智の館2
任賢 第4章


司馬徽
一つだけの花


登場人物紹介

太宗
唐の2代目皇帝。
2代目といってもぼんぼんではない。父の代わりとして中国各地を転戦し唐の中国統一の最大の功労者。
兄と弟が自分を殺害しようとしていたことを知ると先手を打ってこれを討ち、父親を幽閉して皇帝の座につく。
長い中国の歴史の中でも屈指の名君として必ずその名は挙げられ、その治世は『貞観の治』と呼ばれ後世の手本とされた。

王珪
太宗の兄に仕えて非常に重用された。
太宗暗殺を建成に勧めた罪で流罪になるが、その後、実直さを認められ魏徴と共に諌議大夫に任じられた。
太宗配下の優秀な人材の中で、「悪を憎み善を好むという点で誰よりも一日の長がある」と自らを評するほど正義感あふれる人物だった。

房玄齢
当初から太宗に従い、帷幄の中にあって策をめぐらし太宗をよく補佐した。秦王府十八学士の冠首とされる。唐の諸制度も杜如晦との名コンビで作り上げ、貞観の治の立役者の一人といってよい。

魏徴
太宗の兄に仕えて太宗暗殺を計画し積極的にこれを勧めた。しかし、これに失敗。逆に太宗に捕らえられた。
その見識の高さと剛直さを太宗に認められ大臣に抜擢された。その後も太宗を恐れることなく諌言を繰り返し、太宗の治世を支え続けた。
魏徴が亡くなった時、太宗は「自らの過ちを正す貴重な鏡を失った」と嘆いた。

李靖
高祖が隋から独立しようとしている事をいち早く察知し、煬帝へ伝えようとしたが果たせずに捕らえられた。処刑されそうになったところを太宗のとりなしで救われた。
唐に降伏した後は太宗の右腕として国内平定で活躍し、国内平定後は突厥平定で活躍し、唐の西域支配への扉を開いた。

温彦博
隋末の乱のときは幽州総管・羅芸のもとで司馬をつとめた。その後、唐に降伏した。その後、突厥の侵入に対し、并州道行軍長史として出戦したが敗れて捕らえられた。太宗が即位したのち、釈放され大臣を歴任した。

戴冑
隋末に王世充が簒奪を謀ったときに強く諌めたが入れられなかった。
法に明るく、太宗を補佐した。
事務処理に長けており、多くの仕事を抱えても滞らせることはなかった。




司馬徽
玄武門の変の後、王珪はその責任を問われて流罪になった。
しかし、その後に許されて、魏徴と共に諫議大夫に任じられた。その後、王珪は太宗を手紙によって強く諌めた。

太宗
そなたの指摘は本当に的を得ている。
昔から君主は国家が永久に安泰になることを願っている。しかし、それを得られないのは自分の過失を聞かないか、あるいは聞いても改めることが出来ないからである。
今、私に過失があればそなたが直言し、私もそれを聞いて過失を改めれば国家は安泰であろう。
恐れ入ります。
王珪
貞観二年。朝廷で酒宴が行われた。

太宗
王珪よ。
そなたは人物の善悪を見分ける能力が極めて優れており、また弁論にも優れている。ここにいる房玄齢たちの人物を自分と比べて批評してみてくれぬか?
ははっ。
絶えず陛下を諌めることに心を置き、陛下が過去の聖王に及ばないことを自分の恥だと思っている点では、私は魏徴には及びませぬ。

王珪

魏徴
ふむ。
怠らずに国のために尽くし、善いと知ったら直ちに実行する、そんな実行力があるという点では、私は房玄齢には及びませぬ。
王珪

房玄齢
ふむ。
文武の才能を兼備し、出征しては大将となり、朝廷に入っては宰相となるという点では、私は李靖には及びませぬ。
王珪

李靖
ふっ。
政治について申し上げる事が詳しく明らかであり、陛下の命令を下へ徹底させ、臣下の言を陛下へお伝えするという誠実さという点では、私は温彦博には及びません。
王珪

温彦博
ふむ。
非常に忙しい事務を処理し、多くの仕事がすべてうまく行くという点では、私は戴冑に及びません。
王珪

戴冑
恐れ入ります。
しかし、世の害悪を除き、善を挙げ、悪を憎み善を好むという点については私は他の方々より一日の長があります。
王珪

太宗
ふむ。王珪よ。見事じゃ。




司馬徽
太宗のもとには多くの優れた人材が集まっていたが、それぞれが個性にあふれていた。全ての面で優れた人間はいないのじゃ。だから、それぞれの個性を生かした人材活用が必要じゃな。
うむ。
それぞれの個性に応じた人材登用が必要というわけか、参考にさせてもらおう。

飛覇帥

司馬徽
よいぞ、よいぞ

鏡秋雪
(望遠鏡で窓の外を眺めている)
むむむ。
いつの間にわしの家宝を持ち出したのじゃ!(なぜ、望遠鏡で登用能力が身につくのか昔から疑問じゃが)

飛覇帥

鏡秋雪
いいじゃないですか。
ほほう。よく見えますなあ。
むむむ。
いったい何が見えるのじゃ?

飛覇帥

鏡秋雪
この窓の向こうの建物には何がありましたかねえ。
向こうといえば・・・・。湯殿ではないか!まさか!
飛覇帥

鏡秋雪
今は女中さんたちが・・・・。みなさん、お若いですねえ。(笑)
うう。
貴様〜!許さんぞ、そんな犯罪行為!
なんてうらやましいことを。

飛覇帥

鏡秋雪
つづく。
こら。勝手に話を打ち切るな!
飛覇帥






原文
第四章
王珪は瑯ヤ臨沂の人なり。初め隠太子の中允と為り、甚だ建成の礼する所と為る。後、其の陰謀の事に連るを以て、スイ州に流さる。建成誅せられ、太宗、召して諌議大夫に拝す。毎に誠を推し節を尽くし、献納する所多し。珪嘗て封事を上りて切諌す。太宗謂ひて曰く、卿が朕を論ずる所、皆、朕の失に中る。古より人君、社稷の永安を欲せざるは莫し。然れども得ざる者は、祇だ己の過を聞かず、或は聞けども改むる能はざるが為めの故なり。今、朕、失ふ所有らば、卿能く直言し、朕復た過を聞きて能く改むれば、何ぞ社稷の安からざるを慮らんや、と。太宗、又嘗て珪に謂ひて曰く、卿若し常に諌官に居らば、朕必ず永く過失無からん、と。顧待益厚し。
貞観元年、黄門侍郎に遷り、政治に参預し、太子右庶子を兼ぬ。二年、進んで侍中に拝せらる。時に房玄齢・魏徴・李靖・温彦博・戴冑、珪と同じく国政を知す。嘗て同に宴に侍す。太宗、珪に謂ひて曰く、卿は識鑒清通、尤も談論を善くす。玄齢等より、咸く宜しく品藻すべし。又、自ら諸子の賢に孰与なるかを量る可し、と。対へて曰く、毎に諌諍を以て心と為し、君の尭舜に及ばざるを恥づるは、臣、魏徴に如かず。孜孜として国に奉じ、知りて為さざる無きは、臣、玄齢に如かず。才、文武を兼ね、出でては将たり入つては相たるは、臣、李靖に如かず。敷奏詳明に出納惟れ允なるは、臣、彦博に如かず。繁を処し劇を理め、衆務必ず挙がるは、臣、戴冑に如かず。濁を激し清を揚げ、悪を嫉み善を好むが如きに至りては、臣、数子に於て、頗る亦、一日の長あり、と。太宗深く其の言を嘉す。群公も亦各々以て己が懐ふ所を尽くすと為し、之を確論と謂ふ。