
司馬徽 |
貞観四年。太宗は洛陽の乾元殿を修理し、地方巡幸に備えさせようと詔を出した。
それに対して張玄素は上書して諌めた。 |
|
|
秦の始皇帝は天下を統一し、帝位を万世に残し伝えようとしましたが、子の代に滅んでしまいました。それは、天に逆らい人民を害したからでございます。
そこで、私たちはこういうことが判りました。天下は力によって勝つことは出来ず、天地の神々はお祭りしているからといって頼りにすることは出来ない。ただ、倹約を広め、税金を薄くすべきであると。そうすれば、国家は永久に堅固である事ができます。
今は長い戦乱の後を受けて衰え弱った世になっております。陛下ご自身が先頭に立って倹約に努めるべきであると思います。
洛陽は行幸の時期ではありませんのに補修を命ぜられました。各地の王も陛下を見習って土木工事を始めるに違いありません。工事のために労役に駆り出されるのは疲弊した人民が希望することではございません。これがよろしくない一つであります。
陛下が隋を滅ぼし洛陽を平らげた時、高い楼閣や広い宮殿を全て壊したので、天下の人々は喜びました。最初に贅沢を憎みながら今再び贅沢な宮殿を修理して受け継ごうということが善いとは思えません。これがよろしくない二つであります。
陛下はすぐに巡幸なされないとお聞きしました。それならば今回の工事は不急不要の務めをなして費用の無駄遣いをするものでございます。国に二年をを支える貯蔵がないのにどうして、両都の親交を必要としましょうや。労役が程度を超えて人民が国を怨みそしる声が今にも上がろうとしています。これがよろしくない三つでございます。
人民は長い戦乱の後を受け財力はすっかりなくなり果てておりました。陛下の恩恵によりやっと生きていけるようになりました。しかし、飢えと寒さはまだ身に迫り、生計はまだ不安定でございます。完全に元通りになるには五、六年かかると思われます。どうして、その上に疲弊した人民の力を奪おうとなさるのですか。これがよろしくない四つでございます。
陛下は衰え弱った人民を化し、人情の薄くなった風俗を改めましたが、月日の経過が浅く、まだ充分に素直で穏やかな風俗になってはおりません。いろいろと事情を見計らいますとどうして洛陽へ行幸してよろしいでございましょうや。これがよろしくない五つでございます。
宮殿の一つの柱を運ぶにしても非常に多くの費用がかかります。私が聞いた言葉に『阿房宮ができて秦人は離散し、章華台ができて楚民が離散した』があります。そして、乾陽宮ができてあがって隋の民がばらばらになりました。
陛下は今度の労力を隋の時に比べていかがお考えになりますか?隋が乾陽宮を建てた時は豊かな時代でありましたが、戦乱によって弱っている人民を使って乾元殿を修理なされようとしています。こういう点から言いますれば恐らくは煬帝よりも甚だしいものがございましょう。
昔の秦の王が宮殿を誇示して異民族に笑われたように、陛下が笑われることがなければ天下万民にとって非常にありがたいことでございます。 |

張玄素 |
|
この上書を読んで、太宗は張玄素を召して問うた。 |
|

太宗 |
そなたはこの上書の中で私を煬帝よりも甚だしいと書いているが、桀紂と比べてどうであろうか? |
|
|
もし、陛下がこの工事を始めるのであれば古語に言うところの『同じく乱に帰する』というもので、同じでございます。 |

張玄素 |
|
太宗は深くため息をついて房玄齢に語った。 |
|

太宗 |
わたしは、よく思い量らずにこのようなことになってしまった。
今、張玄素の上書を得た。それによれば洛陽の宮殿を修理することは宜しくない。
後日、どうしても洛陽に行かなくてはならない時は、宮殿がなくて雨ざらしに座ったとしても少しも苦しいことはない。先日命じた作業は直ちに停止すべきである。 |
|
|
御意。 |

房玄齢 |

太宗 |
そして、低い身分の者が尊い天子に逆らうことは古来から難しいことである。その人が至忠至直でなければどうしてこのような諌言が出来るであろうか。
衆人の従順は一人の直言には及ばない。
張玄素に絹五百匹を賜うべきである。 |
|
|
誠に恐れ入ります。 |

張玄素 |
|
そのやり取りを見ていた魏徴は嘆息した。 |
|

魏徴 |
張公は天を回転させる力がある。
それは左伝にある『仁人の言はその利が広い』というべきものだな。 |
|