智の館2
納諌 第3章


司馬徽
雨ざらしに座ったとしても
苦しいことはない


登場人物紹介

太宗
唐の2代目皇帝。
2代目といってもぼんぼんではない。父の代わりとして中国各地を転戦し唐の中国統一の最大の功労者。
兄と弟が自分を殺害しようとしていたことを知ると先手を打ってこれを討ち、父親を幽閉して皇帝の座につく。
長い中国の歴史の中でも屈指の名君として必ずその名は挙げられ、その治世は『貞観の治』と呼ばれ後世の手本とされた。

張玄素
当初は隋に仕え、景城県の戸曹となった。その後、太宗に抜擢され門下省の給事中(詔勅、裁判、人事などに不都合な点があれば正す官職)に任命された。

房玄齢
当初から太宗に従い、帷幄の中にあって策をめぐらし太宗をよく補佐した。秦王府十八学士の冠首とされる。唐の諸制度も杜如晦との名コンビで作り上げ、貞観の治の立役者の一人といってよい。

魏徴
太宗の兄に仕えて太宗暗殺を計画し積極的にこれを勧めた。しかし、これに失敗。逆に太宗に捕らえられた。
その見識の高さと剛直さを太宗に認められ大臣に抜擢された。その後も太宗を恐れることはなく諌言を繰り返し、太宗の治世を支え続けた。
魏徴が亡くなった時、太宗は「自らの過ちを正す貴重な鏡を失った」と嘆いた。




司馬徽
貞観四年。太宗は洛陽の乾元殿を修理し、地方巡幸に備えさせようと詔を出した。
それに対して張玄素は上書して諌めた。
秦の始皇帝は天下を統一し、帝位を万世に残し伝えようとしましたが、子の代に滅んでしまいました。それは、天に逆らい人民を害したからでございます。
そこで、私たちはこういうことが判りました。天下は力によって勝つことは出来ず、天地の神々はお祭りしているからといって頼りにすることは出来ない。ただ、倹約を広め、税金を薄くすべきであると。そうすれば、国家は永久に堅固である事ができます。
今は長い戦乱の後を受けて衰え弱った世になっております。陛下ご自身が先頭に立って倹約に努めるべきであると思います。
洛陽は行幸の時期ではありませんのに補修を命ぜられました。各地の王も陛下を見習って土木工事を始めるに違いありません。工事のために労役に駆り出されるのは疲弊した人民が希望することではございません。これがよろしくない一つであります。
陛下が隋を滅ぼし洛陽を平らげた時、高い楼閣や広い宮殿を全て壊したので、天下の人々は喜びました。最初に贅沢を憎みながら今再び贅沢な宮殿を修理して受け継ごうということが善いとは思えません。これがよろしくない二つであります。
陛下はすぐに巡幸なされないとお聞きしました。それならば今回の工事は不急不要の務めをなして費用の無駄遣いをするものでございます。国に二年をを支える貯蔵がないのにどうして、両都の親交を必要としましょうや。労役が程度を超えて人民が国を怨みそしる声が今にも上がろうとしています。これがよろしくない三つでございます。
人民は長い戦乱の後を受け財力はすっかりなくなり果てておりました。陛下の恩恵によりやっと生きていけるようになりました。しかし、飢えと寒さはまだ身に迫り、生計はまだ不安定でございます。完全に元通りになるには五、六年かかると思われます。どうして、その上に疲弊した人民の力を奪おうとなさるのですか。これがよろしくない四つでございます。
陛下は衰え弱った人民を化し、人情の薄くなった風俗を改めましたが、月日の経過が浅く、まだ充分に素直で穏やかな風俗になってはおりません。いろいろと事情を見計らいますとどうして洛陽へ行幸してよろしいでございましょうや。これがよろしくない五つでございます。
宮殿の一つの柱を運ぶにしても非常に多くの費用がかかります。私が聞いた言葉に『阿房宮ができて秦人は離散し、章華台ができて楚民が離散した』があります。そして、乾陽宮ができてあがって隋の民がばらばらになりました。
陛下は今度の労力を隋の時に比べていかがお考えになりますか?隋が乾陽宮を建てた時は豊かな時代でありましたが、戦乱によって弱っている人民を使って乾元殿を修理なされようとしています。こういう点から言いますれば恐らくは煬帝よりも甚だしいものがございましょう。
昔の秦の王が宮殿を誇示して異民族に笑われたように、陛下が笑われることがなければ天下万民にとって非常にありがたいことでございます。

張玄素
この上書を読んで、太宗は張玄素を召して問うた。

太宗
そなたはこの上書の中で私を煬帝よりも甚だしいと書いているが、桀紂と比べてどうであろうか?
もし、陛下がこの工事を始めるのであれば古語に言うところの『同じく乱に帰する』というもので、同じでございます。
張玄素
太宗は深くため息をついて房玄齢に語った。

太宗
わたしは、よく思い量らずにこのようなことになってしまった。
今、張玄素の上書を得た。それによれば洛陽の宮殿を修理することは宜しくない。
後日、どうしても洛陽に行かなくてはならない時は、宮殿がなくて雨ざらしに座ったとしても少しも苦しいことはない。先日命じた作業は直ちに停止すべきである。
御意。
房玄齢

太宗
そして、低い身分の者が尊い天子に逆らうことは古来から難しいことである。その人が至忠至直でなければどうしてこのような諌言が出来るであろうか。
衆人の従順は一人の直言には及ばない。
張玄素に絹五百匹を賜うべきである。
誠に恐れ入ります。
張玄素
そのやり取りを見ていた魏徴は嘆息した。

魏徴
張公は天を回転させる力がある。
それは左伝にある『仁人の言はその利が広い』というべきものだな。




司馬徽
太宗は間違っていると気づけばすぐに過ちを正した。『衆人の従順は一人の直言には及ばない』という言葉は彼の真骨頂じゃな。
身分の低い者の意見にも耳を傾け、過ちがあれば直ちに改善し、意見を言ってくれた者に褒美を与える。どれも難しいことじゃ。わしも、そのようなことが出来るようになりたいものじゃ。
飛覇帥

司馬徽
よいぞ、よいぞ

鏡秋雪
飛覇帥さん、まず、贅沢を改めましょう。
そうじゃな。しかし、わしはそれほど贅沢をしているとは思えぬが・・・・。この城にしても簡素なものじゃ。
飛覇帥

鏡秋雪
いえいえ、まだまだですね。と、いうわけで、これから1週間、奴隷生活をしていただきますよ。
なんでそうなる!
飛覇帥

鏡秋雪
奴隷の分際で逆らうか!
ビシッバシッ(ムチうちだぁ)
ひい。許してくれい。
飛覇帥

鏡秋雪
では、お手。
お手って・・・・。
それじゃ、奴隷じゃなくて家畜・・・・。

飛覇帥






原文
第三章
貞観四年、詔して卒を発して洛陽宮の乾元殿を修め、以て巡狩に備ふ。給事中張玄素、上書して諌めて曰く、微臣竊に思ふに、秦の始皇の君たるや、周室の余に藉り、六国の盛に因り、将に之を万代に貽さんとするも、其の子に及びて亡べり。良に嗜を逞しくし慾に奔り、天に逆ひ人を害ふに由る者なり。是に知る。天下は力を以て勝つ可からず、神祇は親を以て恃む可からず、惟だ当に倹約を弘にし、賦斂を薄くすべし。終を慎しむこと始の如くにせば以て永固なる可し。
方今、百王の末を承け、凋弊の余に属す。必ず之を節するに礼制を以てせんと欲せば、陛下宜しく身を以て先と為すべし。東都は未だ幸期有らざるに、即ち補葺せしむ。諸王、今竝びに藩に出で、又須く営構すべし。興発既に多きは、豈に疲人の望む所ならんや。其の不可なるの一なり。陛下、初め東都を平らげしの始め、層楼広殿、皆、撤毀せしめ、天下翕然として、心を同じくして欣仰せり。豈に初めは則ち其の侈靡を悪み、今は乃ち其の雕麗を襲ふ有らんや。其の不可なるの二なり。音旨を承くる毎に、未だ即ち巡幸せず。此れ即ち不急の務を事とし、虚費の労を成す。国に兼年の積無し、何ぞ両都の好を用ひん。労役、度に過ぎ、怨トク将に起らんとす。其の不可なるの三なり。百姓、乱離の後を承け、財力凋尽す。天恩含育し、粗ぼ存立を見る。飢寒猶ほ切に、生計未だ安からず。五六年の間には、未だ旧に復する能はざらん。奈何ぞ更に疲人の力を奪はん。其の不可なるの四なり。昔、漢の高祖、将に洛陽に都せんとす。婁敬一言して、即日西に賀す。豈に地は惟れ土の中、貢賦の均しき所なるを知らざらんや。但だ形勝の関内に如かざるを以てなり。伏して惟みるに、凋弊の人を化し、澆漓の俗を革め、日たること尚ほ浅く、未だ甚だしくは淳和ならず。事宜を斟酌するに、ナンぞ東幸す可けんや。其の不可なるの五なり。
臣又嘗て隋室の初め此の殿を造るを見るに、楹棟宏壮なり。大木は隋近の有る所に非ず、多く豫章より採り来る。二千人、一柱を曳き、其の下に轂を施す。皆、生鉄を以て之を為る。若し木輪を用ふれば、便即ち火出づ。略ぼ一柱を計るに、已に数十万の功を用ふれば、則ち余費又此れに過倍す。臣聞く、阿房成りて、秦人散じ、章華就りて、楚衆離る、と。然して乾陽、功を畢へて、隋人、解体す。且つ陛下の今時の功力を以て、隋日に何如とす。凋残の後を承け、瘡痍の人を役し、億万の功を費し、百王の弊を襲ふ。此を以て之を言へば、恐らくは煬帝よりも甚だしき者あらん。深く願はくは陛下、之を思はんことを。由余の笑ふ所と為る無くんば、則ち天下の幸甚なり、と。
太宗、玄素に謂ひて曰く、卿、我を以て煬帝に如かずとす。桀紂に何如、と。対へて曰く、若し此の殿卒に興らば、所謂同じく乱に帰するなり、と。太宗歎じて曰く、我、思量せず、遂に此に至る、と。顧みて房玄齢に謂ひて曰く、今、玄素の上表を得たり。洛陽は実に亦未だ宜しく修造すべからず。後必ず事理須く行くべくば、露坐すとも亦復た何ぞ苦しまん。有らゆる作役は、宜しく即ち之を停むべし。然れども卑を以て尊を干すは、古来、易からず。其の至忠至直に非ずんば、安んぞ能く此の如くならん。且つ衆人の唯唯は、一士の諤諤に如かず。絹五百匹を賜ふ可し、と。魏徴歎じて曰く、張公、遂に回天の力有り。仁人の言、其の利博きかな、と謂ふ可し、と。