智の館2
任賢 第3章-2


司馬徽
名臣の死


登場人物紹介

太宗
唐の2代目皇帝。
2代目といってもぼんぼんではない。父の代わりとして中国各地を転戦し唐の中国統一の最大の功労者。
兄と弟が自分を殺害しようとしていたことを知ると先手を打ってこれを討ち、父親を幽閉して皇帝の座につく。
長い中国の歴史の中でも屈指の名君として必ずその名は挙げられ、その治世は『貞観の治』と呼ばれ後世の手本とされた。

魏徴
太宗の兄に仕えて太宗暗殺を計画し積極的にこれを勧めた。しかし、これに失敗。逆に太宗に捕らえられた。
その見識の高さと剛直さを太宗に認められ大臣に抜擢された。その後も太宗を恐れることなく諌言を繰り返し、太宗の治世を支え続けた。
魏徴が亡くなった時、太宗は「自らの過ちを正す貴重な鏡を失った」と嘆いた。




司馬徽
貞観十七年。魏徴は病に倒れた。
陛下。魏徴殿が病で倒れたそうでございます。
家臣

太宗
なんだと!して、病状は?
危険な状態だそうです。
家臣

太宗
確か、魏徴の家には正堂がなかったな。
はい。質素に暮らすのが魏徴殿の望みでしたから・・・。
家臣

太宗
私の御殿を造るために集めた材木があったはずだ。それで魏徴の家に正堂を建ててやろう。
しかし、それでは陛下の御殿の建設が・・・。
家臣

太宗
私のことはどうでもよい。魏徴のために正堂を早急に建ててやるのだ。
御意。
家臣
太宗の命令で魏徴の正堂は五日で完成した。
さらに太宗は宦官を派遣して魏徴の身の回りの世話をさせた。
しかし、魏徴は数日後に亡くなった。
陛下!
魏徴殿が・・・・先ほど・・・・。

家臣

太宗
ああ・・・・魏徴・・・・。
太宗は泣き悲しみ、司空の位を贈り、文貞と諡した。
そして、自分自身で魏徴のために碑文を作り、自ら石に書いた。
魏徴が亡くなってから数週間後、太宗は侍臣達に語った。

太宗
銅を鏡にすれば、人はそれに姿を映して衣服を正すことが出来る。
歴史を鏡にすれば、世の興亡盛衰を知ることが出来る。
人を鏡とすれば、その人を手本として善悪を知ることが出来る。
私は常にこの三つの鏡を持って自己の過ちを防いできた・・・。
ところが、今、魏徴が死んで、とうとう一つの鏡を失ってしまった。
太宗は感極まって、しばらく涙を流して悲しんだ。

太宗
魏徴だけが常に私の過失を明らかにしてくれた。彼が死んでからは後は、過ちを明らかにしてくれるものがない。
魏徴が死んでから今日まで、私は誰からも諌められることがなかった。
私の行動が、魏徴が生きていた時にだけ過ちがあって、彼が死んだ後は全て正しいということがありうるだろうか。
皆はむやみに従順にしているが、私の機嫌を損ねるのを恐れているのか?
臣下が言っても皇帝が聞く耳を持っていないと非難をするなら、私はそれを甘んじて受けよう。しかし、私が聞くように努力をしているのに誰も意見を言わないのはいったい誰の責任であろうか?
今後は各自がその誠意を尽くすように。私に過ちがあった時ははばからずに直言して隠すことがないようにして欲しい。




司馬徽
太宗の三つの鏡の例えはとても参考になるのう。君主たるものこの三つの鏡を意識して己を正す努力が必要じゃな。
うむ。
わしもそのように努力しよう。

飛覇帥

司馬徽
よいぞ、よいぞ

鏡秋雪
(窓の外を眺めている)
むむむ。
わしにも見せろ。

飛覇帥

鏡秋雪
駄目ですってば。
窓際大臣より上の大臣にしていただかなければ、この席は誰にも渡すことはできませんねぇ。
むむむ。
昇進させろというのか?

飛覇帥

鏡秋雪
まあ、私はどちらでもいいんですけどね。窓際大臣も結構、気に入ってますしね。
(窓の外を眺める)
おおー。そこまでやるんだー。すごいなあ。
むむ。これは秋雪の罠か・・・。
何もないのに、わしを惑わせて昇進を狙っているとか・・・・。

飛覇帥

鏡秋雪
だから、私はどっちでもいいですよ。
(再び窓の外を眺める)
あららー。丸見えだぁ。
うう。
迷うなあ。

飛覇帥






原文
第三章
魏徴は鉅鹿の人なり。近く家を相州の臨黄に徒す。武徳の末、隠太子の洗馬と為る。太宗と隠太子と陰に相傾奪するを見、毎に建成を勧めて早く之が計を為さしむ。太宗、隠太子を誅するに及び、徴を召して之を責めて曰く、汝、我が兄弟を離間するは、何ぞや、と。衆皆之が為めに危懼す。徴、慷慨自若、従容として対へて曰く、皇太子、若し臣が言に従はば、必ず今日の禍無かりしならん、と。太宗、之が為めに容を斂め、厚く礼異を加へ、擢でて諌議大夫に拝し、数々之を臥内に引き、訪ふに政術を以てす。
徴、雅より経国の才有り。性又抗直にして、屈撓する所無し。太宗、之と言ふ毎に、未だ嘗て悦ばずんばあらず。徴も亦、知己の主に逢ふを喜び、其の力用を竭くす。又、労ひて曰く、卿が諌むる所、前後三百余事、皆、朕が意に称へり。卿が誠を竭くし国に奉ずるに非ずんば、何ぞ能く是の若くならん、と。三年、秘書監に累遷し、朝政に参預す。深謀遠算、弘益する所多し。太宗嘗て謂ひて曰く、卿が罪は、鉤に中つるよりも重く、我の卿に任ずるは、管仲より逾えたり。近代の君臣相得ること、寧ぞ我の卿に於けるに似たる者有らんや、と。
六年、太宗、近臣を宴す。長孫無忌曰く、王珪・魏徴は、往に息隠に事へ、臣、之を見ること讎の若し。謂はざりき今者又此の宴を同じくせんとは、と。太宗曰く、魏徴は往者実に我が讎とする所なりき。但だ其の心を事ふる所に尽くすは、嘉するに足る者有り。朕能く擢でて之を用ふ。何ぞ古烈に慙ぢん。然れども徴毎に顔を犯して切諌し、我が非を為すを許さず。我の之を重んずる所以なり、と。
七年、侍中に遷り、累りに鄭国公に封ぜらる。尋いで疾を以て職を解かんことを請ふ。太宗曰く、公独り金の鉱に在るを見ずや、何ぞ貴ぶに足らんや。良冶鍛へて器と為せば、便ち人の宝とする所と為る。朕方に自ら金に比し、卿を以て良匠と為す。卿疾有りと雖も、未だ衰老と為さず。豈に便ち爾るを得んや、と。徴、乃ち止む。後復た固辞す。侍中に解くを聴し、授くるに特進を以てし、仍ほ門下省の事を知せしむ。
十二年、帝、侍臣に謂ひて曰く、貞観以前、我に従ひて天下を平定し、艱険に周旋したるは、玄齢の功、与に譲る所無し。貞観の後、心を我に尽くし忠トウを献納し、国を安んじ人を利し、我が今日の功業を成し、天下の称する所と為る者は、唯だ魏徴のみ。古の名臣、何を以てか加へん、と。是に於て、親ら佩刀を解き、以て二人に賜ふ。
十七年、太子太師に拝せられ、門下の事を知するは故の如し。尋いで疾に遇ふ。徴の宅内、先に正堂無し。太宗、時に小殿を営まんと欲す。乃ち其の材を輟めて為に造らしむ。五日にして就る。中使を遣はして、賜ふに布被素褥を以てし、其の尚ぶ所を遂げしむ。後数日にして薨ず。太宗親臨して慟哭し、司空を贈り、諡して文貞と曰ふ。太宗親ら為めに碑文を製し、復た自ら石に書す。特に其の家に賜ひ、実封九百戸を食ましむ。
太宗、嘗て侍臣に謂ひて曰く、夫れ銅を以て鏡と為せば、以て衣冠を正す可し。古を以て鏡と為せば、以て興替を知る可し。人を以て鏡と為せば、以て得失を明かにす可し。朕常に此の三鏡を保ち、以て己が過を防ぐ。今、魏徴徂逝し、遂に一鏡を亡へり、と。因りて泣下ること久しうす。詔して曰く、昔、惟だ魏徴のみ、毎に余が過を顕す。其の逝きしより、過つと雖も彰すもの莫し。朕豈に独り往時に非にして、皆茲日に是なること有らんや。故は亦庶僚苟順して、龍鱗に触るるを難る者か。己を虚くして外求し、迷を披きて内省する故なり。言へども用ひざるは、朕の甘心する所なり。用ふれども言はざるは、誰の責ぞや。斯れより以後、各々乃の誠を悉くせ。若し是非有らば、直言して隠すこと無かれ、と。