智の館2
任賢 第7章


司馬徽
まさに純臣


登場人物紹介

太宗
唐の2代目皇帝。
2代目といってもぼんぼんではない。父の代わりとして中国各地を転戦し唐の中国統一の最大の功労者。
兄と弟が自分を殺害しようとしていたことを知ると先手を打ってこれを討ち、父親を幽閉して皇帝の座につく。
長い中国の歴史の中でも屈指の名君として必ずその名は挙げられ、その治世は『貞観の治』と呼ばれ後世の手本とされた。

李勣
元の名を徐世勣。唐の太祖から李姓を賜り、名前の『世』が太宗の名と同じなのでこれを避けて、李勣と名乗った。
隋末の群雄の一人、李密に仕えた。その後、李密が唐に降伏したため、李密を通じて唐に降伏した
李靖と共に突厥討伐に活躍。その後の高句麗遠征にも従う。太宗の晩年、左遷させられたが高宗に宰相として迎えられる。
高宗が則天武后を皇后に立てようとしたとき、群臣が反対する中『これ陛下の家事なり』と言って反対しなかった。

李密
隋末群雄の一人。
隋に仕えたが、目つきが悪いことを理由にやめさせられた。
隋末の混乱に乗じて群雄の一人となり、連戦連勝を重ねていた張須陀を破った。
王世充と激闘を繰り返したがついに破れ、やむなく唐に降伏した。
その後、待遇に不満を持って謀反を起こすが失敗。捕らえられて処刑された。

高祖
李淵。煬帝の圧政によって国内が乱れると、李世民(太宗)に押し切られる形で挙兵し長安を占拠し、唐を建国した。
優柔不断なところがあり、それが李健成(皇太子)と李世民(太宗)の確執を招き、遂には兄弟が殺しあうという悲劇を招いてしまった。
その後は李世民に幽閉され、皇帝の座を譲った。
優柔不断と優しさというのは表裏一体であると感じさせる人物。




司馬徽
李勣は李密に仕え、将軍となっていた。しかし、李密は王世充との戦いに敗れ、唐に降伏してしまった。
その時、李勣は十郡の地に立てこもっていた。

徐勣
李密様は唐に降伏してしまった。今、私が守っている大勢の人々と土地は李密様のものだ。
私がこれを上書して直接、唐に献上したら、主君の降伏を利用して自分の功績とし、富貴を得ようとするものだ。これは自分の恥とする行為だ。
今、私が守っている州県の兵力や人口を記録して全てを李密様に申し上げ、李密様ご自身が唐に献上するに任せるべきだ。そうすれば、これは李密様の功績となる。
うむ。これは良い考えだ。
李勣は早速、李密のもとに使者を送った。
高祖はその手紙を見て非常に怪しんだ。

高祖
なぜ李密に土地を託すのじゃ。なぜ直接、わしに献上しないのだ。
恐れながら申し上げます。
徐勣様は『上書して直接、唐に土地を献上したら、主君の降伏を利用して自分の功績とし、富貴を得ようとするものだ。これは自分の恥とする行為だ』と仰っていました。
ですから、主君である李密様に土地を託したのでございます。

使者
高祖は疑いが解けて大いに喜んだ。

高祖
徐勣は李密の徳に感じて、その功績を主人である李密に推したものである。まことに純臣である。
高祖は李勣に姓を李氏と賜り、その地方の総官に任じた。
その後、李密は謀反を起こし処刑された。
李勣は喪を発表し、喪服を着て君臣の礼を備えた。
陛下。李密様を葬りたいのです。ご遺体を私に収めてください。
李勣

高祖
うむ。よいだろう。
李勣は厳かな葬儀を行った。全軍が白い喪服を着て黎陽山に李密の遺体を葬った。
葬儀が終わると喪服を脱いで解散した。
朝廷の人々は義にかなった行為だと言った。
その後、竇建徳に敗れ降伏するが逃亡して長安に逃げ帰った。
そして、太宗に従い竇建徳と王世充を征伐して平定した。
貞観元年に并州の都督に任じられ、突厥に非常に恐れられた。
太宗はそんな李勣を褒め称えた。

太宗
煬帝は賢良の士をもちいて辺境を鎮撫するのが良策であることを理解しなかった。ただ、遠く長城を築き、多くの将兵を駐屯させて突厥に備えた。
私は李勣に并州を委任した結果、突厥はその力を恐れて遠くに逃げ辺境の地は安泰になった。数千里の長城に勝るものではあるまいか。
李勣がある時、急病にかかった。

太宗
なにかよい薬はないのか?
ひげの灰を薬とすれば治療することが出来ます。
医者

太宗
では、私のひげを使ってくれ。
太宗の思いが通じて李勣の病はなおった。
李勣は太宗の心遣いに感動して涙を流しながら礼を言った。
私のような者にそこまでしてくださり、なんとお礼を申し上げればよいのか判りません。
本当にありがとうございます。

李勣

太宗
私は国家のためを思ってそうしたまでだ。
礼には及ばない。
そなたはかつて李密を忘れなかった。今、どうして私に背く事があるだろうか。




司馬徽
李勣は旧主への実直さが認められて重用されたのじゃ。乱世の中にあって彼のような生き方が万人を感動させたのじゃろうな。
うむ。
ある意味、不器用な生き方といえるがそれを見出し、重用する器量がリーダーには求められるのかも知れぬな。

飛覇帥

司馬徽
よいぞ、よいぞ
それにしても、ひげの灰など、薬になるのだろうか?
飛覇帥

鏡秋雪
ひげがない私には分かりませんね。
そう言えば、貴様がひげを剃っているのを見たことがないな。実は女性とか・・・・。
飛覇帥

鏡秋雪
ひどいわ。あたしは女性じゃなくってよ。
・・・・。
変な言葉遣いをするな。

飛覇帥

鏡秋雪
おほほほ。
気持ち悪い!
(>_<)

飛覇帥






原文
第七章
李勣は曹州離狐の人なり。本姓は徐氏。初め李密に仕へて右武候大将軍と為る。密、後、王世充の破る所と為り、衆を擁して国に帰す。勣猶ほ旧境十郡の地に拠る。武徳二年、其の長史郭孝恪に謂ひて曰く、魏公既に大唐に帰せり。今、此の人衆土地は、魏公の有する所なり。吾若し上表して之を献ぜば、即ち是れ主の敗を利して、自ら己の功と為し、以て富貴を邀むるなり。是れ吾の恥づる所なり。今宜しく具に州県及び軍人戸口を録し、総て魏公に啓し、公の自ら献ずるに聴すべし。此れ則ち魏公の功なり。亦可ならずや、と。
乃ち使を遣はして李密に啓す。使人初めて至るや、高祖、表無くして惟だ啓の李密に与ふる有るのみなるを聞き、甚だ之を怪しむ。使者、勣の意を以て聞奏す。高祖方めて大いに喜びて曰く、徐勣、徳に感じて功を推す。実に純臣なり、と。黎州の総管に拝し、姓を李氏と賜ひ、属籍を宗正に附す。其の父の蓋を封じて済陰王と為す。王爵を固辞す。乃ち舒国公に封じ、散騎常侍を授く。尋いで勣右武候大将軍を加ふ。
李密反叛して誅せらるるに及びて、勣、喪を発し服を行ひ、君臣の礼を備へ、表請して密を収葬せんとす。高祖遂に其の屍を帰す。是に於て大いに威儀を具へ、三軍縞素して、黎陽山に葬る。礼成り服を釈きて散ず。朝野、之を義とす。尋いで竇建徳の攻むる所と為り、勣、竇建徳に陥る。又、自ら抜きて京師に帰る。太宗に従ひて王世充・竇建徳を征して之を平らぐ。貞観元年、并州都督に拝せらる。令すれば行はれ禁ずれば止み、号して職に称へりと為す。突厥甚だ畏憚を加ふ。
太宗、侍臣に謂ひて曰く、隋の煬帝、賢良を精選して辺境を鎮撫するを解せず。惟だ遠く長城を築き、広く将士を屯して、以て突厥に備ふ。朕、今、李勣に并州を委任し、遂に突厥威に畏れて遠く遁れ、塞垣安静なるを得たり。豈に数千里の長城に勝らずや、と。其の後、并州、改めて大都督府を置き、又、勣を以て長史と為す。累に英国公に封ず。并州に在ること凡て十六年、召して兵部尚書に拝し、兼ねて政事を知せしむ。
勣時に暴疾に遇ふ。験方に云ふ、鬚灰を以て之を療す可し、と。太宗自ら鬚を剪り其れが為めに薬を和す。勣、頓首して血を見、泣きて以て陳謝す。太宗曰く、吾、社稷の為めに計るのみ。深謝するを煩はさず。公は往に李密を遺れず。今豈に朕に負かんや、と。