智の館2
論尊師伝 第1章


司馬徽
李綱


登場人物紹介

太宗
唐の2代目皇帝。
2代目といってもぼんぼんではない。父の代わりとして中国各地を転戦し唐の中国統一の最大の功労者。
兄と弟が自分を殺害しようとしていたことを知ると先手を打ってこれを討ち、父親を幽閉して皇帝の座につく。
長い中国の歴史の中でも屈指の名君として必ずその名は挙げられ、その治世は『貞観の治』と呼ばれ後世の手本とされた。

李綱
唐の高祖に仕え、礼部尚書となり、その後、皇太子の教育係の一員となる。
しきりに皇太子の承乾を諌めたが聞き入れられず、老齢を理由に引退する事になった。

承乾
太宗の長男。李承乾。
当初、皇太子に立てられていたが、異民族の文化に傾倒し宮殿内にパオを作ってそこで寝泊りしたり、同性愛に溺れたりと奇行が目立ち廃立された。




司馬徽
太子少師の李綱は貞観三年に足の病で歩行が困難になった。

太宗
李綱よ。
これからはこの輿を使って東宮(皇太子の宮殿)に通うがいい。すでに親衛軍には伝えてある。これからは彼らがそなたをかついで東宮まで送り迎えをしてくれるだろう。
私ごときにそのような・・・・・。
ありがたき幸せにございます。

李綱

太宗
承乾。
これからは李綱が東宮に来た時には自らが拝礼して迎えるようにするのだ。
・・・・・わかりました。
承乾
このように太宗は李綱を非常に尊び重んじた。
ある時、皇太子が古来の素晴らしい教えや、家臣が君主に忠節を尽くす事について議論した。
李綱は顔色をおごそかにして言った。
幼君を補佐して国政を行う事は古人は困難であるとしていますが、皇太子様がこのように立派な方でありますから自分は易しいと思っております。
李綱
いつも言語顔色ともに意気盛んで動揺させることの出来ない志が認められた。
皇太子はこれを聞くときは形を正しくして礼敬しない事は無かった。




司馬徽
このように太宗は自ら、尊敬すべき教師に対しての態度を皇太子に示して礼儀のなんたるかを伝えようとしたのじゃ。
ふむふむ。
なるほどなあ。
じゃあ、貞観政要を教えてくださっている司馬徽さんにも素晴らしい待遇で迎えなければ・・・・

鏡秋雪

司馬徽
よいぞ、よいぞ
じゃ、とりあえず、飛覇帥さんを奴隷に使ってください。
鏡秋雪

飛覇帥
なんじゃと!

司馬徽
けっ。いらねーよ。こんな蛮族。

飛覇帥
ぐはっ
なんちゅうー言葉遣いをしやがるんだ






原文
第一章
太子少師李綱、貞観三年、脚疾有り、践履に堪へず。太宗、特に歩輿を賜ひ、三衛をして挙して東宮に入れしめ、皇太子に詔して引きて殿に上り、親ら之を拝せしむ。太だ崇重せらる。綱、太子の為めに、君臣父子の道、問寝視膳の方を陳ぶ。理順ひ辞直く、聴く者、倦むを忘る。
太子嘗て古来の君臣の名教、忠を竭くし節を尽くす事を商略す。綱、懍然として曰く、六尺の孤を託し、百里の命を寄すること、古人以て難しと為す。綱は以て易しと為す、と。論を吐き言を発する毎に、皆、辞色慷慨し、奪ふ可からざるの志有り。太子未だ嘗て聳然として礼敬せずんばあらず。