智の館2
任賢 第5章


司馬徽
仏の嘘を方便というなら
武将の嘘を武略という


登場人物紹介

太宗
唐の2代目皇帝。
2代目といってもぼんぼんではない。父の代わりとして中国各地を転戦し唐の中国統一の最大の功労者。
兄と弟が自分を殺害しようとしていたことを知ると先手を打ってこれを討ち、父親を幽閉して皇帝の座につく。
長い中国の歴史の中でも屈指の名君として必ずその名は挙げられ、その治世は『貞観の治』と呼ばれ後世の手本とされた。

李靖
高祖が隋から独立しようとしている事をいち早く察知し、煬帝へ伝えようとしたが果たせずに捕らえられた。処刑されそうになったところを太宗のとりなしで救われた。
唐に降伏した後は太宗の右腕として国内平定で活躍し、国内平定後は突厥平定で活躍し、唐の西域支配への扉を開いた。

高祖
李淵。煬帝の圧政によって国内が乱れると、李世民(太宗)に押し切られる形で挙兵し長安を占拠し、唐を建国した。
優柔不断なところがあり、それが李健成(皇太子)と李世民(太宗)の確執を招き、遂には兄弟が殺しあうという悲劇を招いてしまった。
その後は李世民に幽閉され、皇帝の座を譲った。
優柔不断と優しさというのは表裏一体であると感じさせる人物。

頡利可汗
突厥の酋長。
兵馬強大で度々唐の国境を脅かした。高祖の時代は国内統一に集中するために高祖は頡利可汗に臣下の礼をとらざるを得なかった。
その後、李靖の攻撃によって大敗北を喫し、唐に捕らえられた。その後、右衛大将軍を授けられた。

唐倹
隋末の混乱を憂いて太宗に従い、献策をよくした。
貞観になると突厥との交渉部門の責任者となった。




司馬徽
隋末では官僚同士であった李靖と高祖は仲が悪かった。

李靖
(この優柔不断の女たらしが。まったく気に食わん奴だ)
(なんじゃ、こいつの目は。わしを馬鹿にしておるな)
高祖
隋末の混乱によって国内が騒がしくなると、李靖は高祖が独立しようとしていることを知った。

李靖
むむむ。このままでは長安が危ない。陛下にお知らせしなければ!
李靖は急遽、煬帝に直訴するために旅立った。しかし、一足先に高祖は長安を攻略し、李靖を捕らえた。
いいざまだな。李靖。
戦勝祝いだ。こいつの首を斬れ!

高祖
李靖は死を覚悟して大声で叫んだ。

李靖
貴様が義兵を起こしたのは国家の混乱を収めようとしてのことだろう。
それなのに大事を成そうとしないで、私怨によって壮士を斬るのか!
むむむ。
高祖
李靖殿はまれにみる国士でございます。助けてあげてください。
太宗
ふむ。こやつの処置はお前に任す。
高祖
ありがとうございます。
太宗
李靖はその後、太宗の右腕として国内統一に活躍した。
そして、太宗が皇帝の座につくと大臣を歴任し、その後、唐にとって難敵であった突厥に戦いを任された。
李靖は鮮やかな戦略・戦術によって突利可汗を降伏に追い込んだ。

李靖
ふっ。
残るは頡利可汗だな。
頡利可汗は李靖に恐れをなし、降伏の使者を朝廷へ送った。
お許しいただけるなら、一族すべてを引き連れて降伏いたします。
使者

太宗
ふむ。
そうは言っても、急に我々を信頼できないだろう。
唐倹。そなたがこの使者と共に頡利殿のもとに向かい、よく諭してくれ。
御意にございます。
唐倹
李靖はそのいきさつを聞いて、しばらく考えたあと、副将に言った。

李靖
唐倹殿が頡利可汗のところに到着すれば敵は必ず警戒を緩めるであろう。
そこを、我らの精鋭騎兵をもって襲撃すれば勝利は間違いないぞ。
お言葉ではございますが、陛下は頡利可汗の降伏を許し、勅使である唐倹殿を向かわせたのです。
これを襲撃するのはまずいでしょう。

副将

李靖
これこそ、戦いの好機である。時期を失してはならない。
出撃するぞ!唐倹の身など知ったことか!
一方、そんなことを知らない頡利可汗は唐倹の到着を大いに喜んだ。
よく、来て下された。ゆっくり、くつろいでくだされ。
頡利可汗

唐倹
これはどうも。
酒宴の途中でなにやら、外が騒がしくなった。
何の騒ぎだ!
頡利可汗
あんた。唐軍が攻めてきたんだ!早く逃げて!
これが、唐のやり方か!
頡利可汗

唐倹
陛下はこのようなことをする人ではございません。
こんな奴の事はどうでもいいから、さっさと逃げるんだよ!
すまん。
頡利可汗
頡利可汗は馬に乗って逃げ出した。

李靖
ちっ。一足遅かったか。
追え!
待ちな!

李靖
ふっ。
健気だな。しかし、女といえども容赦はせぬ!
ぐぇぇ
こうして李靖は十数万人を捕虜にして突厥を滅亡させた。さらに逃亡した頡利可汗は別の集落で捕らえることに成功した。
その知らせを聞いた太宗は非常に喜び、大臣たちに向かって言った

太宗
私はこのような言葉を聞いたことがある。『君主が憂い悩めば臣下は自分の恥辱と思い、君主が恥辱を受ければ臣下は命を捨ててその恥をすすぐ』と。
昔、わが国が創業の頃は突厥が強大で押さえる事ができなかった。私の父は人民のためにやむを得ず突厥に対して臣下の礼をとった。この屈辱に対して私は常に心を痛めていた。
突厥を滅ぼそうと志し、座っても落ち着かず、食べてもその味が分からないほどであった。
それが、一部の軍を動かすだけで勝利をあげ、突厥の酋長たちは降伏した。
これで、我が父の恥を拭い去ることが出来ただろうか。
皇帝陛下万歳!
大臣




司馬徽
李靖の果断な処置によって突厥を滅亡に追いやり、これによって唐は西方への勢力拡張が可能になったわけじゃ。
うーむ。
確かに勝ったことには間違いないが、深い問題があるような気がする。
例え、突厥相手であってもこのような策を用いるべきではないだろう。

飛覇帥

司馬徽
よいぞ、よいぞ

鏡秋雪
(望遠鏡で窓の外を眺めている)
また、女湯を覗いておるな!
秋雪!お前を諌言大臣に任じる。そこをどけ!

飛覇帥

鏡秋雪
そうですか。それじゃ、これから口うるさく諌言させていただきますよ。
妙なところで任務に忠実じゃのう。
(と言いつつ望遠鏡で覗いてみたりして。どれどれ)

飛覇帥

老婆
乱太郎!
覗きをするなんて、私はそんな子に育てた覚えはないよ!
おええええ。目が腐る!つーか、なんで、向こうからこっちが見えるんじゃ!
飛覇帥

鏡秋雪
飛覇帥さん。こんなことは言いたくないんですけど、諌言大臣の役目だから言いますけどね。
覗きは犯罪ですよ。(にやり)
貴様が言うな!
騙しおって!

飛覇帥

鏡秋雪
そこで、今日のタイトル。
武略でもなんでもないぞ!
こんなの!
誰かデスノート持って来い!

飛覇帥






原文
第五章
李靖は京兆三原の人なり。大業の末、馬邑郡の丞と為る。会々高祖、太原の留守と為る。靖、高祖を観察し、四方の志有るを知る。因りて自ら候して変を上り、将に江都に詣らんとし、長安に至り、道塞がりて通ぜずして止む。高祖、京城に克ち、靖を執へ、将に之を斬らんとす。靖大いに呼びて曰く、公、義兵を起し暴乱を除く。大事を就さんと欲せずして、私怨を以て壮士を斬るや、と。太宗も亦、救靖を加ふ。高祖遂に之を捨す。
武徳中蕭銑・輔公セキを平ぐるの功を以て、揚州大都督府の長史に歴遷す。太宗、位を嗣ぎ、召して刑部尚書に拝す。貞観二年、本官を以て中書令を検校す。三年、兵部尚書に転じ、代州道の行軍総官と為り、進みて突厥の定襄城を撃ちて之を破る。突厥の諸部落、竝磧北に走る。突利可汗来り降り、頡利可汗大いに懼る。四年、退きて鉄山を保ち、使を遣はして入朝して罪に謝し、国を挙げて内附せんと請ふ。
頡利、外は降を請ふと雖も、而も内は猶豫を懐く。詔して鴻臚卿唐倹を遣はして之を慰諭せしむ。靖、副将張公謹に謂ひて曰く、詔使、彼に到る、虜は必ず自ら寛くせん。乃ち精騎を選び、二十日の糧を賚し、兵を引きて白道より之を襲はん、と。公謹曰く、既に其の降を許し、詔使、彼に在り。未だ宜しく討撃すべからず、と。靖曰く、此れ兵機なり。時、失ふ可からず、と。遂に軍を督して疾く進む。行きて陰山に到り、其の斥候千余帳に遇ひ、皆、俘にして以て軍に随ふ。頡利、使者を見て甚だ悦び、官兵の至るを虞らざるなり。靖の前鋒、霧に乗じて行く。其の牙帳を去ること七里、頡利始めて覚り、兵を列ぬるも、未だ陣を為すに及ばず、単馬軽走す。虜衆因りて潰散す。男女を俘にすること十余万、土界を斥くこと、陰山の北より大磧に至り、遂に其の国を滅ぼす。尋いで頡利可汗の別部落に獲、余衆悉く降る。
太宗大いに悦び、顧みて侍臣に謂ひて曰く、朕聞く、主憂ふれば臣辱められ、主辱めらるれば臣死す、と。往者、国家草創の時、突厥強梁なり。太上皇、百姓の故を以て、臣を頡利に称せり。朕、未だ嘗て痛心疾首せずんばあらず。匈奴を滅ぼさんことを志し、坐、席に安んぜず。食、味を甘んぜず。今者、暫く偏師を動かし、往くとして捷たざるは無く、単于稽ソウ恥其れ雪がんか、と。群臣、皆万歳と称す。尋いで靖を尚書左僕射に拝し、実封五百戸を賜ふ。又、西のかた吐谷渾を征し、大いに其の国を破る。改めて衛国公に封ぜらる。靖の妻亡するに及びて、詔有りて墳塋の制度、漢の衛霍の故事に依り闕を築きて突厥の内の鉄山、吐谷渾の内の積石の二山を象るを許し、以て殊績を旌す。