智の館
宋名臣言行録の予備知識


司馬徽
では、まずはについてご説明いたそう。

1.宋ってどこやねん?時代はいつやねん?
場所は現在の中国です。時代は五代十国時代の次、元の前です。西暦で言うと960年から1127年です。日本の時代で言うと平安時代の後期になります。

地図はChronicles様より転載
宋王朝の創業者は太祖(趙匡胤)。在位は960年から976年。
二代目は太宗。在位は976年から997年。
三代目は真宗。在位は997年から1022年。
四代目は仁宗。在位は1022年から1063年。
五代目は英宗。在位は1063年から1067年。
六代目は神宗。在位は1067年から1085年。
七代目は哲宗。在位は1085年から1100年。
八代目は徽宗。在位は1100年から1125年。
九代目は欽宗。在位は1125年から1127年。

最後は金に首都を落とされて徽宗と欽宗は捕虜として連れ去られ宋は滅亡しました。
一族の高宗は中国南部に南宋を建国しました。こちらは1278年まで命脈を保ちます。




司馬徽
では、次に宋の特徴をご説明いたしましょう

2.宋の特徴ってあるんかい?
一言で言うなら文官優位の管理社会でした。
唐が滅亡してから53年間中国は戦乱の時代でした。唐が各地の反乱を押さえるために節度使を置いたのですがこれが完全に唐王朝のコントロールを受け付けない状態になり、独立割拠状態になった。これが原因で53年の間に五つの王朝が交代し、周辺には十国の独立勢力が割拠するという状態になったのです。
宋の太祖は節度使の将軍を閑職に移すと共に兵力を禁軍に編入して中央集権の国家を作り上げた。そして、空いたポストには科挙によって選ばれた文官を当てていきました。中央はもとより地方の長官まで皇帝が任命した官僚が行政を司ることになったのです。
この制度では大量の文官が必要になる。そこで採用されたのが科挙です。
科挙は隋の時代から行われていたが唐代には名門貴族が試験官を務め、合格者との癒着で朝廷内派閥を形成し派閥争いの手段に利用されてしまうようになってしまった。
そこで、太祖は皇帝自らが最終試験(殿試)を行うことによって順位を定めることにした。これにより、貴族や試験官による不正や派閥争いを押さえると共に、皇帝の意にかなうものを高級官僚に迎えることができるようになった。
そして、高級官僚には手厚い報酬が与えられた。高級官僚もその知遇に応えようと国家の為に働いたのです。
こうして、国家として安定を見た宋であったが、このことが滅亡の原因ともなった。徹底した文治主義が軍隊の弱体化を招き、契丹、金、西夏の異民族の侵略に悩まされつづけ、年を重ねるにつれて不要な官僚が増大することで国家財政を圧迫するのである。(どこぞの国とそっくりだね(笑)




司馬徽
宋名臣言行録はよい本じゃ

3.宋名臣言行録の魅力はなんじゃ?
著者は朱熹という人です。あの朱子学を作り上げた人です。
宋名臣言行録は管理社会における人間関係の身の処し方などが現代に生きる我々にも参考になるだろう。そして、政治の要諦についても考えさせられるであろう。
名臣といっても、聖人君子ばかりではなく、人間的な欠点を持った人物も多く掲載されている。
剛直な性格で終わりをよくしなかった寇準や蘇軾、人生の最後に女性に溺れた王旦。
1000年以上も昔の人物だが今の時代でも居そうな人物達の魅力ある生き方をぜひ参考にして欲しい。

4.参考文献
PHP文庫  丹羽隼兵 著  宋名臣言行録  
現在、絶版になっている模様・・・書店で見かけたときは是非、手にとって欲しい。