智の館2
任賢 第1章-1


司馬徽
財宝より大切なもの


登場人物紹介

太宗
唐の2代目皇帝。
2代目といってもぼんぼんではない。父の代わりとして中国各地を転戦し唐の中国統一の最大の功労者。
兄と弟が自分を殺害しようとしていたことを知ると先手を打ってこれを討ち、父親を幽閉して皇帝の座につく。
長い中国の歴史の中でも屈指の名君として必ずその名は挙げられ、その治世は『貞観の治』と呼ばれ後世の手本とされた。

房玄齢
当初から太宗に従い、帷幄の中にあって策をめぐらし太宗をよく補佐した。秦王府十八学士の冠首とされる。唐の諸制度も杜如晦との名コンビで作り上げ、貞観の治の立役者の一人といってよい。




司馬徽
房玄齢は斉州の出身で、幼い頃から俊敏にして博学能文であった。始めは隋に仕え、隰城の尉となったが、ある罪に問われ解任された。
太宗が渭北地方を攻略したときのこと。
秦王。房玄齢と申す者がぜひお会いしたいと申しております。なにやら馬のムチを持って奇怪な人物ですが、いかがいたしましょうか?
兵士

太宗
ほう。面白いな。会ってみよう。
房玄齢でございます。
房玄齢
二人は一度会っただけで意気投合し、昔からの友人のように親密になった。
房玄齢は知己の主に巡り会った事を喜び、死力を尽くして太宗に仕えた。
この時、敵が平定されるごとに多くの人たちは先を争って敵の城中にある財宝を狙った。

兵士
ぐへへ、金銀財宝ざっくざっく。
財宝はわしのものじゃ。先を越されてなるものか!
しかし、房玄齢は違っていた。
秦王。今回の敵にひとかどの人物を見出しました。
武勇に優れた者、智謀に優れた者。皆、秦王のために働きたいと申しております。

房玄齢

太宗
うむ。さすがは房玄齢。君の働きに私も報いよう。行臺考功郎中に任じよう。
ははっ。ありがとうございます。
房玄齢




司馬徽
金銀財宝も確かに不要なものではないが、人材という財宝は何物にも代え難いものなのじゃ。房玄齢が多くの人材を推挙することで太宗のもとには多くの名臣が集まったのじゃ。
うむ。まったくその通りじゃ。
飛覇帥

司馬徽
よいぞ、よいぞ

鏡秋雪
飛覇帥さん。兵士役でひそかに出演してますね。もしかして、飛覇帥さんの前世!
むむっ!
馬鹿は死んでも直らないとか言うつもりか!

飛覇帥

鏡秋雪
いいえぇ。そんな失礼なことは言いませんよ。あえて言えば、
ハゲは死んでも直らない!と、いったところでしょうか。
ぐはっ。
飛覇帥






原文
第一章
房玄齢は、斉州臨シの人なり。初め隋に仕へて隰城の尉と為り、事に坐して名を除かれて上郡に徒さる。太宗、地を渭北に徇ふるや、玄齢、策を杖つきて軍門に謁す。太宗、一見して便ち旧識の如く、渭北道の行軍記室参軍に署す。玄齢既に知己に遇ふを喜び、遂に心力をケイ竭す。是の時、賊冦平ぐ毎に、衆人競ひて金宝を求む。玄齢、独り先づ人物を収め、之を幕府に致す。及び謀臣猛将有れば、皆之と潜に相申結し、各々其の死力を致さしむ。累りに秦王府の記室を授けられ、陝東道の行臺考功郎中を兼ぬ。
玄齢、秦府に在ること十余年、恒に管記を典る。隠太子、太宗の勲徳日に隆きを見、転た忌嫉を生じ、玄齢及び杜如晦、太宗の親礼する所と為るを以て、甚だ之を悪み、高祖に譖す。是に由りて如晦と竝びに駆斥せらる。隠太子の将に変有らんとするや、太宗、玄齢・如晦を召して、道士の衣服を衣せしめ、潜かに引きて閤に入れて事を計る。太宗、春宮に入るに及び、擢でて太子右庶子に拝す。
貞観元年、中書令に遷る。三年、尚書左僕射に拝せられ、国史を修む。既に百司に任総し、虔恭夙夜、心を尽くし節を竭くし、一物も所を失ふを欲せず。人の善有るを聞けば、己之を有するが若くす。吏事に明達し、飾るに文学を以てす。法令を審定するに、意は寛平に在り。備はるを求むるを以て人を取らず、己の長を以て物を格せず、能に随ひて収叙し、卑賎を隔つる無し。論者称して良相と為す。累りに梁国公に封ぜらる。十三年、太子少師を加へらる。
玄齢、自ら一たび端揆に居ること十有五年なるを以て、頻に表して位を辞す。優詔して許さず。十有六年、進みて司空を拝せらる。玄齢、復た年老いたるを致仕せんと請ふ。太宗、使を遣はして謂ひて曰く、国家久しく相任使す。一朝忽ち良相無ければ、両手を失ふが如し。公若し筋力衰へずんば、此の譲を煩はすこと無かれ、と。玄齢遂に止む。太宗又嘗て王業の艱難、左命の匡弼を追思し、乃ち威鳳の賦を作りて以て自ら喩へ、因りて玄齢に賜ふ。其の称せらるること類ね此の如し。