智の館2
論太子諸王定分 第3章


司馬徽
兄弟の分をわきまえさせよ


登場人物紹介

太宗
唐の2代目皇帝。
2代目といってもぼんぼんではない。父の代わりとして中国各地を転戦し唐の中国統一の最大の功労者。
兄と弟が自分を殺害しようとしていたことを知ると先手を打ってこれを討ち、父親を幽閉して皇帝の座につく。
長い中国の歴史の中でも屈指の名君として必ずその名は挙げられ、その治世は『貞観の治』と呼ばれ後世の手本とされた。
博学で書道の大家。
秦王府の時代から太宗に従い功績をあげた。太宗が即位してからは諌議太夫として直諌して太宗から重んじられた。
後に高宗が武后を立てようとすることに反対したため左遷され、その地で没した。

承乾
太宗の長男。李承乾。
当初、皇太子に立てられていたが、異民族の文化に傾倒し宮殿内にパオを作ってそこで寝泊りしたり、同性愛に溺れたりと奇行が目立ち廃立された。

魏王泰
太宗の次男。李泰。
士を好み、文を善くし、魏王府に文学館を置いて学士を集めた。
皇太子の承乾の奇行が目立つようになると、次期皇帝を目指して策謀。しかし、事は露見して承乾と同様に幽閉された。
自分で歩行が困難になるほどの巨漢(ていうかデブ^^;)。太宗の前で特別に輿の使用を認められるほどであった。




司馬徽
貞観十三年。チョ遂良は毎月、特別に魏王泰の宮に使用する物品が皇太子の使用する物品より多くなる事があるので上表して諌めて申し上げた。
昔、聖人が礼法を制定した時、嫡子を尊んで庶子をいやしみ、太子を儲君と言いました。太子の道は天子に次ぐもので非常に高いものであります。
太子の宮で用いたものは計数することなく貨幣や品物は王者と共用いたします。庶子はその体が卑しいものです。それゆえ、例とすることが出来ません。
これらは嫌疑の兆しを防ぎ、禍乱の根源を除くためであります。そして、先王は必ず人情に基づいて礼法を制定したものでございます。国家を保つものは嫡子庶子の差別にあることを知っております。ですから、庶子はいかに愛しても嫡子の本体を越えて特別に尊ぶことは出来ません。もし、嫡子と庶子の分限を明らかにしないで親しむべきものをうとくし、尊ぶべきものを卑しくするときは、不正のやからがその機会をとらえて策動します。私的な恩情が公道を害するために国家を乱すことに立ち至ります。

愚かな私が慎んで拝見いたしまするに、皇太子の使用される物品が魏王より少なく、朝野の人々はそれを見聞してよろしくない事と思っております。
左氏伝に『子を愛したならば、それに義方を教える』とあります。君に忠、親に孝、人に対して恭敬、身を守ることは慎み深くする事が義方であります。
昔、漢の竇太后と景帝は孝王をわがまま勝手にさせてしまい、広大な領地を与え、宮苑は三百里四方もあり、大きな宮殿を造営し、上下二重の廊下が見渡す限り続いており、貨財を積むことが巨万ばかりであり、天子と同じく行列の先払いを設けました。のちに少しばかり、思うようにならないことがあると病気となって死にました。

魏王はすでに宮中から出ておられます。どうかお願いしたい事は常に礼義の教えを失わないようにし、良い教育係を精選し、成功と失敗とを明らかに示し、厚く節倹をさとし、文学を勧め、忠と孝を教え励まし、徳をもって導き、礼をもってととのえて頂きたいものです。そうすれば立派な人物となるでありましょう。
これが聖人の教えは厳粛でなくとも成就するというものでございます。

太宗
うむ。よく言ってくれた。
太宗はその言葉を受け入れ、即日に魏王の料物を減じた。




司馬徽
これも、皇太子とそれ以外の子供を差別する必要性を説いたものじゃ。このように気を使って対策をうっても、結局は失敗してしまったわけじゃが、それだけに後継者の育成というのは難しいのう。
結局は皇太子も魏王も幽閉されてしまったんですね。
なるほど、難しいですね。

鏡秋雪

司馬徽
よいぞ、よいぞ
う〜ん。やっぱり、混乱を未然に防ぐために、芽は摘んでおいたほうがいいですかねえ。
鏡秋雪

飛覇帥
う・・・・今度こそ、わしか!わしの事か!
安心してください。
飛覇帥さんは
問題外!問題外!問題外!問題外!問題外!問題外!問題外!問題外!問題外!問題外!問題外!問題外〜〜〜!

鏡秋雪

飛覇帥
ぐはっ。そんなに繰り返さなくても
(──┬──__──┬──)






原文
第三章
貞観十三年、諌議大夫チョ遂良、毎月特に魏王泰の府に料物を給すること皇太子に逾ゆる有るを以て、上疏して諌めて曰く、昔、聖人、礼を制するや、嫡を尊び庶を卑しみ、之を儲君と謂ふ。道、霄極に亜ぎ、甚だ崇重と為す。物を用ふること計らず、泉貨財帛、王者と之を共にす。庶子は体卑し。例と為すを得ず。嫌疑の漸を塞ぎ、禍乱の源を除く所以なり。而して先王必ず人情に本づきて、然る後法を制す。国家を有つに必ず嫡庶有るを知る。然して庶子は愛すと雖も、嫡子の正体に超越し、特に尊崇を須ふるを得ず。如し明かに定分を立つる能はず、遂に当に親しかるべき者をして疎く、当に尊かるべき者をして卑しからしめば、則ち邪佞の徒、機を承けて動かん。私恩、公を害し、或は国を乱るに至らん。
臣愚、伏して見るに、儲后の料物、翻つて魏王より少く、朝見野聞、以て是と為さず。伝に曰く、子を愛すれば、之に教ふるに義方を以てす、と。忠孝恭倹は、義方の謂ひなり。昔、漢の竇太后及び景帝、遂に梁の孝王を驕恣ならしめ、四十余城に封じ、苑は方三百里、大いに宮室を営み、複道弥望し、財を積むこと鉅万計入るに警し出づるに蹕す。小しく意を得ず、病を発して死せり。
且つ魏王既に新に閤を出づ。伏して願はくは、恒に礼訓を存し、師伝を妙択し、其の成敗を示し、既に之を敦くするに節倹を以てし、又之に勧むるに文学を以てし、惟れ忠惟れ孝、因りて之を奨め、道徳斉礼せんことを。乃ち良器と為らん。此れ謂はゆる聖人の教、粛ならずして成る者なり、と。太宗深く其の言を納れ、即日、魏王の料物を減ず。