智の館2
求諌 第8章


司馬徽
間違いはすぐにあらためる


登場人物紹介

太宗
唐の2代目皇帝。
2代目といってもぼんぼんではない。父の代わりとして中国各地を転戦し唐の中国統一の最大の功労者。
兄と弟が自分を殺害しようとしていたことを知ると先手を打ってこれを討ち、父親を幽閉して皇帝の座につく。
長い中国の歴史の中でも屈指の名君として必ずその名は挙げられ、その治世は『貞観の治』と呼ばれ後世の手本とされた。
博学で書道の大家。
秦王府の時代から太宗に従い功績をあげた。太宗が即位してからは諌議太夫として直諌して太宗から重んじられた。
後に高宗が武后を立てようとすることに反対したため左遷され、その地で没した。




司馬徽
貞観十七年。太宗はチョ遂良に問うた。

太宗
昔、舜は漆器を作り、禹は肉をのせる台に彫刻を施した。その事を諌めた者が十人以上いたという。
食器ぐらいの小さな事でどうして厳しく諌める必要があったのだろうか?
彫刻の細工は農事を妨げ、美しい組みひもは女性の仕事に害があります。贅沢のしすぎは危機と滅亡の第一歩であります。
漆器でやめなければ金の器を作るようになります。金の器でやめなければ、次は玉の器を作るようになります。ですから、諌める臣はその第一歩の兆しを諌めるものでございます。
贅沢が頂点に達してしまってはもはや諌める余地がございません。

太宗
うむ。そなたの言葉は正しい。
私が行うことでおかしなことがあったら、その兆しである場合であっても、終わろうとするものであっても、そなたたちが進んで諌めて欲しい。
歴史を見てみると人臣が何か諌めることがあっても、『それはもう着手してしまったから』とか『それは許してしまったから取り消せない』と言い、結局、諌めによって止めたり改めたりすることはない。
これでは国家が危険になり滅亡する禍はたちどころにやってくるのである。




司馬徽
最後の太宗の言葉はリーダーにとって厳しい警句であるな。確かに人間は始めてしまったことや許可を出した後に改める事を嫌がるものだ。
しかし、間違いが分かったならすぐに改めるべきであると太宗は気がついたのじゃ。
うむ。確かに自らの過ちを認めてあらためるという事は勇気がいることじゃ。しかし、自分の名誉と国家の存亡を秤にかければどちらが大事かは自明であるな。
わしも過ちがあればすぐに改めるようにしよう。

飛覇帥

司馬徽
よいぞ、よいぞ
(お、前回の気合で右足だけが動くようになっておるな)
おい、秋雪よ。わしが悪かった、許してくれー。この術を解いてくれ。頼む。

飛覇帥

鏡秋雪
くっくっく。仕方ありませんねぇ。
(もっと、近づいて来い・・・・)
よし!今じゃ!わしの右足の臭い攻撃!

飛覇帥

鏡秋雪
く、くさい。
う、うーーーん。(ばたり)
ふっ。
おお、自由に体が動くぞ。智略の勝利じゃ。

飛覇帥

飛覇昌幸
そ、それは智略ではないのでは・・・・






原文
第八章
貞観十七年、太宗、嘗て諌議大夫チョ遂良に問ひて曰く、昔、舜、漆器を造り、禹、其の俎に雕る。当時、舜・禹を諌むるもの十有余人なり、と。食器の間、何ぞ苦諌を須ひん、と。遂良曰く、雕琢は農事を害し、纂組は女工を傷る。奢淫を首創するは、危亡の漸なり。漆器已まざれば、必ず金もて之を為らん。金器已まざれば、必ず玉もて之を為らん。所以に諍臣は、必ず其の漸を諌む。其の満盈に及びては、復た諌むる所無し、と。
太宗曰く、卿の言、是なり。朕が為す所の事、若し当らざる有り、或は其の漸に在り、或は已に将に終らんとするも、皆宜しく進諌すべし。比、前史を見るに、或は人臣の事を諌むる有れば、遂に答へて云ふ、業已に之を為せり、と。或は道ふ、業已に之を許せり、と。竟に為に停改せず。此れ則ち危亡の禍、手を反して待つ可きなり、と。