国語の部屋

  国語を勉強するみなさんの手助けができればと思います。高校生のみなさん、よろしく。

現代文の学習の手引き

 勤務校で新入生のために書いたものです。その性格上、文体が気に入りませんが、書いてあることはそれなりのことが書いてあると思うので、高校生のみなさん、参考にしてください。

@『現代文』とは何を学ぶ科目か
 現代文という科目は、君たちにとって最もわかりづらい科目かもしれない。何を覚えればいいのか、何を理解すればよいのか、実にあやふやな感じがするだろう。
 一言で言うと現代文は明治以降の文章を材料にして、それまで自分になかった『考え方』や『感性』や『表現の仕方』を学び、それをトレーニングする科目と言える。その過程で自分を発見したり、自分を変革していったりする科目だ。
 現代文の力は生き方や、世界認識も変えてしまうほど、人間にとって大切で根本的な力である。これから述べることを参考にして目的意識を持って現代文の授業に臨んでほしい。

 「日本語は一つ?」――言葉/共同体のルールを学ぶ

 現代文を学ぶ上で、まず確認しておかなければならないのは、「現代文」が言葉を扱う教科だというである。言葉というものは一種の記号である。例えば、「赤信号」を見て、止まるためには「赤信号は止まれという命令として使われている」というルール(作法)を知らなければならない。
 「文章の意味が分からない」、「言っていることがわからない」というのは、「発信者」と「受信者」の間にそのルールが共有されていないと言うことなのである。重要なのはその「ルール」が同じ日本語といえども、それぞれの共同体(幼稚園児の集団、科学者の集団、文学者の集団などなど……)によって、異なるということだ。例えば、老人には君たちの会話のすべては理解できないだろう。それは「高校生」という共同体で使われている言葉の「ルール」を知らないからだ。
 君たちは中学校を卒業するまでに、日本人が日常生活に使う言葉の「ルール」を学習してきた。高等学校ではこれから先、自分の興味に沿って専門的なことを学習するためのことばの「ルール」を幅広く学習する。もちろんそれは中学校までに学習してきたことが基礎になるが、高等学校の教科書には「日本人であるから日本語が読めて当然」といった君たちの考えを裏切る「日本語」がたくさんあることにすぐ気がつくだろう。そこで「文章が悪い」と開き直るか、「『ルール』を学習しよう」と考えるかで君たちの一生はずいぶんと変わることになる。
 言葉とはとりもなおさず、世界のことである。共同体が異なれば使用されている言葉も異なるのは当然である。君は日本人として、どれだけ幅広い世界を生きることができるだろうか。是非、様々な分野における一流の文章に数多く接することによって、世界を広げていってほしい。

 「王様はかわいそう?」――多様な見方を学ぶ

 一つの言葉には一つの見方が隠されている。このことを覚えていてほしい。例えば簡単な例を挙げよう。「フリーター」この言葉に君たちは何を感じるだろうか。何者にもとらわれない精神、かっこよさ、自由……。ところが、「職業不定」というと、どうだろう。君は「かっこよさ」を感じるだろうか。同じことなのに、全くイメージが違うのに気がつくだろう。
 このように言葉というものは世界に対するイメージや価値をつくりだす働きがある。これは文学でも、訪問販売でも、愛のささやき(!)でも、すべて言葉を使うものにはついてまわることなのだ。君らは訪問販売にはだまされたくないから、気をつけるだろうが、小説やドラマなどにはそれほど気をつけない。
 例えば、中学校で太宰治の「走れメロス」を読んだだろう。そのとき、王をメロスの側から一方的に見て、君たちは憎く思ったに違いない。しかし、王の側から見た場合、王にも何かそうせざる理由があるとは考えられないだろうか。そのとき王は大変繊細で弱い人間に見える。このように、小説や文章に仕掛けられた固定化された見方とは別な見方から見ることは、想像力を鍛えることにもなるし、真実を見抜く力にもなるのだ。
 私たちのまわりには様々に固定化された「見方」があるが、それをうのみにするだけではなく、それを良く吟味した上で選び取れる人が「教養のある人」であるし、自分自身の人生を生きている人と言えるのではないだろうか。その基礎的な力を現代文で養ってほしいものである。

 「夕焼けは恐ろしい?」――自己にはない他者を発見する/他者にはない自己を発見する

 夕焼けを見て、美しいなあと思う。しかし、この感情は生まれながらにして、もっているものではない。夕焼け=美しいというのは後から作られた見方なのである。実は太陽に美しさを感じるなどとんでもないという国もある。
 つまり、夕焼けが美しいというのは日本文化が様々な物語でそれとなく作り上げてきた「見方」でもあるわけである。その「見方」を学ぶことで、日常の暮らしがとても楽しくなる。様々な詩歌、評論、小説などで、今まで気づかなかった世界の美しさや良さを発見してほしい。感動は多い方がよいではないか。
 これは、物語だけではない。君の隣に座っている友達も、教師も必ず君とは違う見方を持っている。それを発見するということは、他者とは違う自分を発見するということでもある。自分を見つめ、他者の感性をも自分のものにして、豊かで文化的な生活を送ってほしい。
A『現代文』の学習の仕方
 現代文の具体的な学習活動は4つである。(1)書く(2)読む(3)話す(4)聞くという活動である。これらの活動にどのような態度で取り組めばよいのかを、述べる。

 辞書をもたず授業にでるのは、武器を持たずに戦場に行くのと同じこと

 漢字や、語句などは知識の部分である。現代文の時間には必ず辞書を用意すること。言葉の意味をまとめて学習することは不可能である。君たちも小さいころからわからない言葉に出会うたびに「○○ってどういうこと?」と親などに聞きながら、育ってきたはずである。君たちは中学までの学習で基本的な語いはマスターした。そういった人たちに用意されているのが国語辞典である。わからない言葉はその場で自分で確認してほしい。高校の学習での語いは日常の生活で使う言葉よりも幅広くなる。もう親や大人に聞いても教えてもらえない。自分で調べた者だけがプラスαの教養を身につけることができるのである。

 漢字の読み書きは基本的な力

 漢字については、読めない漢字を国語辞典(漢和辞典)で調べるのはもちろん、君たちの手元にある漢字の副教材を3年間フルに活用して、体系的に読み書きを練習していくのがよい。その際、意味のわからない熟語をそのままにしないことである。漢字が書けても意味がわからなければ使えない。日本語で難しいと思われる言葉はほぼすべてが漢字で書かれた言葉である。そのことを自覚して学習をすることで、評論などを読むときのハードルがぐんと下がるはずである。中学校で国語が苦手だった人は是非このことを肝に銘じておいてほしい。漢字の学習は努力すれば誰でもできる。
 また近年注目されている資格の一つに漢字能力検定というものがある。本校で使用する漢字のテキストも漢字検定対応となっているので、1年で3級、2年で準2級、3年で2級の合格を目標にして、頑張って学習しよう。

 現代文はスポーツだ!

 最初に『現代文』の学習はトレーニングだと述べた。読み書きの力というのは運動能力と同じである。サッカーの理論だけを学んで、サッカー選手になれないのと同様、授業を聞き、ノートを取り、教師の言うことを覚えるだけでは決して現代文はできるようにはならない。授業中にどれくらい頭を使ったかが勝負になる。教師の読み方を聞く前にまず自分自身の頭で考え、自分自身の「読み」を持とう。
 具体的には教材をまず読む。理解できなければ何度も読む。わからない言葉は辞書を引く。シュートが入らなかったら、入るまで練習するだろうし、蹴(け)り方が全くわからなかったら、参考書で調べるのと同じことだ。要は「自分は必ず理解するのだ」というねばり強さだ。その教材におぼれるくらいの気持ちで臨もう。また、発展学習を重視してほしい。教科担任から提示された参考図書や、同じ作家の作品、同じテーマの評論などは是非読んでおこう。外国語を学ぶのに外国に行くのが一番手っ取り早いように、自分とは異なる共同体の日本語を理解するにはそこに身を置くのが一番の早道なのである。

 書くことは自分を知ること

 あることについて書こうとすると、自分ではわかっているつもりでも、なかなかうまく書けないことが多い。書くということは自分自身の考えを整理することでもある。書くことで初めて自分の考えが明らかになると言ってもいい。授業中に何か書くことを指示された場合は、そのことを頭において、積極的に書いてみよう。授業は練習の場であるから、うまい文章を書く必要はない。書くことが苦手な人も一行でもよいから書くことが必要だ。何か少しでも書けばそのことを手がかりに、教科担当が適切なヒントを与えてくれるだろう。
 では書き方をどうやって学習していけばよいか。まずは授業の中で扱う評論を書くことを意識しながら読んでいくのがよい。筆者は筆者の意見を述べるために、どのような書き方をしているのか。問題提起の仕方、論証の仕方、文章構成の仕方などをまねしてほしい。
 最近の大学入試や就職試験は「小論文」を重視する傾向にある。小論文は3年間の積み重ねである。一朝一夕には書けるようにならない。ひごろから自分を見つめ、ものを書く練習をしてほしい。

 他人と出会い自己に目覚める!

 君がある小説を読んだとする。その時、君は何らかの感想を持つだろう。ところが、同じ小説を読んでも友達は別の感想を持つということはよくあることである。このことを大事にしてほしい。違う感想や意見を持つということは、考えた道すじや、生きてきた過程が違うということでもある。常に「あの人はなぜそう思ったか」という疑問をもって授業に臨んでほしい。時には納得のいかないものもあるだろう。その時に「自分と人とは違うから」「感性が違うから」と簡単に片づけずに、納得できるまで積極的に対話をしてほしい。(具体的に話し合っても、納得できるまで心の中で考えてもよい。)教師に対しても、友人に対しても同じことだ。自分とは異なる考え方(=思考の方法/道すじ)を自分の中に取り入れることで、今までの自分とは異なった見方ができるようになる。前にも述べたが、今まで美しいと思えなかったものが美しく思えたり、今まで見えなかったものが見えるようになるというのはとても素敵なことだ。
Bノートの取り方
教師が黒板に書いたことを、ノートに書き写すだけではいけない。自分が理解に到達した道すじがわかるように、書き記しておくことが重要なのだ。だから、一人一人が異なるノートづくりを工夫しなければならない。全員がノートに同じことを書いてあったとしたらうそである。
 また、作品の背景などを説明した資料を教師が分けることもある。そういったものもノートに挟んでおくだけではなく、きちんとノートにはり付けるなどしてまとめておこう。