智の館2
任賢 第3章-1


司馬徽
名君と名補佐役


登場人物紹介

太宗
唐の2代目皇帝。
2代目といってもぼんぼんではない。父の代わりとして中国各地を転戦し唐の中国統一の最大の功労者。
兄と弟が自分を殺害しようとしていたことを知ると先手を打ってこれを討ち、父親を幽閉して皇帝の座につく。
長い中国の歴史の中でも屈指の名君として必ずその名は挙げられ、その治世は『貞観の治』と呼ばれ後世の手本とされた。

魏徴
太宗の兄に仕えて太宗暗殺を計画し積極的にこれを勧めた。しかし、これに失敗。逆に太宗に捕らえられた。
その見識の高さと剛直さを太宗に認められ大臣に抜擢された。その後も太宗を恐れることなく諌言を繰り返し、太宗の治世を支え続けた。
魏徴が亡くなった時、太宗は「自らの過ちを正す貴重な鏡を失った」と嘆いた。

長孫無忌
太宗の長孫皇后の兄。当初から太宗に従い、各地を転戦した。
高宗の時代になると政治の中枢に座ったが、則天武后が高宗の皇后に立てようとする動きに反対したため、讒言に遭い謀殺された。

房玄齢
当初から太宗に従い、帷幄の中にあって策をめぐらし太宗をよく補佐した。秦王府十八学士の冠首とされる。唐の諸制度も杜如晦との名コンビで作り上げ、貞観の治の立役者の一人といってよい。

王珪
太宗の兄に仕えて非常に重用された。
太宗暗殺を建成に勧めた罪で流罪になるが、その後、実直さを認められ魏徴と共に諌議大夫に任じられた。
太宗配下の優秀な人材の中で、「悪を憎み善を好むという点で誰よりも一日の長がある」と自らを評するほど正義感あふれる人物だった。




司馬徽
太宗は玄武門の変で皇太子を倒し、皇帝の座についた。
皇太子の部下であった魏徴を呼び出し、詰問した。

太宗
魏徴。たびたび、皇太子に私を殺害するように勧めていたそうだな。
我々、兄弟の仲を引き裂いたのは何故だ。
太宗の厳しい態度を見て、その場に居合わせた人々は魏徴が殺されるのではないかと恐れた。
(魏徴は死を命ぜられるかも知れぬな・・・。惜しい人物ではあるが・・・)
房玄齢
魏徴は意気盛んに平然と答えた。
皇太子様がもしも私の言葉に従ってくださっていたなら、今日のような禍はなかったことでございましょう。
魏徴
太宗はその言葉を聞き、敬意を表して態度を引き締めた。

太宗
魏徴よ。諌議大夫に任じる。私に過ちがあった時は遠慮なく正して欲しい。
太宗は魏徴を諌議大夫に抜擢すると共に度々、寝室の中にまで魏徴を招いて政治のやり方について問いただすようになった。
魏徴はもともと、国家を治める才能があり、性格は剛直で恐れ怯むことがなかった。
太宗は魏徴と話をするたびにその見識を喜んだ。
魏徴は自分の真価を知ってくれた主に出会ったことを喜び、力の限りを尽くした。

太宗
そなたが私を諌めたものは三百件ぐらいある。そのどれもが私の心にかなうものである。そなたが誠意を尽くして国に奉仕するのでなければどうしてこのようにできるだろうか。
恐れ入ります。
魏徴

太宗
そなたが皇太子に仕えて私に敵対した罪は、管仲が斉の桓公を射て帯金に当てた罪よりも重く、わたしがそなたを信任することは桓公が管仲を信任したことよりも超え勝っている。
近代の君臣で、私とそなたのように気が合って信頼しあうことができた例が他にあるだろうか。
誠に、恐れ入ります。
魏徴
貞観六年に太宗は近臣たちと酒宴を行った。
かつて王珪殿と魏徴殿は隠太子に仕えており、自分はこの二人を見るとまさに雄敵だと思っておりました。
それが今、このような宴会で杯を交し合う関係になるとは当時では思いもしませんでした。

長孫無忌

太宗
確かに魏徴は私の敵であった。しかし、彼が主人のために心を尽くしたことは褒めるに足るものがある。
私は魏徴を抜擢して用いた。これは昔の立派な君主に比べても恥じることのないものだ。
魏徴はいつも私が嫌な顔をしても、かまわずに強く諌め、私が悪いことをするのを許さなかった。これが、私が魏徴を重んじる理由である。




司馬徽
太宗と魏徴。まさに名コンビと言えるのう。君主は臣下を信頼し、臣下は君主の期待に応える。まさに理想的な二人じゃ。
うむ。
かつての敵すらも抜擢して用いる。なかなか出来ることではないな。わしも部下たちを信頼していくようにしよう。

飛覇帥

司馬徽
よいぞ、よいぞ

鏡秋雪
(窓の外を眺めている)
むむむ。
わしにも見せろ。

飛覇帥

鏡秋雪
駄目です。
窓際大臣に任命されたからには私はこの任務を全うする所存。
飛覇帥さんはそこに座って、私の仕事振りを見ててください。
仕事振りって・・・・。
外を見ているだけじゃないか!

飛覇帥

鏡秋雪
ええ。私は窓際大臣ですから。これが仕事ですよねえ。
ほほう。これはこれは(にやり)
むむむ。超〜気になる・・・
飛覇帥






原文
第三章
魏徴は鉅鹿の人なり。近く家を相州の臨黄に徒す。武徳の末、隠太子の洗馬と為る。太宗と隠太子と陰に相傾奪するを見、毎に建成を勧めて早く之が計を為さしむ。太宗、隠太子を誅するに及び、徴を召して之を責めて曰く、汝、我が兄弟を離間するは、何ぞや、と。衆皆之が為めに危懼す。徴、慷慨自若、従容として対へて曰く、皇太子、若し臣が言に従はば、必ず今日の禍無かりしならん、と。太宗、之が為めに容を斂め、厚く礼異を加へ、擢でて諌議大夫に拝し、数々之を臥内に引き、訪ふに政術を以てす。
徴、雅より経国の才有り。性又抗直にして、屈撓する所無し。太宗、之と言ふ毎に、未だ嘗て悦ばずんばあらず。徴も亦、知己の主に逢ふを喜び、其の力用を竭くす。又、労ひて曰く、卿が諌むる所、前後三百余事、皆、朕が意に称へり。卿が誠を竭くし国に奉ずるに非ずんば、何ぞ能く是の若くならん、と。三年、秘書監に累遷し、朝政に参預す。深謀遠算、弘益する所多し。太宗嘗て謂ひて曰く、卿が罪は、鉤に中つるよりも重く、我の卿に任ずるは、管仲より逾えたり。近代の君臣相得ること、寧ぞ我の卿に於けるに似たる者有らんや、と。
六年、太宗、近臣を宴す。長孫無忌曰く、王珪・魏徴は、往に息隠に事へ、臣、之を見ること讎の若し。謂はざりき今者又此の宴を同じくせんとは、と。太宗曰く、魏徴は往者実に我が讎とする所なりき。但だ其の心を事ふる所に尽くすは、嘉するに足る者有り。朕能く擢でて之を用ふ。何ぞ古烈に慙ぢん。然れども徴毎に顔を犯して切諌し、我が非を為すを許さず。我の之を重んずる所以なり、と。
七年、侍中に遷り、累りに鄭国公に封ぜらる。尋いで疾を以て職を解かんことを請ふ。太宗曰く、公独り金の鉱に在るを見ずや、何ぞ貴ぶに足らんや。良冶鍛へて器と為せば、便ち人の宝とする所と為る。朕方に自ら金に比し、卿を以て良匠と為す。卿疾有りと雖も、未だ衰老と為さず。豈に便ち爾るを得んや、と。徴、乃ち止む。後復た固辞す。侍中に解くを聴し、授くるに特進を以てし、仍ほ門下省の事を知せしむ。
十二年、帝、侍臣に謂ひて曰く、貞観以前、我に従ひて天下を平定し、艱険に周旋したるは、玄齢の功、与に譲る所無し。貞観の後、心を我に尽くし忠トウを献納し、国を安んじ人を利し、我が今日の功業を成し、天下の称する所と為る者は、唯だ魏徴のみ。古の名臣、何を以てか加へん、と。是に於て、親ら佩刀を解き、以て二人に賜ふ。
十七年、太子太師に拝せられ、門下の事を知するは故の如し。尋いで疾に遇ふ。徴の宅内、先に正堂無し。太宗、時に小殿を営まんと欲す。乃ち其の材を輟めて為に造らしむ。五日にして就る。中使を遣はして、賜ふに布被素褥を以てし、其の尚ぶ所を遂げしむ。後数日にして薨ず。太宗親臨して慟哭し、司空を贈り、諡して文貞と曰ふ。太宗親ら為めに碑文を製し、復た自ら石に書す。特に其の家に賜ひ、実封九百戸を食ましむ。
太宗、嘗て侍臣に謂ひて曰く、夫れ銅を以て鏡と為せば、以て衣冠を正す可し。古を以て鏡と為せば、以て興替を知る可し。人を以て鏡と為せば、以て得失を明かにす可し。朕常に此の三鏡を保ち、以て己が過を防ぐ。今、魏徴徂逝し、遂に一鏡を亡へり、と。因りて泣下ること久しうす。詔して曰く、昔、惟だ魏徴のみ、毎に余が過を顕す。其の逝きしより、過つと雖も彰すもの莫し。朕豈に独り往時に非にして、皆茲日に是なること有らんや。故は亦庶僚苟順して、龍鱗に触るるを難る者か。己を虚くして外求し、迷を披きて内省する故なり。言へども用ひざるは、朕の甘心する所なり。用ふれども言はざるは、誰の責ぞや。斯れより以後、各々乃の誠を悉くせ。若し是非有らば、直言して隠すこと無かれ、と。