佐世保観光名所のペ−ジへようこそいらっしゃいました。ここでは平成の佐世保名所について、 幾つかをご紹介しますので、お楽しみ下さい。
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「美しき天然」: 作詞:武島羽衣
作曲:田中穂積(佐世保海兵団軍楽長)
初演:1900年、
後の佐世保市立成徳高等女学校生による。
空にさえずる鳥の声、 嶺(みね)より落つる滝の音
大波子波とうとうと、 響(ひび)き絶えせぬ海の音
聞けや人々面白き 、 この天然の音楽を 調べ自在に弾き給う、
神の御手(おんて)の尊しや
「空いっぱい」:
作詞:藤浦洸 (西海国立公園指定十周年記念作詞)
作曲:團伊玖磨(西海賛歌)
初演:昭和43年、團伊玖磨指揮・九州交響楽団・佐世保市民交響楽団・佐世保市民合唱団による(市民会館にて)
空いっぱいに、空があるように、海いっぱいに
海があるように
人よ、心いっぱいに、美しい心をもって
この空を、この海を、この土を、愛そう
「国立公園誕生」:
終戦後、毎日新聞社が「日本観光地百選」を行った。
九十九島は軍港と言う六十年間の秘密の
ベ−ルを脱いで、これに名乗りをあげて、「海岸の部で見事三位」に入選した。
市をあげて
「国への西海国立公園指定の請願書」を提出した結果、1955年(昭和30年)8月、
「西海国立公園」は日本で18番目としての国立公園が誕生した。(昭和43年発行「佐世保のあゆみ」より)
九十九島は、佐世保港外から平戸瀬戸に至る25kmの海上に点々と浮かぶ170からなる 多島群で、佐々浦を境に「南九十九島」と「北九十九島」に分けられる。南九十九島は 小さい島々から出来ていて、島の数が多く、そして海水の清く美しい点では他に類を見ない。 これを鵜戸越・弓張岳・烏帽子岳・展海峰から見ると、まさに一幅の絵のように美しい。
いづれの場所へもJR佐世保駅前から定期バス(市バス)が運行され、山頂には広い駐車場が
完備されています。
海岸に近い高台の「展海峰」からの眺めは特に素晴らしいですので、時間
に余裕の無いお方は、ここ「展海峰」からの眺めだけでも鑑賞して頂くと良き思い出として
いつまでも心に残ることでしょう。(展海峰:佐世保駅から車で40分)


「急汐をまたぐ虹のかけ橋」:満潮時の高さ34m、橋全長316m
日本三大急潮(最大潮流9ノット)の一つと言われる針尾瀬戸に西海橋が架かったのは1955年であった。ア−チ式
の橋としては竣工時点でその規模は東洋1で世界3位の橋でありました。
その景観はまさに、「虹の架け橋」そのまヽの美しさである
。
「思い出」:
私は中学2年(1954年)の夏休みに
長崎県西彼杵郡大串町の海岸でキャンプをしましたが、行きは早岐波止場から定期船、帰りはこの橋の
工事現場を見ながら、この瀬戸を定期船で通り、佐世保駅裏の波止場に着いた懐かしい思い出が
甦ってきます。(佐世保駅前から西肥バスで約50分)
以前、佐世保にお住まいの方なら、この場所は「鹿子前水族館」と言えば、恐らく幾度も
来られた所と思います。「水族館」や「南九十九島めぐり遊覧船」の発着施設に加えて、ド−ム
シアタ−やマリンショップに帆船模型・レストラン等の施設を1994年に充実させ、名称も
この様に変りました。
多島海の美しさは全国でも屈指の風景と言っても過言ではないでしょう。
ことに秋から初冬にかけての美しさは絶景と言われ、夕暮れの黄金に輝く風景を求めて、全国から
多くのアマチャ−カメラマンが訪れます。(佐世保駅前から市バスで25分)
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「軍港草分け数え歌」:
一つとせ、広い平戸の佐世保には、日本に名高き海軍省、この海軍省。二つとせ、藤田、大倉
請負いで、入り込む夫方は数知れぬ、この海軍省。三つとせ、みるに驚く工事場も、大八車で
みな運ぶ、この海軍省。(「思い出」:私が社会人になった頃、明治7年生まれの祖母はこの歌を時どき、
如何にも楽しそうに唄って聴かせてくれました。)
1892年(明治25年)に開設された、日本唯一の海軍共同墓地。1945年の
太平洋戦争終結までに亡くなられた海軍の軍人、軍属約17万余柱の御霊が祭られています。
1隻の軍艦と共に、祖国のために尊い犠牲になられた方々の軍艦名が刻まれた「合葬碑・記念碑」
の前に立つと同時に、誰しも涙を浮かべることでありましょう。
ここに、軍艦合葬碑の幾つかをご紹介いたします。
航空母艦:「飛龍」「加賀」「瑞鳳」「雲龍」「大鷹」
戦 艦:「霧島」「榛名」「羽黒」「足柄」「那智」「金剛」「妙高」「阿武隈」「名取」
「松島」「常盤」
写真:上から「航空母艦”雲龍”」「駆逐艦隊"時雨""白露""夕暮"”有明”」「東郷平八郎銅像」
「航空母艦”飛龍”」の合葬記念碑。(市バス:大宮町から徒歩3分)
「妻への手紙」:
海軍機関兵曹長 小笠原 年夫命
昭和十七年五月二十五日 「伊164潜水艦」にて戦死、大分県出身 三十三才
「好伴侶を得た己れは実に幸福だった 夫としての愛情は何人にも負けないで来たが将来を 唯一の希望に心と心とで結ばれた結婚生活をいかに有難く感謝している 何かにつけて よく仕えてくれたお前に感謝 この心で一杯だ 有難う 皇国の礎となるに及びてお前に若し 一子ありとせば我が小笠原家の後継者としてくる様に 即ち男子なれば軍人として女子なれば よき配偶者を見つけて全からしむべし 家門の名誉を担う己れなれば妻はその分身なり 決して見苦しく人様に笑はれる様な事のなき様 子供の授からざりし場合は「己の真の心の まヽに行動すべし」 斯く書けば お前には充分におわかりの事とおもふ この己れの真の愛情 だと聞いて貰い度い では之にて」
「文部省唱歌(岡野貞一作曲):広瀬中佐(大正元年)」: (杉野兵曹長のお墓に向かいあって、 「美しき天然」を作曲した田中穂積のお墓もあります)
轟(とどろ)く砲(つつ)音 飛び来る弾丸 荒波洗うデッキの上に
闇を貫く 中佐の叫び ”杉野は何処 杉野は居ずや”
船内隈(くま)なく 尋ぬる三度 呼べど答えず さがせど見えず
船は次第に 波間に沈み敵弾いよいよ あたりに繁し
「思い出」:
終戦間もなく、連合艦隊の沈没を免れた何隻もの船が佐世保湾内に集結・停泊している中を、
偶然にも、父と二人で針尾島から小さい定期船で佐世保駅裏桟橋へ着いた時の軍艦への懐かしい
思い出があります。
日本海軍の遺産を継承する施設として佐世保水交社跡地にその建物の一部を修復、新館 を増設してあります。旧館は、水交社の8角型装飾屋根や蛇腹模様の外観を生かし、新館は 、展示テ−マ「波とうを越えて」を放映させ、正面にはガラスを用いて青く広大な海原を、 頂部の造形で純白の帆を表現してあります。(水交社:海軍士官の懇親、外国士官の接待、 艦隊乗組士官の宿泊のための建物)。
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「建物案内」:
7階:映像ホ−ルで「波とうを越えて」を放映。展望ロビ−。
6階:佐世保鎮守府資料・長崎海軍伝習所(ジオラマ)・勝海舟像・
5階:海軍資料・海軍最初の連合艦隊模型・東郷平八郎像
4階:海軍資料・太平洋戦争の主な海戦・海軍服制資料展示・山本五十六像・
3階:海上自衛隊資料・艦艇と航空機模型・国産護衛艦第1号「はるかぜ」模型
2階:海上自衛隊資料・防衛出動時の作戦行動(シュミュレ−ション)・Q&Aコ−ナ−
1階:海上自衛隊佐世保地方隊資料
(市バス:元町から徒歩1分)
2.3 針尾大無線電信塔
西海橋の近くに、大きくそそり立つ3本の無線塔。真珠湾攻撃の発信暗号「ニイタカヤマニ
ノボレ1208」が千葉県船橋からに続き再送信された無線塔。
着工1917年完工1921年、3本の無線塔は一辺の長さ300mの正三角形の位置に有り、
高さ135mが2本、137mが1本。底面直径12.12m、上部直径3.08m。
コンクリ−ト厚さ760cmの壮大なものです。完工後約80年間、風雪に耐え、その姿を
今に見せているのは驚きます。無線技術革新により現在は使用されていない。(佐世保駅前
から西肥バスで40分、高畑下車徒歩5分)
「かえり船」:
公園内に、田端義夫のこの歌が終日、
流れています。
作詞:清水みのる、作曲:倉若晴生、歌:田端義夫
波の背の背に ゆられてゆれて 月の潮路の帰り船 霞む故国よ 小島の沖じゃ 夢もわびしく
よみがえる
捨てた未練が 未練となって 今も昔の切なさよ 瞼合せりゃ 瞼ににじむ
霧の波止場の銅鑼の音
太平洋戦争の終結(昭和20年)から昭和25年4月までに、中国大陸や南方諸島の海外 におられた一般邦人・軍人・軍族合わせて1,396,468人の多くの人々が引揚船 1,216隻により、ここ「浦頭」の地に、引揚げの第一歩を、印されました。 「浦頭」の名は恐らく、引揚者の 心から、永久に消えることはないでありましょう。引揚地としては、「岸壁の母」の「舞鶴」の 方が良く知られていますが、「舞鶴56万人」に対して、ここ「浦頭」は約3倍の方々の 引揚地であります。
参考資料:
佐世保のあゆみ(佐世保市郷土研究所)、ふるさと歴史散歩佐世保(本田三郎著)
させぼ歴史散歩(佐世保市秘書課広報係)、海上自衛隊佐世保史料館パンフレット、
佐世保観光ツア−ガイド(佐世保市)、引揚記念平和公園資料館、西海国立公園絵葉書<、
東公園(旧海軍墓地)管理室資料