智の館2
納諌 第4章


司馬徽
逆鱗を恐れずに


登場人物紹介

太宗
唐の2代目皇帝。
2代目といってもぼんぼんではない。父の代わりとして中国各地を転戦し唐の中国統一の最大の功労者。
兄と弟が自分を殺害しようとしていたことを知ると先手を打ってこれを討ち、父親を幽閉して皇帝の座につく。
長い中国の歴史の中でも屈指の名君として必ずその名は挙げられ、その治世は『貞観の治』と呼ばれ後世の手本とされた。

虞世南
当初、隋の煬帝に仕えたが、虞世南が真正直すぎるため使いこなすことが出来なかった。
体つきが弱々しく着物の重さにも負けそうであったが、心は剛直で太宗を遠まわしに諌め、その言葉は太宗の治世に大いに役立った。
虞世南が亡くなった時、太宗は「当代の名臣であり、人間の手本である」とその死を悼んだ。

韋挺
若い時から太宗の兄(建成)と親しかった。
玄武門の変の後、流刑にされていたが、王珪の勧めにより官職に復帰した。

杜正倫
隋末の秀才として知られる。
魏徴の勧めによって中書侍郎に累進した。

姚思廉
隋に仕え、代王侑の侍読となった。
高祖が京師を占領した時に僚友は全て逃げ出していたが、彼一人は代王侑のもとに留まった。
太宗の時、弘文館学士に累官した。




司馬徽
貞観六年。太宗は虞世南、韋挺、杜正倫、姚思廉の意見書が見事であったため、宴会に招いた。

太宗
古来からの人臣が忠義を尽くした例を見てみると、もし、賢明な君主に出会う時には真心を尽くして正し諌める事が出来る。ところが、桀王を諌めた龍逢は殺され、紂王を諌めた比干も殺され、妻子までも殺されてしまった。
そうした事を考えてみると、良き君主であることは易しくなく、良き臣下であることは極めて難しい事だ。
私はこういう話を聞いたことがある。龍は飼いならして手なずけることが出来る。しかし、龍のノドの下には逆さに生えた鱗があり、それに触れると飼い主ですら殺す。同じように君主にも逆鱗があり御意に逆らえば君主の激怒を招くという話である。
しかし、そなたたちはその逆鱗に触れることを恐れずに意見書を書いてくれた。今後も常にこのようであったなら国家が傾いて敗れる事を少しも心配することはない。
いつも、そなたたちのこの忠直を思って忘れることが出来ない。だから、宴会を設けて共に楽しむことにしたのだ。
誠に恐れ入ります。
虞世南
そして、太宗はそれぞれの意見書の内容の出来によってそれぞれ違った量の絹を授けた。




司馬徽
太宗は常に意見を求めている事を知らしめるために宴会を開いたのではないじゃろうか。授けた絹の量が違っているのは一見不公平に思われるが、内容に応じて授けているのだから公平であるし、中身まで読んでいるぞという証しでもあるな。
なるほど、さすがじゃのう。
飛覇帥

司馬徽
よいぞ、よいぞ

鏡秋雪
・・・・・・
なんじゃ、今日はおとなしいのう。
飛覇帥

鏡秋雪
お正月ですから、ギャグもお休みです。
そうなのか。
飛覇帥

鏡秋雪
残念〜っ!
ギター侍?(^^;
飛覇帥






原文
第四章
貞観六年、太宗、御史大夫韋挺・中書侍郎杜正倫・秘書少監虞世南・著作郎姚思廉等、封事を上りて旨に称へるを以て、召して謂ひて曰く、朕、古よりの人臣、忠を立つるの事を歴観するに、若し明主に値へば、便ち誠を尽くして規諌するを得。龍逢・比干の如きに至つては、竟に孥戮を免れず。君たること易からず、臣たること極めて難し。朕又聞く、龍は擾して馴れしむ可し。然れども喉下に逆鱗有り、之に触るれば則ち人を殺す。人主も亦逆鱗有り、と。卿等、遂に犯触を避けずして、各々封事を進むること、常に能く此の如くならば、朕豈に宗社の傾敗を慮らんや。毎に卿等の此の意を思ひ、暫くも忘るる能はず。故に宴を設けて楽を為すなり、と。仍りて帛を賜ふこと差有り。