智の館2
政体 第1章


司馬徽
弓でさえ知らなかったのだから


登場人物紹介

太宗
唐の2代目皇帝。
2代目といってもぼんぼんではない。父の代わりとして中国各地を転戦し唐の中国統一の最大の功労者。
兄と弟が自分を殺害しようとしていたことを知ると先手を打ってこれを討ち、父親を幽閉して皇帝の座につく。
長い中国の歴史の中でも屈指の名君として必ずその名は挙げられ、その治世は『貞観の治』と呼ばれ後世の手本とされた。

南朝梁の昭明太子蕭統の曾孫、明帝の子。
唐の高祖に仕え、太宗の時代も朝政に参画した。
議論明晰であるが、他人の短所を容赦しなかったといわれている。




司馬徽
貞観初年。太宗は蕭ウに語った。

太宗
そなたも知っての通り、私は幼少の頃から弓を好み、奥義を極めたものと思っていた。
御意。

太宗
ところが、先ほど良弓を十数張を手に入れ、弓工に見せたのだが・・・・・・
太宗はその出来事を語り始めた。

太宗
最近、手に入れた良弓じゃ。そなたの目から見てこの弓をどう思うか?遠慮せずに言って欲しい。
恐れながら申し上げます。
これらの弓は全て良材ではございません。

弓職人

太宗
ほう。それはいかなるわけじゃ?
弓の木の心がまっすぐでございません。つまり、木の木目が皆、曲がっているのです。
こういう弓はどんなに剛勁であっても矢がまっすぐ飛びません。
ですから、これらは良弓とは言えないのです。

弓職人

太宗
ふむ。なるほど、言われてみればその通りじゃ。
太宗は姿勢を正して言葉を続けた。

太宗
そこで、私は悟ったのだ。
自分は弓矢をもって、四方の群雄を打ち破り、弓を使うことが多かった。それにもかかわらず、弓職人に言われるまで弓の筋目の曲直が分からなかった。
まして、私は皇帝になってから日が浅い。政治のやり方、精神を得ることについては当然、弓を用いた経験には遠く及ばない。
長年、得意としていた弓の見かたも間違っていたのだから、政治についてはまったく分かっていないに違いないのだと。
それは良い経験をなさいましたな。

太宗
うむ。
そこでじゃ、在京の五品以上の官吏たちを交代で宮中に宿直させ、いつでも共に語らって民間の事を尋ね、人民の利害や政務の得失について知るようにしたいのだ。
なるほど。良きお考えでございます。
早速、検討しそのように取り計らいましょう。





司馬徽
得意としていた弓のことでさえ知らなかった。太宗はそこで終わる人物ではなかったのじゃ。弓でさえ知らないのだから、政治はもっと知らないに違いない。と、身を正したのじゃ。
うむ。
さすがじゃ。わしもそのようになりたいものじゃ。

飛覇帥

司馬徽
よいぞ、よいぞ
わしの得意なことといえば斬首っ!じゃのう。これについては奥義を極めたのではないだろうか?
飛覇帥

鏡秋雪
首の切り方ってあるのをご存知ですか?
ほう・・・・。
まさか、わしの首を切って説明してやろうなどと考えているわけではあるまいな・・・・。

飛覇帥

鏡秋雪
ちっ。

司馬徽
ちっ。
ちっ。って。本気だったんかい!
どさくさにまぎれて、司馬徽まで舌打ちしなかったか?おいっ!

飛覇帥







原文
第一章
貞観の初、太宗、蕭ウに謂ひて曰く、朕、少きより弓矢を好む。自ら謂へらく、能く其の妙を尽くせり、と。近ごろ良弓、十数を得、以て弓工に示す。工曰く、皆、良材に非ざるなり、と。朕、其の故を問ふ。工曰く、木心正しからざれば、則ち脈理皆邪なり。弓、剛勁なりと雖も、箭を遣ること直からず。良弓に非ざるなり、と。朕、始めて悟る。朕、弧矢を以て四方を定め、弓を用ふること多し。而るに猶ほ其の理を得ず。況んや、朕、天下を有つの日浅く、治を為すの意を得ること、固より未だ弓に及ばず。弓すら猶ほ之を失す。何ぞ況んや治に於てをや、と。是より京官五品以上に詔し、更中書内省に宿せしめ、毎に召見して、皆、坐を賜ひ、与に語りて外事を詢訪し、務めて百姓の利害、政教の得失を知る。