| 脱「放流主義」宣言
平田剛士 ひらた つよし・フリーランス記者・北海道在住 筆者の住まいのごく近所に、それは美しい渓谷がある。 川沿いの細い林道の終点以降は、「ヒグマの巣」といわれる周囲の山々を含めてほとんど手つかずの景観だ。川幅は5番ロッドを振り回すのに狭すぎず広すぎず、流速は大きなドライフライを流すのに激しすぎず緩すぎず、また渓相は厳しすぎず、おとなしすぎない。倒木が適度に横たわり、時には緑がトンネルをなし、羽虫は豊富、魚影もまずまず……。 まったくもって文句なし! と言いたいところだが、どうにも晴ればれしく釣りのできない問題があった。 それはここがニジマスの川だということだ。
なぜニジマスが「ダメ」なのか釣り人の間に伝わる話では、かつてこの川のほとりにニジマスの養殖池があったが、それが閉鎖されたおりにかなりの魚が川に投棄され、そのうちの生き残りや、後に釣り団体が稚魚放流したりした魚が親魚となって、今では自力で世代交代をしているのだという。 と、このように書けば、自然繁殖のニジマスが釣れるというのにどうしてそれが「問題」になるのか、いぶかしがる読者もおられよう。 『フライの雑誌』(36号、1996)に掲載された読者アンケートの調査結果をみても、回答者の約8割が「日頃よく行く国内の釣り場では、成魚放流された魚でも許せる」とした。そんな人々には「<天然魚の釣れる近所の美しい渓谷>に難癖つけるとは何たる贅沢!」と叱られそうだ。 けれど、そうではない。天然ニジマスの川が何故ダメなのか、「成魚放流を許せる」8割方の釣り人読者にこそ、そのわけを理解してもらいたい。 端的に言えば、それはニジマスが移入種だからということになる。 ニジマスは北アメリカ大陸の原産で、アジア極東のわが弧状列島にはもともといなかった。それが今は国中にいて、ネームバリューでは在来種をしのぐほどになっている。 とりわけ北海道では、あちこちの川や湖でニジマスが自然繁殖していることが研究機関によって確認されている。冒頭の川のように、学術的には未確認なものの、調査すればたちまち繁殖の確認されるだろうフィールドも数多い。北海道ではニジマスはもはや帰化動物、というのが研究者たちの認識だ。 これが人間なら、帰化した人の異邦人扱いは人権侵害にもなるだろう。けれど、定着移入種を帰化動物と呼ぶことはあくまで比喩だ。いかにポピュラーであろうと、「北海道のニジマス」が移入種であるという事実は曲がらない。 なぜこのことに固執するのか。理由を話そう。
“最新の”魚たち米国から日本に初めてニジマスが移入されたのは1877(明治10)年のこととされ、北海道には1917(大正6)年、当時の帝室林野管理局が日光中宮祠湖(中禅寺湖)畔で経営していた孵化場から、北海道水産試験場千歳支場にアメリカ産受精卵がもたらされたのが始まりという。 逆に言うと、それ以前にはニジマスはこの地に一匹もいなかった。由来の不確かなコイ(アジア原産とみられる)やゲンゴロウブナ(=ヘラブナ、琵琶湖原産)を除けば、人間の手で大規模移植の図られた移入種のうち最も初期に試みられたのがニジマスだから、北海道の川にはつい80年前まで土着の魚たち、いわゆる在来種しか生息していなかったと言っていいだろう。サケ科に限るとサケ、ギンザケ、マスノスケ、カラフトマス、サクラマス、ヒメマス、イトウ、アメマス、オショロコマといった面々だ。 古生物学によると、これら在来各種が北海道に定着したのは更新世(約170万年前から1万年前)以降だろうという。俗に言う氷河時代で、大ざっぱには人類が出現したのもこのころだ。 そんな古い昔から今までの間には気候や地形の大きな変動もあったが、魚たちはその都度、生活スタイルや時には体そのもののスタイルを変化させながら(つまり進化しながら)子孫を残してきた。 例えば大雪山国立公園内の山上湖・然別湖にだけ生息するミヤベイワナは、およそ20万〜30万年前ごろ一帯の氷期が終わりかけたとき、分布域を北上させてゆく仲間たち(降海型オショロコマ)から置いてけぼりを食う格好でこの湖に陸封されたと考えられている。 取り残されたオショロコマたちは然別湖で、それまで海と川とを行き来していたのを湖と川の行き来に変化させ、またエラを変形させてプランクトン食に移行。そうしてミヤベイワナとなった。ミヤベイワナはオショロコマの1亜種と位置づけられているが、この「亜種」とは、生物学の定義をそのまま抜き出せば「種の分布域の一部を占めつつそれ独自の特性をもつ集団」のこと。ミヤベイワナは然別湖という独特の環境で生き抜くために「独自の特性」を獲得してきた魚なのだ。 このような「進化」は、何もミヤベイワナたちだけのものではないはずだ。どこでも自然環境は変化し続け、そうした中、魚たちはそれぞれの生息場所で世代交代してこなければならなかったのだから。とすれば、(ヒトによって亜種と認定されようがされまいが)どんな生息場所のどんな群れも、そんな進化の過程で多かれ少なかれ「独自の特性」を身につけてきていることになる。 じっさい、野生のさまざまな群れについて体内の酵素蛋白やDNA(遺伝子の本体)の分析研究が進むにつれ、群れごとに分子レベルでの特徴が浮かび上がりつつある。群れの進化と、群れにおける集団的な遺伝子頻度の変化とは一枚のコインの裏表のようなものだから、こうした分子レベルの違いは群れが独自進化してきたことの有力な証拠とみなせるのだ。 つまり、いま私たちの目の前を泳いでいる魚たちは、それぞれの生息場所でそれぞれに進化してきた“最新の”魚たちということだ。と同時に、ほかの場所には存在しない唯一無二の群れだともいえる。
移入種が「川の歴史」を破壊するこうした群れごとの唯一無二の独自性を、森林生態学者の石城謙吉・北海道大学名誉教授は「川の歴史そのもの」と表現し、こう話す。 「ところが移入種の移植放流は、それぞれの川の地域ごとにそれぞれの群れが培ってきた歴史を台無しにしてしまうのです。しかも、これは一度失われたらもうとり戻しようがない」 フィールドではいつもナチュラリストたらんとするフィッシャーパーソンの胸には、いわばプロのナチュラリストである石城さんのこの警告はぐさりと突き刺さるに違いない。昨日まで「よき好敵手」と信じていた相手=ニジマスが、じつは在来魚の群れの歴史の破壊者にほかならないというのだから。 あるいは、こんな声も聞こえてきそうだ――ニジマスを放したからって、そのせいでオショロコマやアメマスが絶滅したりしたケースなんかが、一体確認されているのか? と。 それにはこんな答えでいかがだろう。 具体的にそのような調査をどこかの研究機関が行ったり、始めたりする様子はないのだが、じつは無理ない面もある。 メカニズムは単純化できる。例えば餌のことをごく大ざっぱに考えて、限られた資源(水生昆虫など)を在来種の群れだけで消費するのと、そこへ突然現れる移入種も交えて消費するのとでは、在来種にとってどちらが生きやすいか、答えはハッキリしている。そのほかあらゆる生活の場面で競合関係が生じることも明らかだ。つまり放流によって環境は必ず変化し、その変化は必ず在来の群れに影響する。ここまでは断言できる。 こうした影響は群れに新たな「進化」をもたらす。あらゆる生き物の群れはいずれ絶滅するが、その観点からすればこれも絶滅に一歩向かう「進化」には違いない。 問題は、この「新たな進化」のせい、言い換えると移入種の移植放流のせいで在来の群れの絶滅時期が早まるかどうかの判断である。何しろ比較すべき「ニジマス放流以前」の群れの余命(絶滅までの時間)はもう永久に分からないのだ。 逆に言うと、北海道の川や湖で長く見積もって80年間、たゆまぬニジマス移植放流のせいで絶滅した在来種の群れがこれまで仮に皆無だったとしても、ニジマスが在来の群れの絶滅加担者ではないという証明にはならない、ということにもなる。在来の群れがこれまで生き延びてきた歴史の長さは、このわずか80年とは比較にならないからだ。 結局、移入種の移植放流が在来の群れを絶滅させる・させないの論議は水掛け論に陥ってしまう。 けれど、少なくとも筆者には「絶滅させないかも知れない」にチップを張る気持ちは起きない。何もしなければ存在しえない危険の芽を、そうと知りながらわざわざ植え付ける必要はどこにもないと思うからだ。 だが今、それよりも強調したいのは、在来種の唯一無二の独自性、つまり「川の歴史」の流れを、人の放流行為が壊してしまうことそのもののの「罪深さ」である。 残念ながら、釣り人は長くその「罪」を重ねてきたといわざるを得ない。 北海道では、例えばニジマス移植のごく初期、くだんの水産試験場の飼育槽から逃げ出した魚が近くの千歳川で大きく成長して釣れ始め、釣り人に歓迎されている、と描写した公文書が残っている。 アジア太平洋戦争の後、ニジマス増殖は北海道立水産孵化場のメーン業務となる。1950年代には年間放流数で100万粒(発眼卵換算)を突破、ピークの60年代には出荷数1000万粒を記録している。 その後、技術は民間に移譲され、スピードこそ鈍るものの、以降も「遊漁用」の名目でのニジマス放流はずっと続いてきた。同孵化場のまとめによれば、その数は75年実績で54万5000匹(ほかに「スチールヘッド」10万5000匹)、93年実績で17万2000匹……(ただし川のみならず人造湖などへの放流数も含む)。 この上に、冒頭の川でのように、飼育魚逃亡「事故」や、「釣り人有志」による無届け放流(違法ではない)などが積み重なるが、その実態は闇の中だ。 こうして放たれた一匹一匹がいわば「川の歴史の破壊者」なのだが、イケイケドンドンの黎明時代はともかく、今に及んでさえ、どの釣り人もヤメロと言い出さない。 しかし実に深刻なことに、同じことは移入種移植のみならず、在来種移植にもそっくり当てはまるのだ。 北海道に限ってみても、年間の移植放流数10億匹を数えるサケ、1億匹のカラフトマスについてはいわずもがな。これは海の漁業向け公共事業だが、忠類川の「釣獲調査」に見るように釣り人も無関係ではなくなってきた。 あるいは、これまた水産庁の肝いりで推進されているサクラマスの増殖事業。70年代から本格化し、例えば94年度は北海道内24水系で親魚を捕獲し、そこに池産のものも加えて、各地の69水系に発眼卵・稚魚・幼魚合わせて1000万匹あまりを移植放流した。発眼卵の一部は各釣り団体に譲渡・飼育されたのち、公式に遊漁用として放たれたものだ。 サケやサクラマスの母川回帰性はかなり強い。その移植放流は自然状態で交流するはずのない群れをごたまぜにしてしまうのと同じで、魚たちの群れむれの「歴史」はやっぱり壊れてしまう。 「サクラマスは在来種だから」と呑気に構えてはいられないのである。
もはや手遅れか、それとも……じゃあ一体どうすればいいのさ? 読者はそう思われるだろう。 残念ながら、この問いに明るい答えはない。 石城さんが言うように、失われた「川の歴史」はもう戻らない。釣り人は川辺に立ってその廃墟を見つめながら自責の念にうなだれるほかないのだ。 けれど、そう、移植放流はもうよしにしよう。 それでもニジマスが釣りたければ原産国に出掛ければよい、それだけだ。 惰性で放流を続けているようなグループからは脱会し、放流資金を提供しているメーカーの製品もボイコット。そんなところから始めるのが手だ。 上述のように、最も組織的に移植放流に手を染めてきたのは北海道では政府や地方自治体そのもの。また本州以南では内水面漁協がいわゆる「漁業権魚種増殖義務」(=放流義務、漁業法第127条)を果たす形でその先兵を務めてきている。 ようするに政府・業界あげて推進してきたわけだが、その態度に拳を突き上げる権利はだれにでもある。 そのさい強力な武器になりそうなのが、93年6月に日本政府も批准して同12月発効した「生物の多様性に関する条約」(生物多様性条約)だ。その第8条(生息域内保全)h項にこうある。 「生態系、生息地若しくは種を脅かす外来種の導入を防止し又はそのような外来種を制御し若しくは撲滅すること」 条文には「締約国は、可能な限り、かつ、適当な場合に(行うこと)」とただし書きがあるので、これをしないからといってすぐに条約違反というわけではない。(環境NGOによる条約案が各国政府の開発優先主義によって遵守義務の緩い理念法に骨抜きにされていく様子は、堂本暁子著「生物多様性」<同時代ライブラリー、95年>に詳しい。) けれど、北海道での超大量移植放流や漁業法の「増殖義務」が条文趣旨と大きく矛盾していることは明らかだ。採捕ばかり禁じて移植規制のない、名ばかりの水産資源保護法も時代遅れである。 条約批准を機に日本政府は95年10月、生物多様性国家戦略を立て、「国外あるいは地域外からの移入種については、(中略)生物多様性を損なう場合があることから、移入の防止、移入種の駆除等の対応が必要」と明言、「(具体的な影響について)不明の部分がある場合には、十分な余裕を持った対応が必要である」とまで踏み込んだ。 にもかかわらず現状、具体的な施策は何も行われていないに等しいのだが、まず政府にはこの有言実行を求めよう。 移植放流をやめたら見えてくるだろうことがもう一つある。 きっと魚が急に姿を消して、あらゆる環境破壊が川から魚を育む力さえ奪い尽くしつつあることに改めて気づかされるだろう。 ダムや放水路やコンクリート護岸や農薬や伐採や酸性雨や……。こうした全てに異議申し立てをするためにも、まず移植放流にオサラバするのだ。 思えば苦い時代である。 けれどもしかして、これが新しい「川の歴史」の幕開けなのかも知れない。 その歴史の中で釣り人は、今度はどんなふうな役を演じるのだろうか。 (1997年4月執筆、2000年4月www公開) |