智の館2
君臣鑒戒 第4章


司馬徽
次世代の教育


登場人物紹介

太宗
唐の2代目皇帝。
2代目といってもぼんぼんではない。父の代わりとして中国各地を転戦し唐の中国統一の最大の功労者。
兄と弟が自分を殺害しようとしていたことを知ると先手を打ってこれを討ち、父親を幽閉して皇帝の座につく。
長い中国の歴史の中でも屈指の名君として必ずその名は挙げられ、その治世は『貞観の治』と呼ばれ後世の手本とされた。

房玄齢
当初から太宗に従い、帷幄の中にあって策をめぐらし太宗をよく補佐した。秦王府十八学士の冠首とされる。唐の諸制度も杜如晦との名コンビで作り上げ、貞観の治の立役者の一人といってよい。

岑文本
中書舎人として多くの詔告を草定した。
魏徴の後を継ぎ、太宗によく諌言をした。
のちに中書令となり、遼東征討に従い、病死した。




司馬徽
貞観十七年に太宗は左右の侍臣たちに語って言われた。

太宗
昔から国家創業の君主の子孫の代になってから乱が多いのはどういうわけであろうか?
幼い君主は奥深い宮殿の中で成長し、幼少の頃から富貴の地位にいるために世間の真実と偽りの見分けや国家を治めるについての危機管理を知る事がありません。、
これが子孫の代に政治を行ううえに乱が多い理由であります。

房玄齢

太宗
そなたの考えは過ちを君主に押し付けている。
私は乱の罪は臣下の責任にあると思う。功臣の子弟というものは多くは才能もなく品行が悪く、先祖の勲功のおかげによって大官の地位におり、徳義を身につけず、贅沢を好んでいる。
主君は幼弱である上に臣下は不才である。だから、国家が倒れ掛かっても支える事が出来ない。これではどうして乱がないことがあるだろうか。
隋の煬帝は宇文述が藩にいたときの功績を取り上げてその子供の宇文化及を抜擢した。ところが、化及はその恩に報いる事をせず、逆に煬帝を殺害した。これは臣下の罪ではあるまいか。
私がこのような事を言うのはそなたたちが子弟をよく戒め励まして、正しい道を踏み外し罪を犯す事がないようにして欲しいからである。
ひいてはそれが国家のためにも慶事となるのである。
御意。
房玄齢

太宗
宇文化及と楊玄感は隋の大臣で天子の恩を受ける事がもっとも深いものである。それなのにその子孫はみな反逆している。その理由は何であろうか?
道徳心のある君子は人から受けた恩徳をいつまでも忘れずに心に持っていますが、心がねじれた小人は御恩を忘れずに持ち続ける事が出来ないものであります。
化及や玄感のやからは皆、小人であります。
だから古人が君子を尊び、小人をさげすんだ理由であります。

岑文本

太宗
まったくその通りだな。




司馬徽
子孫の代の乱について、房玄齢は君主の責任を言い、太宗は臣下の責任を言った。
これは両方に問題があるから乱が起こるのではないかな。どちらかがしっかりしていれば国家が滅びるほどの乱にはならないはずじゃ。
うむ。
わしには子供はいないが平和な時代を続けるためにはちゃんと教育しなければな。

飛覇帥

司馬徽
よいぞ、よいぞ
それにしても、釣鐘の中は暗いのう。真っ暗じゃ。
ん?なんじゃ、この琵琶の音は・・・・。

飛覇帥

琵琶侍
拙者。琵琶侍じゃぁ。
♪オレは李世民〜。中国屈指の名君さ。天下泰平守るため、家臣の子弟の教育をしっかりやれって、言うじゃなぁ〜い〜♪
べぇぇーん、べべぇぇーん
(琵琶の音色)。
おい!
どっから入ってきたんだ。貴様!狭いぞ!

飛覇帥

琵琶侍
でも、長男の教育に失敗した、アンタにだけは言われたくありませんから〜!
残念〜っ!
唐太宗、斬りっ!
こいつ、レギュラーを狙ってるな・・・・。
飛覇帥






原文
第四章
貞観十七年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、古より草創の主、子孫に至りて乱多きは、何ぞや、と。司空房玄齢曰く、此れ、幼主は深宮に生長し、少くして富貴に居るが為めに、未だ嘗て人間の情偽、理国の安危を識らず。政を為すこと乱多き所以なり、と。
太宗曰く、公の意は、過を主に推す。朕は則ち罪を臣に帰す。夫れ功臣の子弟は、多く才行無く、祖父の資蔭に藉りて、遂に大官に処り、徳義、修まらず、奢縦を是れ好む。主、既に幼弱にして、臣、又不才、顛るるも扶けず。豈に能く乱無からんや。隋の煬帝、宇文述が藩に在りしときの功を録して、化及を高位に擢づ。報効を思はず、翻つて殺逆を行へり。此れ豈に臣下の過に非ずや。朕が此の言を発するは、公等が子弟を戒勗し、愆犯無からしめんことを欲す。即ち国家の慶なるのみ、と。
太宗、又曰く、化及と楊玄感とは、即ち隋の大臣にして、恩を受くること深き者なり。子孫皆反す。其の故は何ぞや、と。岑文本対へて曰く、君子は乃ち能く徳を懐ひ、小人は恩を荷ふこと能はず。玄感・化及の徒は。竝びに小人なり。古人、君子を貴びて小人を賎しむ所以なり、と。太宗曰く、然り、と。