7.ドキドキ乗りあいバス
故宮はまるで迷宮のようだった。自分が今どこにいるのか分からなくなる。
圧巻なのは、清朝時代に作られた陶器の数々。いくら見てても見飽きない。
北京の故宮を見ている義母は、「台湾のは、みんな小さかね。北京のはこげん大きなものばっかりよ」と指摘する。なるほど、小さくて高価なものを運び出してきたということか。
丸2時間博物館を回ったが、時間が足りないくらいだった。やはり、あの時意を決して
出てきて正解だったな。
お土産を見て、外に出た。外は美しい夕暮れ。高台にある故宮博物館の庭で涼む人々に混じって、我々もくつろぐ。
ふと、後ろに視線を感じて振り返った。そこには、嗚呼、最も会いたくない人が!
レストランで我々のためにタクシーを止めてくれたあのガイドが、立ってじっと私達を見ているうー。 あまりにばつが悪くて、そのまま顔を戻した。
ごめんね、ガイドさん。
帰りのバスに乗るため、バス停に並ぶ。
そこに私の考えていたのとは違う番号のバスがやってきた。
私は無視しようと思ったが、並んでいた人々がみなそのバスに乗り込んでいく。
「台北駅に行くのだから、バスが一本とは限らない。このバスも駅に行くのかな」と思い、再び急いで紙とペンをとり「台北駅(実際の字は違うが)」と書いたものを運転手に見せた。運転手は頷いた。そうなのか、このバスでもいいのか。
「お母さん、このバスでもいいそうです。乗りましょう」と言い、3人で乗り込む。
だが、間もなく私は言いようのない不安に襲われた。
バスといえば普通「次は何某、次は何某、お降りの方はブザーを押してください」というアナウンスがあるものだろう。ところが、このバスは一切地名を言わないのである。
何のアナウンスもないのに、人々は自分の降りる直前にブザーを押し、しなやかに降りていく。ちょっと待ってよ。これじゃ旅人は全然わかんないよー。
それだけではない。最前列に座った私の目の前には、路線図が貼ってあった。それをいくら見ても、台北駅がないのである! なんで?どういうこと!
私は手元のメモ帳を見返す。確かに台北駅と書いてあり、運転手は頷いた。だが事実、
ないのだ、そんな停留所は。
私は脂汗が滲んでくるのを自覚した。暗がりの中、訳のわからないところを走るバスの中でおろおろする自分が見えてくる。どうしよう!年老いた母と乳飲み子がいるのに、どうしよう・・・・・。
私の思考ははるか5年前の冬のロンドンへと飛んでいた。
新婚旅行先のロンドンでもバスを乗り間違えた。路線番号はあっていたが、南北を間違えたのだ。全然知らない住宅街にどんどん入り込んでいった。もはやどこで降りるか、決断すべき時だった。バスが信号で止まった時、夫がぴょんっとバスを飛び降りた。
バス停で降りた方がいいのではないかと思ったが、私も飛び降りた。でも、別に何の不安もなかった。最寄のバス停まで歩けばいい。そしてゆったりバスを待てばいい。バスが来ないならタクシーを拾えばいい。地図を見ればいい。自由で身軽で地図が読める大人二人の旅は、このくらいのアクシデントがあった方が楽しい。
あの時はなんて余裕があったんだろう。大人二人、どうにでもなるのだ。いくらでも歩けるのだ。だが今は違う。私が抱っこ紐で7キロの万由子を抱え、義母は畳んだベビーカーを担いでいる。ほんのちょっとした階段がつらい。ちょっとした地図の読み違いが苦痛に繋がる。ちょっとしたミスが、我々の体力を奪いとるのだ。
あー、ガイドブックに書かれていた番号のバスを待つべきだったっ!安易にこんなバスに乗ってしまった私がバカだった。自分を責める。
努めて冷静に、あたりを見渡す。さっきより確実に街の中心地に近づいているのは間違いない。そうだ、台北駅の近くに摩天楼ビルと呼ばれる超高層ビルがあったっけ。あれはどこだ?あれに最も近づいたところで降りるんだ。
私は必死に窓に顔をこすりつけるようにしながら、摩天楼ビルを探した。
5分ほど探した。そしてようやく斜め前方に、超高層ビルがちらっと視界に入った。
あった!あそこだ。見逃すな。
嬉しいことにバスはじわじわと摩天楼ビルに近づいている。よーしよし、この調子。
でもここぞという時に降りないと、また知らない住宅街に連れていかれちゃう。
私は降りるタイミングを見計らった。ここだっ!降ります!
我々が降りようとすると運転手は「ちょっと待て」というように手で制した。この人、私達が台北駅で降りたいこと、覚えててくれたんだ!
その後、バスが止まるたびに我々は降りようとし、運転手が制止するという動きが繰り返された。そして全く意外なところで、彼は「ここだ」と声をかけてくれた。
どうやらこのバスは、「台北駅」という停留所はないが、台北駅に極めて近いところに止まるバスだったようだ。我々は5分ほど歩かなければならなかったが、無事台北駅に出た。
宿のヒルトンは、前述したように駅の真正面である。
はー、なんとも落ち着かない30分のバスの旅だった。