
司馬徽 |
貞観元年。太宗は論功行賞を行った。 |
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太宗 |
房玄齢は那国公。
杜如晦は蔡国公。
長孫無忌は斉国公に勲功第一等としてそれぞれ任じる。 |
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ありがたき幸せ。 |

房玄齢 |
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御意。 |

杜如晦 |
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よりいっそうの働きに期待してくだされ。 |

長孫無忌 |
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それに対して、太宗の叔父である、淮安王神通は不平を漏らした。 |
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隋末に高祖が義軍の旗を掲げられたとき、私は部下を引き連れて真っ先に長安を制圧しました。
ところが、房玄齢や杜如晦などの文字を書くだけの小役人が勲功第一等とは・・・。恐れながら陛下の論功行賞に承服出来ません。 |

神通 |

太宗 |
国家にとっての最重要事はただ、賞と罰である。もし、賞がその功労に相当していれば、功績のない者は自然と引き下がる。罰がその罪に相当していれば、悪を行うものは戒め恐れるものである。
だから、賞罰というのは軽々しく行ってはならない。
今、私は勲功を計って賞を与えたのである。房玄齢たちは戦場での功績は無いが戦争の際には大将の本営で策略をめぐらし、乱を平定した後には国家経営のための方策を確立したという大きな功績がある。 |
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むむむ。 |

神通 |

太宗 |
漢の高祖の三傑の一である蕭何は戦場での軍功は無いけれども、戦時には後方から指令を発し、戦後には漢の高祖を天子に推戴した。だから、漢朝において勲功第一にいる理由である。
叔父どのは我が唐の国家にとってもっとも近親である。だから、褒賞を与えるのに物惜しみをする事は少しも無い。
ただ、個人的な縁故によってやたらに勲功のある臣と賞を同じくしてはならないのである。 |
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この話を聞いていた功臣たちはお互いに話し合った。 |
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陛下はこの上もない公平なやり方で賞を行い、その親族にもえこひいきをしなかった。
われわれはどうして、やたらに不平を訴える事が出来ようか。 |

家臣 |

家臣 |
うむ。まったく、その通りだ。 |
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唐が建国された頃、高祖は血縁が少しでもある者を、とにかく王に任じた。その数は数十人もいた。
太宗は左右の家臣に言った。 |
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太宗 |
前後漢以降、子と兄弟だけを王に封じた。疎遠な者は大功が無ければ王に封ぜられなかった。
父上のように遠い親族まで残らず王に封じ、多くの労役者を給付すれば、これこそ、万民を労苦させ自分の親族を養う事になってしまう。 |
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太宗は皇族の中で王に封ぜられて以後、格別の功労の無い者を郡公に格下げした。 |
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