智の館2
論択官 第8章


司馬徽
血筋ではなく能力で採用を


登場人物紹介

太宗
唐の2代目皇帝。
2代目といってもぼんぼんではない。父の代わりとして中国各地を転戦し唐の中国統一の最大の功労者。
兄と弟が自分を殺害しようとしていたことを知ると先手を打ってこれを討ち、父親を幽閉して皇帝の座につく。
長い中国の歴史の中でも屈指の名君として必ずその名は挙げられ、その治世は『貞観の治』と呼ばれ後世の手本とされた。
りゅうき。
適切な諌言により尚書右丞に任命される。
皇太子の監国を補佐したが、チョ遂良と合わず死を賜った。

戴冑
隋末に王世充が簒奪を謀ったときに強く諌めたが入れられなかった。
法に明るく、太宗を補佐した。
事務処理に長けており、多くの仕事を抱えても滞らせることはなかった。

魏徴
太宗の兄に仕えて太宗暗殺を計画し積極的にこれを勧めた。しかし、これに失敗。逆に太宗に捕らえられた。
その見識の高さと剛直さを太宗に認められ大臣に抜擢された。その後も太宗を恐れることはなく諌言を繰り返し、太宗の治世を支え続けた。
魏徴が亡くなった時、太宗は「自らの過ちを正す貴重な鏡を失った」と嘆いた。

杜正倫
隋末の秀才として知られる。
魏徴の勧めによって中書侍郎に累進した。




司馬徽
貞観十一年。劉キが上表文を奉って申し上げた。
私が聞くところによりますと、『尚書の担当する政務はまことに政治の根本である』と言います。
もしも、尚書がその職に適合しなければそれは位を盗むものであるとして非難が起こります。
慎んで観察してみますと、尚書省では詔勅の処理が滞り、文書が停滞しております。
私は平凡で愚かな者ではございますが、その根源について述べさせていただきたいと思います。

太宗
うむ。
貞観の初年には尚書省には令僕の職はございませんでした。その時の省の事務が繁雑であったことは今の倍以上でした。しかし、左丞の戴冑と右丞の魏徴は共に官吏としての道についてよく通じており、しかも性質が公平正直でありましたから、官吏の罪状の弾劾すべきものについては遠慮するところがありませんでした。陛下は恩情をお与えになりましたから、自然に人々は整粛となりました。
官吏たちが政務を怠らなかったのはこういう理由によるものであります。また、魏徴の後を継いだ杜正倫も部下たちを督励しました。

太宗
ふむ。
この頃、国家の法度がうまく働かなくなってしまったのは、勲功があった者と天子の親族が高い地位にあり、その才能がその任務にふさわしくなく、ただ、権勢を振るうだけであるためであります。それゆえ、官僚たちは公正の道に従わず、たとえ、道を正そうとしても高い地位にある者の轟々たる非難を恐れます。
それゆえに郎中の任免は命を受けるだけ、尚書はぐずぐずして決断を下す事が出来ません。あるいは天子への上奏を妨害しわざと期日を引き伸ばしております。
詔勅の文案は極めつくしているのにさらに究明を加えています。
去る事に期限はなく、来るのに遅くとも責める事がありません。一度、その手にかかれば何年も経過します。あるいは、天子の意を迎えて実情を見失い、あるいは疑いを避けて道理を押さえてしまいます。
役人は文案が出来上がる事でそれでことが終わると考えてその内容の是非を究明しません。
尚書はごきげんを取る事が奉公と考えてその是非を論じることなくお互いに一時逃がれをしています。

太宗
ふむ。
官というものは天の仕事を人が変わって行うものでありますから、才能のないものにやたらに官位を加えてはなりません。
皇室の外戚や国家に大功労があった人についてはその礼儀、録を優遇すべきであります。ある者は高齢でおいぼれとなり、ある者は病気が重なり愚かとなっている者はもはや当代に何の益もございません。このような者は退任して余生を静かに暮らさせるべきであります。こういう人たちが要所に居座って、長く賢者の昇進を阻むことはことのほかよろしくない事でございます。

太宗
ふむ。どうすべきだとそなたは思っておるのだ。
この弊害を救済しようと思いましたならば尚書の左右丞、左右郎中を精選すべきであります。もし、共に良き人を得たならば自然と国家は振起します。また、出世競争を矯正する事も出来ます。なにも停滞をやめるだけではございません。

太宗
ふむ。そなたの意見、よく判った。考えておこう。
その後、間もなく、太宗は劉キを尚書右丞に任命した。




司馬徽
国家が安定した時に停滞の兆しが現れる。これを乗り越える事が出来るかどうか。それは組織の老害を取り除いて能力ある人材を適所に配置する事が出来るか。それに尽きるのう。
なるほど、人情的には身内や功労者を解任するのは気が引けるが、国家のためにはそのような処置が必要なのだろうな。
飛覇帥

司馬徽
よいぞ、よいぞ
そういえば、秋雪の姿が見えぬが・・・・。
飛覇帥

飛覇昌幸
ご領地に向かうと言って、つるはしを持って出て行かれましたが・・・・。
真面目に領地にするつもりか、あいつ・・・・。
飛覇帥

琵琶侍
つづく・・・・
べぇぇーん、べべぇぇーん
(琵琶の音色)






原文
第八章
貞観十一年、治書侍御史劉キ上疏して曰く、臣聞く、尚書の万機は、寔に政の本と為す、と。伏して尋ぬるに、此の選は、授受誠に難し。是を以て、八座は文昌に比べ、二丞は管轄に方ぶ。爰に曹郎に至るまで、上、列宿に膺る。苟くも職に称ふに非ざれば位を竊み譏りを興す。伏して見るに、比来、尚書省、詔勅稽停し、文案擁滞す。臣誠に庸劣なれども、請ふ其の源を述べん。
貞観の初、未だ令僕有らず。時に省務繁雑なること、今に倍多す。而して左丞載冑・右丞魏徴、竝びに吏方に暁達し、質性平直にして、事の当に弾挙すべきは、廻避する所無し。陛下又仮すに恩慈を以てし、自然に物を粛せり。百司、懈らざりしは、抑も此に之れ由れり。杜正倫が続ぎて右丞に任ずるに及びて、頗る亦下を励ませり。
比者、綱維、挙がらざるは、竝びに勲親、位に在り、器、其の任に非ず、功勢相傾くるが為なり。凡そ官僚に在るもの、未だ公道に循はず、自ら強めんと欲すと雖も、先づ囂謗を懼る。所以に郎中の与奪、惟だ諮稟を事とす。尚書依違して、断決する能はず。或は聞奏を憚り、故らに稽延を事とす。案、理窮まると雖も、仍ほ更に盤下す。去ること程限無く、来ること遅きを責めず。一たび手を出すを経れば、便り年載を渉る。或は旨を希ひて情を失ひ、或は嫌を避けて理を抑ふ。勾司、案成るを以て事畢ると為し、是非を究めず。尚書、便僻を用て奉公と為し、当不を論ずる莫し。互に相姑息し、惟だ弥縫を事とす。且つ衆を選び能に授くること、才に非ざれば挙ぐる莫し。天工、人代る。焉んぞ妄りに加ふ可けんや。懿戚・元勲に至りては、但だ宜しく其の礼秩を優にすべし。或は年高くして耄及び、或は病積み智昏きは、既に時に益無し、宜しく当に之を致すに閑逸を以てすべし。。久しく賢路を妨ぐるは、殊に不可なりと為す。
将に茲の災弊を救はんと欲せば、且つ宜しく尚書左右丞及び左右司郎中を精簡すべし。如し竝びに人を得ば、自然に綱維備に挙がらん。亦当に趨競を矯正すべし。豈に惟だ其の稽滞を息むるのみならんや、と。疏奏す。尋いでキを以て尚書右丞と為す。