、機種が確認できない。そちらで画像の確認を頼む」
強化されたエンジンの他に最新の電子兵装を搭載したF−14Dに内蔵されたTVカメラはE−2Cを経由してCICに対しリアルタイムで映像を送ることが出来た。
1番機は高度2000フィートで旋回動作に入った。パイロットは増槽を投下すると、スロットルを戻しエア・ブレーキを掛け速度を十分落とすとフット・バーを蹴飛ばして急旋回を開始した。180度の旋回が終わると後退可変翼を閉じ、アフター・バーナーを最大に点火。身軽になった機体に25tという強大な推力を持つFE110エンジンが吼えた。F−14Dは、ヘッドレストに頭が叩き付けられる程に急加速した。
そしてパイロットはスロットル脇の兵装セレクタで長距離兵装を選択した。距離的にはフェニックスを使う位置ではなかったが、サイドワインダーもスパローも相手のマッハ3.4に追い付く事は出来なかった。唯一フェニックスが速度マッハ4の速度で相手を追撃できる可能性があった。
2番機から威嚇を行う旨のメッセージが聞こえた。
「2番機、アンノウンと接触」ナビゲーターが叫んだ。レーダーの輝点が重なった。対峙距離1マイル。2番機のガトリング砲が火を吹いた。2番機はすぐさま回避動作に入った。相手からの衝撃波を避けるためだった。しかし、2番機の回避動作を追う様に相手の進路も変更された。お互いの進路が交錯した。その瞬間、2番機が空中で飛散し炎に包まれた。
「CIC、2番機が撃墜された!! 攻撃を開始する」ナビゲーターが叫んだ。
CICも状況を確認していたのか、すぐさま返答が返った。
「1番機、攻撃を許可する。VFA−195もスクランブルした。攻撃後、追尾を行い情報収集を行え!」
エア・ボスもマッハ3.4相手の後方からの撃墜にあまり期待していないようだった。
機種を僅かに下げ、相手との軸線を合わせた。相手の速度は低下していなかった。相対速度差はマッハ2近くあった。
パイロットはHUD(ヘッド・アップ・ディスプレー)に映る機動目標ゲージが最短射程位置に収まるのを待った。イン・レンジのメッセージが点滅した。パイロットは操縦桿のトリガーを引いた。
胴体下部のフェニックス・ミサイルが発射された。続いてもう1発。
パイロットはHUD越しに敵機影を睨み付けた。発光の加減か、機種どころか機体形状も上手く認識できなかった。機動目標との距離を示すカウンターが勢いよく跳ね上がっていった。それに対して、ミサイル到着秒数を示すカウンターは計算不能を意味するハイフォンが表示されっぱなしだった。機動目標の速度に対しミサイルの速度が追いついていない証拠だった。
「クソッタレ!!」
そう罵った瞬間、機動目標の速度表示が急激な勢いで下がり始めた。そしてあっという間に速度表示がゼロになった。
「目標停止!!」ナビゲーターが叫んだ。
「ホバリングでもしてるのか?」
信じられない程の急激な停止機動だった。HUDの相対距離カウンタが見る見る内に減り始めた。そして着弾秒数カウンタがあっという間に一桁台に踊りこんだ。
レーダーの輝点が重なった。ナビゲーターが「ヒット!!」と叫んだ瞬間、HUD越しにミサイルの爆発する閃光が見えた。一呼吸置いてもう一度閃光が見えた。
「目標がまだ居るぞ!?」
レーダー上の輝点は消えていなかった。
「攻撃を継続する!!」
操縦桿の兵装セレクタを近距離に設定する。サイドワインダーのIR(赤外線)シーカーを冷却する。だが目標の熱源を捕らえることが出来なかった。目標から可視域発光は続いていたが、ナイト・ビジョン・ゴーグルでもなぜか熱の発生は見られなくなっていた。
レーダー上の輝点が元の進路を急激な加速で動き出した。
「スパローを使え!」
ナビゲーターの叫び声に、パイロットは兵装セレクターを中距離レンジに設定しなおした。トリガーをハーフ位置に引く。HUDの表示が中距離モードに切り替わる。目標がロック・オンされた。そして更にトリガーを引き込んだ。
2発のスパローが目標に向かって放たれた。
スパローのセミアクティブ・ホーミングは、着弾まで誘導を行う必要があった。HUD上に目標をロックしつづける。着実に減り始めていた着弾秒数カウンタがいきなり反転を始めた。ミサイルの速度より目標の速度が上回ったのだ。
やがて目標はBVR(視認距離外)を越え、スパローの射程を越えた。
「CIC。アンノウンに振り切られた」ナビゲーターが悔しそうにつぶやいた。
「了解。ブラック・ナイト1番機。2番機の撃墜現場の位置を確認せよ。救助ヘリを送る。位置確認後、帰投せよ」
もはや追撃の手段は無かった。後は、ホーネットに任せるしかなかった。
「ブラック・ナイト1了解。位置確認後、帰投する」
迎撃にあがった2機のF/A−18Cホーネットは、最大射程の50kmで搭載ミサイルのアムラームを発射した。慣性誘導によりマッハ4の速度で進むミサイルは、目標に接近すると内蔵のレーダーを起動しアクティブ・ホーミングへと切り替えた。ミサイルは、目標に向かって緩やかに弧を描き、やがて目標近くで爆発した。
だが目標は、撃墜されるどころか速度も進路すら変更しなかった。
再度アムラームによる攻撃を行おうとしたが、すでに距離が接近し過ぎていた。
サイドワインダーを選択する。しかしIRシーカーを冷却する間もなく目標は衝撃波を残し通り過ぎていった。それはとてもホーネットのマッハ1.8で反転追尾が可能な速度ではなかった。
空母キティホークのCICは、混乱状態に陥っていた。ブラックナイト1番機に搭載されていたカメラからの映像を確認したが、機種どころか機体形状すら確認できなかった。単に球形の発光物体が確認されただけだった。
発光物体は、キティホークまで20kmの距離まで接近すると高度を海面上50フィートまで落とし、さらにマッハ4.5まで速度を上げた。発光物体が通り過ぎた海面上に衝撃波による瀑布のような水煙が上がった。通常の航空機ならば自分自身が発した衝撃波の反射で機体がバラバラになる速度と高度だった。
キティホークを護衛するイージス艦からシースパローが矢継ぎ早に発射された。だが海面上ギリギリを飛行するアンノウンはレーダー反応も弱く、立ち上る水煙にレーダーも散乱された。シースパローは次々と目標をロストし迷走を始め、やがて海面に突っ込んだ。
イージス艦からの対空ファランクスの攻撃を意に介する様子も無く、発光物体はそのままの勢いでイージス艦の艦橋脇をすれすれにすり抜けていった。マッハ4.5の衝撃波は、メインポールを吹き飛ばし、艦橋のガラスを粉々に四散させた。
そして発光物体はキティホークの左船腹にある艦載機を昇降するためのNo.2エレベーターからハンガーに飛び込み、衝撃波でE−2Cをなぎ払うと、そのまま反対側のNo.1エレベータのリフトアームをへし折って通り抜けて行った。
キティホークをすり抜けた発光物体は、進路を南よりに変更すると、今度はほぼ垂直に近い急激な上昇を行った。それはまるで重力など存在しないかのように、わずか15秒で成層圏に達し100秒後には電離層のE層にまで到達した。
世界最大級の空母の一つである、原子力空母ハリー・S・トルーマン(CVN−75)はキティホークの南西200kmの海上を航行していた。
S・トルーマンのCICでも、正体不明機の航跡を追尾していたが、目標が電離層に到達後はレーダーからロストしていた。最近の艦載用のレーダーは水平線以遠を探査するために電離層反射タイプを使用している。つまり電離層より上空の物体はレーダーに引っかからなくなるのだ。
CICでは正体不明機の機動データをペンタゴンに送り機種の照会を行ったが、もとよりそんな航空機が地球上に存在するはずがなかった。
演習は既に中止され、集結した全艦を挙げての探索が行われていた。
PARの画面に張り付いていたレーダー管制官は奇妙な表示を見つけた。レーダーの中央つまり自分の艦の位置に速度と高度を示すラベルが表示されたのだ。速度表示はマッハ6を超え、高度表示は凄まじい勢いで減少していた。その表示の意味に気が付いたとき管制官は思わず叫び声をあげた。
「艦の真上にアンノウン発見!! 高度20万フィート」
シー・スパローがS・トルーマンと脇のイージス艦から発射された。シー・スパローはS・トルーマンの真上4万フィート上空で目標に命中した。かすかに上空で閃光が見えた。しかしミサイルの爆発音が到達するより早く、発光物体はS・トルーマンの甲板を突き破った。
発光物体は、機関部に到達すると急速に停止し、発光の輝度を落とすと人型に変形した。そして原子炉格納エリアへと歩み寄ると、遮蔽隔壁を打ち破り熱交換器へと通ずる1次冷却水の循環ポンプを破壊した。加圧された1次冷却水が爆発したかのように噴き出した。放射能に汚染された水蒸気が侵入した穴を通して船内に充満した。
船内を非常警報が鳴り響いた。
人型は、そんな騒ぎを意に介する様子も無く通路を無視し、次々と壁を打ち破りながら兵器格納庫に侵入した。
格納庫の一角に黄色地に赤いマークの放射線危険物表示の標識が付いた扉があった。
兵装の搬出作業をしていた水兵が壁を打ち破った侵入者を認めた。
敬虔なクリスチャンであった彼は、その姿に思わず十字を切った。
それは、彼が子供の頃から教会で見ていた天使の姿にあまりにそっくりだった。
侵入者は扉に近付くと右手を挙げた。何かが光ると扉には大きな穴が穿かれた。
水兵は声を出すことも出来ずに侵入者が扉の中に進み入るのを茫然と見送った。その部屋の中にはホーネットからの射出が可能な、最新型の核弾頭付き空中発射型トマホークが収められていた。
「ジーザス・・・」
その言葉が終わらないうちに、S・トルーマンは核の閃光に包まれた。
●●●●●
「レム・・・居る?」沙羅は二人が住むログハウスの扉を開けながら声を掛けた。
「居るわよ。どうぞ」
レムは部屋の隅のパソコンを置いたテーブルの前に座っていた。そして中指をCDの穴に指し込み親指でくるくると廻しながら記録面を眺めていた。
沙羅は、フード付きの赤いコートについた雪を払いながら暖炉へと歩み寄った。
「何のCDなの?」
「音楽のCDじゃなくて、コンピュータ用のCD−ROMよ。これは歴史のデータベース」
「そんな風に眺めて、まさか読めるわけではないでしょう?」
「読めるわよ」レムは何てこと無さそうに返事した。
「本当!?」
「音楽用も画像用もそんなに複雑なコード化はされていないわ。例えば・・・」
レムは別なCDを手に取り、記録面を眺めると唐突に歌い出した。ボーカルだけではなく、伴奏部も含めて見事に発声された。それは沙羅もよく知っている曲だった。
「すごーい。レムにそんな芸が出来るなんて知らなかった」
「位相変化でなく、反射率で記録されているタイプならそれほど苦労はしないわ。コンピューターの回線上のデータも直接読めるし」
「ふーん、すごいんだ」沙羅は、あまりコンピュータのこととかは詳しくは知らなかったが、素直に驚きを示した。「ところで話ってなに? 大事な話なの?」
「そうね、とても大事な話になるわ。ゼロも一緒に・・・」
レムがゼロを呼んだ。屋根裏の荷物置きからゼロが返事を返すと、ふわりと床に降り立った。
「ゼロ、ここ2,3日見掛けなかったけど、どうしてたの?」沙羅は少しすねたようにゼロを問い詰めた。
「ちょっと海外に行っていたんだ」ゼロは相変わらずの表情の少ない顔で返事をした。
「沙羅。我々の前哨隊が動き出したんだ」レムが真剣な表情で沙羅を見詰めた。
「前哨隊って!? 戦争が始まるの? いつから?」
ゼロとレムの二人が偵察の目的で地球に来た事は、沙羅も知っていた。いつか彼らの軍団と人類が戦争を始める可能性があることも。けれど、沙羅はそのことを誰にも秘密にしていた。二人に出会って8年が経っていた。二人の恐ろしい目的も、平穏な生活の中に埋もれ、特に意識することも稀であった。
「どうなるの・・・?」沙羅は表情を強張らせゼロに尋ねた。
「前に説明したように、すぐにと云っても我々の時間感覚は人類とずいぶん違う。前哨隊が実際に地球に到達するまで1年か2年の時間があると思う」
レムがゼロの言葉を継いだ。「昨日、太平洋のアメリカ軍の演習で事故が起きたのは知ってるでしょう?」
沙羅は黙ってうなずいた。核爆発が起きた可能性があるとかでテレビが大騒ぎをしていたので、もちろんその事故のことは知っていた。
「あれは、ゼロがやったのよ」レムは沙羅の眼をじっと見詰めながら話した。
「なぜ? だって大勢の人が死んだのでしょう? なぜ、そんな恐ろしいことを・・・」沙羅の声が震えた。
「人類の戦力分析するために必要だったのよ。アメリカ軍は現在地球上で最強の戦力を持っているから」レムは表情を動かさずに言葉を続けた。「結果として前哨隊だけで地球上の戦力は3日も持たない。例えばゼロ一人だけでも30日あれば全ての軍隊を制圧できるわ・・・それほど戦力に差がある」
レムのその発言に沙羅は言葉を詰まらせた。7年間を一緒に過ごし、彼らの価値判断というものを知ってはいたが、あまりに冷徹な判断に違和感を覚えることもときおりあった。
「地球はどうなるの?」
「分からない。私達は偵察が任務だから、制圧後の情報までは持っていないのよ。”主”がなにを考えているのかは私達のレベルでは窺い知れないの。”主”と意識を共有できるのは、もっと高い階層の者だけよ。それに私達は斥候の役目を負ってここに来たから共通意識野とのリンクは外されているの。そのおかげでこちらの行動も向こうには伝わっていないのだけれど」
重い沈黙が続いた。
「帰っちゃうの? ゼロもレムも帰ってしまうの?」沈黙に耐えられ無くなったように、沙羅がつぶやいた。
「それはあり得ない・・・我々は既に戻れなくなっている」ゼロが答えた。
「どうして? 報告をしなかったから?」彼らが本来の任務である報告を行わずに地上に留まっている事を沙羅も知っていた。
「そうではない。それは本質的な問題ではない。私達が任務を果たさなかったこと自体はさして問題にはならない。問題は私達が機能的に変化を起こしたことだ」
「変化? ”混沌の種”のはなし? でもゼロ達のDNAは変化を受けないはずでしょ?」
「確かにDNAに対する影響は無い。けれど、どうやら影響がまったく無かったわけでも無い様なのだ・・・」
「沙羅と初めて出会ったとき・・・」レムがゼロの言葉を継いだ。「私達は沙羅からの情報収集にほとんど価値が無いと判断した。そのとき、本来の私達の行動パターンであればあなたを抹消して別な人間と接触するべきだった。だけど私達はそうしなかった。本来の行動パターンから考えれば、これは異常なことなのよ」
「私を殺すことが正常な行動だったというの!?」沙羅は怯えた目で二人を交互に見つめた。
「その通りよ。けれど結果的にはそうしなかった。そうしなかったと云うよりは出来なくなっていたと云うほうが近いかもしれない。つまり・・・沙羅、あなたに出会った瞬間から私達は影響を受けていたのよ」
「それは多分、場(フィールド)のようのものだと思う。人類は、理性形成や情動行動規範を人類共通の意識野において形成しているようだ。これは我々”天使族”の共通意識野に理論的には近いものだが、機能としては大分異なる。”天使族”の共通意識野がデータの蓄積、データ交換、計算判断支援の機能から成り立っているのに対し、人間の共通意識野は、主に情動面において興奮と抑制のバランスを機能と人格そのものの形成作用が中心だと思われる。この人間の共通意識野の場(フィールド)に我々も影響を受けたのだろう」
「沙羅と接触することにより、我々の内部で計算不能のパラメータが生じた。それは意識の領域における変化だった。つまり君達人類で云う”感情”に近いものが生じたと思われる。計算可能なロジックのみを判断基準にする我々にとってこれはかなり厄介な問題だ」
「結局、現状の私達の意識を”天使族”の共通意識野にリンクしたとしても排除される可能性が非常に高い。つまり、戻ることは不可能と云うことだ」
「私のせいなの? 私と会った事によって、ゼロ達が変わってしまったの?」沙羅には話が難し過ぎてよく理解できなかった。
「そうではないのよ。場は地球全体を覆っている。沙羅に出会わなかったとしても、私達は結局影響を受けたのよ。私は最初に出会ったのが沙羅で、とても良かったと思っているわ」レムはにっこりと笑った。「楽しいとか、嬉しいとかという感情が完全に理解できたわけではないけれど、多分いまの私達の気持ちは、それに近いものだと思う」
「どうなるの・・・これから」沙羅は不安そうに二人に尋ねた。
「我々とは別な斥候が侵入していることは把握していた。そちらから人類に関する情報は届いただろう。”主”の方針は不明だが、今までの経緯を考えれば多分”消去”の可能性が高い。前哨隊が到着すれば3日間で地球の軍事力は解体できる。その後7日間あれば全人類を消去可能だ」ゼロが答えた。
「私は、”石”を探そうと思う」レムが答えた。
「石? なんの石なの?」
「当初、この人類に対する開発計画が設定された段階で二つにキー・パーツが用意されたの。一つは、いま空にある月よ。もう一つのキー・パーツは失われていて、何処にあるのか分からないの。これを探しだす事によって計画の狂いを補正することが出来るはずよ。そうすれば人類を消去する理由も無くなるはずだわ」
「キー・パーツってなんなの?」
「”バナナ型説話”って知ってる?」
沙羅は首を横に振った。
「エデンの園の話なら知っているでしょ」
「それなら知っているわ」
「”バナナ型説話”と云うのは、”エデンの園”の原型となった話よ。東南アジアにある説話で、神からバナナと石のどちらかを選ぶように言われた時、人は石を取らずにバナナを選んだ。その結果、人は石の不死性を得られず、その代わりバナナのように有用ではあるが寿命が短くなってしまったという話よ。この説話は、いろんな地方に伝承されて様々な変化を受けた。西洋では、知恵の木の実と楽園追放という話になり、日本では木乃花朔耶姫と石長姫の説話に変形した。ここで問題なのは常に選択されるのが”バナナ”の側という事なの。もちろん説話によって物の種類は違うけど、常に”死と再生と発展”つまり変化を象徴する”バナナ”が選択されるのよ。この”バナナ”が実はいま在る月なのよ。人類は”死と再生と発展”の変化の源泉である月の影響を常に受けつづけた。本来は、もっと緩やかで永続的であるはずだった人類の進化は、不死と不変の象徴である”石”を失ったことにより、急激でしかもイビツなものになってしまったのよ」
「その”石”が見つかれば、人類は助かるの?」
「たぶん。少なくても”消去”する積極的な理由は無くなるはずよ。私はその”石”を探しに行こうと思うの」
「何処へ? 当てはあるの?」
「数万年から数十万年の範囲で大災害が起きた可能性の在る場所を探せば何とかなると思うわ。”ムー大陸”や”アトランティス大陸”などの伝説が残る場所の可能性もあるし・・・」
「ゼロも一緒に行くの?」
「いや、俺は時間稼ぎをしようと思っている。人類の科学力は比較的進んでいる。この科学力で天使族の力を解析すれば、前哨隊に対抗するくらいの力を人類も持てるかもしれない。ただし、その力も前哨隊にしか通用しない。本隊が到着すれば終わりだ。それほど本隊と前哨隊の力の差は凄まじい。ただし、本隊が到着するまでにレムが”石”を発見すれば何とかなるだろう。そのためには、前哨隊相手に時間稼ぎが必要だ」
「時間稼ぎって具体的にはどうするの?」
「ペンタゴン(米国国防総省)に乗り込んで直談判するのが一番手っ取り早いと思う。リムパックの時に力の差は見せてあるから説得は楽だろう」
「帰ってくるの?」かすれた声で沙羅は二人に尋ねた。
沈黙が流れた。
「分からない」レムがゆっくりと首を振った。「本隊が到着するまでに”石”を見つけられれば、帰ってはこれるが・・・確率はあまり高くない。”石”を感知する手立てがあればよいのだが、残念ながら私にも感知することが出来ない。手探りの探索は途方も無く時間が掛かる。正直言って間に合うかどうか分からない」
「私も連れていって・・・」怖いほど真剣な表情で沙羅が言った。
「それは無理よ」レムが答えた。「私の探索は人が行くには難しい場所が多いのよ。深海だとか人跡未踏の地とか・・・。あなたを連れていけば探索のペースは5分の1まで落ちてしまうわ」
「俺の方も難しい。俺一人で軍と対峙する分には、俺のほうが優勢であるし、力ずくの交渉も可能だ。しかし、君を連れていけばアメリカ軍は必ず君を人質に取って俺と交渉しようとするだろう。残念ながら政治家や軍人と云う人種は必ずそのような戦略を取る。君は交渉において弱点にしかならない」ゼロが冷たく答えた。
「私はもう子供じゃないわ! あなたと出会った頃の小さな子供じゃないわ・・・」沙羅は怒ったように叫んだ。
その言葉は、ゼロに向かって放たれていた。レムは泣き出しそうに震える沙羅の表情とゼロの困惑した表情を交互に見比べた。レムは、沙羅がなにを欲しているのか理解していた。そして、沙羅の情動というものに対し、レムよりも感情表現が少ない筈のゼロのほうが実は如実に影響を受けていることも知っていた。
「沙羅。この話は、また今度ゆっくりとしましょう。私達もすぐに出て行くわけではないわ。それに、そんなに興奮しては会話にならないでしょ」
レムは、会話を中断するように矛先を向けた。
沙羅は、その場に居たたまれないかのように自分のコートを掴むと、返事もせずに雪の降りしきる扉の外へと走り出た。
レムとゼロも黙って沙羅の後姿を見送った。
「ゼロ。人の感情と云うものは難しいものね。その力を例え様もなく凄いと感じることも在れば、厄介なものと感じることも在るわ・・・。沙羅への説得は難しそうよ。ゼロ、どうする? 私一人で行動してもいいのよ」
「それではただでさえ低い可能性が益々低くなってしまう。当初の計画通り進めるべきだ」ゼロは勤めて事務的な口調で返事をした。
レムは、窓の外に沙羅の姿を探した。レムの視力でも雪に紛れた沙羅の姿は既に見えなくなっていた。
「そうね・・・」
レムは、曖昧に返事を返した。
夜半を過ぎて雪は降り止んだが、逆に強くなった風により地吹雪が起きた。野の獣でさえも動くことがかなわない程の激しい地吹雪が、その後3日3晩の間吹き荒れた。
かろうじて吹雪が収まった冬の日の晴れ間、沙羅は朝早くにゼロ達が住むログハウスを訪れた。扉の前に吹き寄せた雪の溜まりに胸騒ぎを覚えながら、重たい扉を開けた。暖房の火が落ちた冷たい部屋の中で二人を呼ぶ声が空しく響いた。
沙羅は、テーブルの上の置手紙に気がついた。”ごめんなさい”という文字が目に入った。沙羅は慌てたように置手紙をくしゃくしゃに丸めると部屋の隅に投げ捨て、そして戸外へと飛び出した。
「バカッ!! ゼロのバカバカバカ!! さよならくらい言わせてくれても良いじゃないの・・・ ゼロなんて大嫌い!!」
この季節には珍しい、晴れ渡った青空が沙羅の眼に滲んだ。突然の声に驚いたようにウサギが雪の斜面を駆け抜けて行った。
何の変哲も無い冬の朝だった。けれどその日、地球の運命は大きく傾斜を始めた。良き悪しき、未だ問う者も居なかった。