智の館2
納諌 第7章


司馬徽
言葉ではなく内容を見よ


登場人物紹介

太宗
唐の2代目皇帝。
2代目といってもぼんぼんではない。父の代わりとして中国各地を転戦し唐の中国統一の最大の功労者。
兄と弟が自分を殺害しようとしていたことを知ると先手を打ってこれを討ち、父親を幽閉して皇帝の座につく。
長い中国の歴史の中でも屈指の名君として必ずその名は挙げられ、その治世は『貞観の治』と呼ばれ後世の手本とされた。

皇甫徳参
上書して太宗の逆鱗に触れ、罰せられるところを魏徴の諌言によって監察御史に任ぜられた。

魏徴
太宗の兄に仕えて太宗暗殺を計画し積極的にこれを勧めた。しかし、これに失敗。逆に太宗に捕らえられた。
その見識の高さと剛直さを太宗に認められ大臣に抜擢された。その後も太宗を恐れることはなく諌言を繰り返し、太宗の治世を支え続けた。
魏徴が亡くなった時、太宗は「自らの過ちを正す貴重な鏡を失った」と嘆いた。




司馬徽
貞観八年。丞の皇甫徳参は上書して、太宗の意に逆らった。太宗はそれを根も葉もない誹謗と受け取った。

太宗
徳参め。一人の労役も出さず、無税にして、宮人を坊主にしなければ気が済まぬのか!
許せぬ!
お待ちください。
昔、賈誼が漢の文帝の時に上書して言いました。『時勢は声をあげて泣き悲しむこと三、大きなため息をつかねばならぬこと五』と。このように古来から上書というものは言葉が激しく厳しいものでございます。
もし、激しく厳しい言葉でなければ陛下の心を奮い立たせることは出来ません。激切な言葉は誹謗に似ております。
陛下におかれましては、この上書の言葉ではなく内容の可否をよくお考えください。

魏徴

太宗
うむ・・・。
太宗は怒りを抑え、皇甫徳参を呼んだ。

太宗
そなたでなければ、こういうことを言うことの出来る者はいない。
よく、上書してくれた。
絹一三〇段を授ける。
誠に恐れ入ります。
皇甫徳参




司馬徽
丞というのは県令の下の役職じゃからはっきり言って下っ端じゃ。その者からの上書が激切なものであったために太宗は怒って政治誹謗罪で罰しようとしたのじゃ。しかし、魏徴のとりなしによって逆に出世したんじゃ。
この話は司馬光の資治通鑑にもあるのう。Googleで『皇甫徳参』と検索すれば見つけることができるじゃろう。
うむ。
太宗の怒りももっともだな。しかし、魏徴の諌めがあったとは言え、徳参を許したのは素晴らしいのう。
それに、魏徴の『言葉でなく内容の可否を』という言葉も素晴らしいものじゃ。

飛覇帥

司馬徽
よいぞ、よいぞ
それにしても、司馬徽がGoogleで検索することを知っておるとは、侮れぬな。
飛覇帥

司馬徽
ちなみに、検索結果でキャッシュをクリックすると、検索文字に色をつけてくれるので長い文章の中でもすぐに見つけることが出来るのじゃ。

鏡秋雪
飛覇帥さん。大変ですよ。『宋名臣言行録』と『貞観政要』で検索すると1番最初にこのページが出てきますよ!
なんと!あまり無様な姿を見せぬようにしなければ!
飛覇帥

鏡秋雪
いえ、もう、手遅れかと・・・・・。
うぐっ・・・・
飛覇帥






原文
第七章
貞観八年、陝県の丞皇甫徳参、上書して旨に忤ふ。太宗以てサン謗と為す。侍中魏徴、奏言す、昔、賈誼、漢の文帝の時に当りて、上書して云ふ、痛哭を為す可き者三、長歎を為す可き者五、と。古より上書は、率ね激切多し。若し激切ならざれば、則ち人主の心を起す能はず。激切は即ちサン謗に似たり。惟だ陛下、其の可否を詳かにせよ、と。太宗曰く、公に非ざれば、能く此を道ふ者無し、と。徳参に物一百三十段を賜はしむ。